こんばんわー。 さて 昨日一日で大分よくなったものの 朝起きてみたら まだ咳がかなり残っていて 無理するとこじらせるかもしれないので 大事を取って もう一日 休みを取りました。 まあ こういう病気療養で 特に何もできず 休養回復に努めるしかないという状況 もう何年もなかったことで 久し振りに いろいろ ゆっくり考える時間が持てた事は 自分に取ってすごく有意義なことだったように思います。 (コロナなど 病気になったことはあったんですが その時は症状が重すぎて ゆっくり かんがえことをする余裕など まったくなかったんで滝汗

 

やっぱり 普段 日々 こなさなければいけない事に忙殺されてると どうしても 目先の事にとらわれて 全体像というか もっと 大きな流れみたいな物が 見えにくくなるように思うんですよね。 で 今回 久し振りに 時間だけはたっぷりあるという状況の中で そういう 大きな流れみたいなものに目を向ける時間をとれたようで 色々興味深いことが腑に落ちた気がしています。

 

昨日 私のような性格のものが IMNZという NZで 最も 国際色の高い 大イベントであり まあある意味 持久系の最高峰のひとつである レースがある街に長年住んでれば いつか 衝突することになるのは まあ 必然のようなものだったのかなーと書いたんですが これはどうも そういう事だったように思います。というのも やっぱ 振り返ってみて 私がアイアンマン やる羽目になった 直接のきっかけって アイアンマン挑戦の 何年か前 特に トライアスロンとか アイアンマンに興味はなかったものの タウポサイクルチャレンジという 私が出たバイクのロードレースのエキスポが 結構 賑やかで お買い得なものもかなりあったので より大きなイベントである アイアンマンのエキスポはどんなもんだろうと興味がわいて アイアンマンのエキスポを訪れた事だったようなので。 (私 昔から この お買い得というものに 極端に弱いという持病を持ってるんですが笑い泣き

 

ただ 今でも覚えてるんですが 此の エキスポ訪れた時の その場の雰囲気というか そういうものが サイクルチャレンジとは かなり違ったんですよねびっくり ただ 此れ今考えて見れば 当たり前のことで 様子うrに アイアンマンに出てくる人って 皆 それなりの覚悟を決めエントリーをして それなりの鍛錬を積んで 準備重ねてきた人がほとんどなので やっぱ くぐってきたものが違うんで 皆 其の人から漂う オーラみたいなものが 他のレースと違って当然。 そういうことのように思います。

 

で 実は こういう醸し出す雰囲気みたいな物を “氣” というのかと思うんですが 私 此のエキスポで 私にはちょっとここ 場違いだなーと感じて 余り長居できず すごすごかえってきたことを覚えてるんですよね。 で 多分 こういう心境のことを ”氣遅れする” というのかと っ振り返ってみて思いました。

 

ただ 私 一般的に言われている ”気が強い” 人間かというと まあ そこは私より気が強い人間なんていっぱいいると思うんですが ただ ”氣が強い” タイプなのかなーとは思うんですよね。 というのも 私どうも 昔から いろんなことにたいして 引かないというか 引けない。 どうも そういう性質があるようなんで。

 

なので どうも あの日自体は すごすごしっぽ巻いて 帰ってきたのは覚えていて 別にそれで いつかアイアンマンやっつけなければいけないなんて 心に火が付いたとかは まったくなかったんですが 実はどうもそれは 顕在意識のレベルの話しで その奥にある 潜在意識のレベル 恐らく これを “氣”のレベルというのかと思うんですが 其の次元では この IMNZというレースとは いつか対決し ねじ伏せなければいけない対象として認識されてしまった。 どうも そんな感じだったように ここまでの歩みを振り返って思いました爆  笑

 

そういえば 私 2019年の レース振り返りの記事に こんなこと書いてたんですが

 

”今回は 最初から きちっと最終ラップまで考えたペーシングを守り アイアンマンの最難関 ランの最終ラップに初めて真っ向勝負を挑んでねじ伏せることができたと感じたレースでした”

 

私以前から なんで アイアンマンというレース相手に ”真っ向勝負を挑んでねじ伏せる” 必要性を感じてたのか 不思議に感じてはいたようなんですが 結局 私の “氣”が あのエキスポで ”氣遅れ” した リベンジを欲していたから。 どうもそういうことだったように 今日 ”氣づき” ました爆  笑

 

しかしまあ そうやっていろいろ考えていくと ほとんどすべてのことって ”氣の所為” なんでしょうね。 実際 何かをする ”氣になる” こと自体 いまいち理由なんて分からないもんじゃないですか? というかこう書いてれば もう自分でもわかるんですが 何かをする”氣”になる 要するに 氣の所為。 そういうことですよね。 で これを英語では Inspiration というんだと思います。

 

ちなみに 今日 ”気配” という言葉の語源調べてて また興味深い事 幾つか学んだんですが こういう語源とか研究されてる 言語研究家の人のサイトで 所謂 ”慣用句” のいくつかを 国民の6割が反対の意味に誤解しているという事が書かれてて 其の例のひとつが ”役不足”だったんですが 此れ私も 正反対の意味に誤解してタンですが もともと 其の人の能力に対して 地位 つまり ”役”に対して 高すぎる から 役が不足で ”役不足”なのであって いまよく使われるように 自分が ”役不足”では無いようなんですよねびっくり 私の印象では 役不足という言葉 今はほとんど 此の 正反対の誤解の意味でつかわれるように思うんですが 恐らく ”気のせい” という言葉も もともとも ”氣の所為” の正反対の意味に誤解されているんだろうなーと これ読んで思いました。

 

後 もう一つ 今日 ”氣づいた” ことがあったんですが それが もしかすると 私の一生の中で 最も私の人生が 影響を受けたのかも知れないと感じ始めている 8年ほど前 先輩にいただいたアドバイス ”脱力という極意が 最大の武器になる” この言葉の意味についてなんですよね。

 

今回 病気療養しながら 久し振りに見た動画のひとつが 合気道の 塩田剛三師と 内弟子のおひとり 安藤さんの間にあった 

”約束” のことに関しての動画でした。

 

 

 

この動画によると 安藤さんが ”なにか” を短期間だけ 掴まれたことがあって それを察知されたのかと思うんですが 塩田師が 安藤さんを食事に誘い その場で ”名人 達人になる気はあるか” と聞かれたそうなんですよね。

 

で この動画見てて思ったのは 塩田師には その ”名人 達人” という 域 というか世界 そんなものがあるのが見えてたから こういう言葉言われたんだろうという事なんですよね。 で もう一人の内弟子 パウエさんによると 当時 塩田師だけが ほかの方々と ”全く違う事” をやられてた といわれていて この “ほかの方々” というのは 養神館道場の高弟たちすべて この道場の 所謂 ”師範格”の方々なわけなんで そういう立派な合気道家の方々にも 当時全く見えていなかった 高みの世界。 それが塩田師のいってる 名人 達人の域なんだろうなーと思いました。

 

ただ そんなこと考えてて思ったのは もし 様ざまな分野で言われているように ”脱力が極意” なのだとしたら 其の脱力を追いかける事自体 この ”名人 達人の域”を目指すことに他ならないんじゃないかという事なんですよね。 実際 ”極意” というものは そういう意味なわけなんで。 

 

私にとって ”脱力“というのは アイアンマンに向けて 色々調べているうちに それぞれ 世界最高 日本最高のアイアンマンと呼んでふさわしいだけの戦績を残された マークアレン氏と 宮塚さんの話を参考に自分なりに試行錯誤つい重ねているうちに 浮かび上がってきた キーワードで それで ”脱力!” という記事を書き 先輩からのアドバイスにつながったものだったんですが 以前私 「”なにか” が見えている人たちからの招待状」 という変わった題名の記事を書いているようで 以前からずっと 何となく その様に感じていたことだったんですよね。 (因みに 私の ”氣” は 何方かというと ”挑戦状” と捉えてるように感じるようなんですがグラサン

 

で 今日 ふと思ったのは 実は 此の ”招待状” 塩田師が 安藤さんにいった 名人 達人の域。 ここをお目指すことへの 招待状だったんじゃないかという事なんですよね。 まあ 私 此の招待状のお蔭で あれから8年ほど まさに いばらの道を ずーっと歩き続けてくる羽目になったと感じてるんですが まあ 私ごときが そんなとんでもない世界に続く道 追いかけてたら そりゃ そうなるわなーと いまさらながら 納得がいきました。

 

まあ 然し 私よっぽど鈍感な人間なんでしょうねー笑い泣き 先輩ほどの人が 極意だの 最大の武器だのという言葉持ちだした時点で その道が どれだけ長く険しい道なのか もうちょっと 察しがついてもおかしくないんじゃないかと  今振り返ると思うんで滝汗 (まあ どれだけ 長く険しい道か 全く気付いていなかったから とりあえず 歩きはじめられたようなので 鈍いという事にも 利点はあるようにも思いますが笑い泣き こんなに大変な道だと 最初から分かってたら 根性なしの私は 間違いなく歩きはじめていないと思うんで滝汗

 

まあ 宮塚さんがブログに 

 

”骨トラには「これが出来たら次はこれ」と言うのは無いのです。
今でも悪くはないけど、更に精度を高めれば、もっと良くなるのです。
それには終わりは無いのです。”

 

と書かれてますが 極意なんて呼ばれてるものに 終りなんてものがあるわけもなく 常に ”道半ば” なわけで 私の立ち位置では まだまだ道(未知) の始まり に過ぎないわけなんですが ただ そんな時点ですら 極意を目指す道のりというのは そこを歩けるだけで光栄と感じられる道のようです。 まあ ここまでの努力で もう 目ざすところがブレることはあり得ないところまでは なんとか来れたようなので ここからは 日々変わっていく車窓の風景でも楽しみながら 旅路自体を楽しんでいこうと思っていますニコニコ