こんばんわー。 さて 最近は 仕事の後 一種目何か入れて より深い脱力の世界を突き詰めるようにしてるんですが 昨日はスイム 今日は 基本歩きで(基本というのは すこしランも入っているからなんですが) 脱力を探求してみたところ 中々 面白い世界が 垣間見えたように思いましたキョロキョロ

 

今日 なるほどなーと思ったのは 宮塚さんの この言葉なんですが 

 

”骨ランとは 自分の体重を筋肉だけで支えようとすれば、相当なエネルギーが必要となります。自分の体重を硬い骨に乗せることが出来れば、全身力を抜いても立ってられます。”

 

まあ ”骨ランとは” と書かれてるくらいなんで ランの話をしてるはずなんですが たち方の話になっちゃってますよね爆  笑 で ここで 宮塚さんが説明してる立ち方 此れ ”全身の力を抜いて立つ” 立ち方と思うんですが まあ これが要するに 脱力で立つという事のはずで かつ 骨で立つ という事かと思います。

 

で 勿論 ”骨ランとは” という話の中での話なんで この  骨で立つ つまり 全身の力を抜いて立つ この仕組みを 動きの中で生かすからこそ 宮塚さん こういう話をされてるはずですよね。 なので 要するに 全身の力を抜いて動く つまり 脱力で動く。 これが宮塚さんのいう ”骨で動く”であり だから ”筋力は無いものと思って” という事のようですね。

 

まあ これ 元々 ”筋力は無いものと思って” ”骨で動く” ”トライアスロンは掻かない 漕がない 蹴らない” そして ”脱力で動く” もともと 言葉通り取れば すべて同じことなわけなんですが それすらいまいちはっきりしていなかったというのは 結局 こういう言葉が示唆する ”動き方”が 私の知っている ”動く”というのと 余りにもかけ離れているからだったようです。

 

で なんで 今こんなことを書いているのかというと 例えば 今日 みえてきた ”動き方” というのが 私の知っている ”動き方” というのと 余りにも かけ離れていたからなんですよねびっくり もうちょっと 言葉に落とすのが きつい世界に入ってきてるんですが まあ あえて言葉にすると 動かないで動く とか 自分でなにもやらずに進む。 今日私が練習してたのって そんな動き方だったようなんで。

 

この事に関しては 私 もう8年くらいずっと書き続けてきたことなんですが 結局 この動画の中で 室伏さんが言っていた

 

 

 

”基本 スポーツをやる 運動をやるっていうのは 筋肉に力を入れると思ってますけれども 抜く方がむずかしいという事をまず教えるべきですよね。” 

 

やっぱり これまでずっと書いてきたように 力を ”入れる”事で 運動をしてきた人間に取って 力を ”抜いて”運動する つまり 脱力で動く という事をマスターするのって すごく難しいんだと思うんですよね。 そういえば バイクのロードレースの 元日本チャンピオン 宮澤さんも ”力を使わないペダリング” つまり 脱力ペダリングのことを ”一番難しい事なのだが” と書かれてたわけですし。

 

ただ 最近 どうも感じ始めているのは ”難しい”というのは ”時間がかかる” だけのことであって ”出来ない” という意味ではないようだという事なんですよね。 ただ その為に必要なのは どんなに時間がかかろうと 常に追いかけ続ける 執念深さなのかなーと感じ始めています。

 

後 最近はっきりし始めているのは 私の追いかけてるの やっぱり 私にとって 私が運動だと 信じていたことの 魔逆の方向を突き詰めていくことだという事なんですよね。 まあ 私がうだうだ言わなくても 上の室伏さんの言葉にあるように ”力を入れて動く” というのは ”力の抜いて動く” つまり 脱力で動く というのは どうみても正反対なわけですし。

 

結局のところ 私が目ざしているのは 例えば 歩くとか 走るという動作でいえば 地面の抵抗と 推進力との狭間で 脱力 つまり 全身の力を完全に抜いて 骨格を綺麗にターンオーバーさせる。 無理に言葉にすれば そういうことのように思います。 で スイムでは 地面の力が水の力に変わるだけで 恐らく 律動法の療法者 青木さんが 脱力という極意を詰めるために 摺り足をくりかえして 身につけて行った動き方がまさにこれなんじゃないかと思いはじめています。

 

まあでも この”動かないという動き方” だてに 若い頃 ハーフマラソン 65分とかで走られてたランナーが 其のあと 10年以上 摺り足をほぼ毎日 1-2時間 繰りかえして 追いかけてきた世界ではないと思うんで まさに ”半端ない世界” 半端な取り組みでどうなる世界ではないように思います。 その意味では 私がどんどんレース結果すら 気にする余裕がなくなってきて ひたすら より深い脱力の世界を突き詰めるだけになってきたのは 只単に必然であり 実は これ自体が私の成長を示しているものだったようですね。

 

まあ然し 今見えてきている範囲でも 私が追いかけているもの 私の知っている ”動く”という世界とは 似ても似つかぬ とんでもない世界のようなんですよね。 まあ こんなものが見えてくれば さらに追いかけざるを得ないわけなんで 此の 動かないという動き方 つまり 自分でなにもしないという動き方の世界 突き詰めていこうと思っていますニコニコ