こんばんわー。 さて 明日からまた三連休 今日は やることがあったので 仕事の帰り ほんの少しですが スイムで より深い脱力の世界の探求を楽しんでまいりました。

 

私 以前から スイムの世界では 結構頻繁に ”脱力”という言葉を見掛けるんで 興味深く思ってたんですが 実は swimというスポーツは 脱力が大事だという事が比較的 わかりやすいスポーツののかと思いはじめています。

 

ランやバイクの動作を 空中でやっても 前伊には進まないわけなんで こういうスポーツは 地面が与えてくれる 抵抗という力を使って 前に進んでいるのは明らかかと思うんですが スイムの場合 この地面の力とは 比べ物にならないほど 弱い 水の抵抗を使って 前に進むスポーツなんで 結局 ここが スイムで 脱力という言葉をよく見かける理由なんだろうと思うんですよね。 此れ実hあ 当たり前のことなのかもしれないんですが どうみても 脱力が進めば進むほど 水の力というのはよりうまく使えるようになるようなんで どうも 最大の脱力で泳げる人が 水の力㋾最大限に引き出しているんじゃないかと思いはじめていて この 脱力が大事なんだという事が 地面相手より わかりやすいんで スイムでは 脱力という皓t場をよく見かけるのかと思っています。 (そういえば 玄人の小学生の方が 素人の成人より 当たり前に速いなんていうのも 陸の上では 起きない話かと思いますし。)

 

やはり 先日 この動画に出会い すごく氣になったのはそれなりに理由があったようで

 

 

 

この動画の中で 室伏さんが ”スポーツをする 運動をする というのは 筋肉に力を入れてやるものだと 思ってますけれど”

といわれてるんですが 此れ 私自身 このブログにずっと書いてきたことなんですが  若い頃 陸の上で パワー系とか  瞬発系のスポーツをやってた人間は 運動ををするって 筋肉に力を入れたやるものと 思ってしまう傾向があるように思うんですよね。 

 

ただ 脱力というものを というか これs自体 これ迄拾ってきた 言葉のヒントが 全て その方向を指し示していたんで 結果としてそうなっただけだったんですが その ”方向性” を 8年近く追いかけてきて 最近になってどんどんハッキリしてきているのは 此の ”筋肉に力を入れて動く” の逆の ”筋肉の力をすべて抜いて動く” というやり方の方向性みたいなものがあるようなんですよねびっくり (すいません これ ”脱力”” というものが見えてる人には 脱力で動くという言葉 ほかに意味しようがないうだろ? とか そういう話かと思うんですが 私のように 半世紀とか 運動は肌肉に力を入れる事のみで成り立つといつの間にか 信じて生きてきた人間に取って これ 地動説と天動説の違いくらい 違う話なんで 正直 そんなものが半世紀以上 私の現実の中に 全く存在すらしなかったこと にわかに信じられる話では無いんですよねガーン

 

でも よく考えて見ると このブログに書き綴りながら 私が追いかけ続けてきた ”なにか”というのが これのことだったんだろうと思うんですよね。 どうも アイアンマン挑戦が頭をよぎり始め 色々調べ始めて見たら インターネットのお蔭で 昔なら 恐らく知ること自体難しかったであろう  世の達人たちの ”言葉のヒント” が 手軽に集められるようになってて 集めてみたら 不思議な事に こういう 集まってきたヒントが全て 同じ方向 ”脱力”の方向に向いてたんで その方向だけを追いかけてきたわけだっったんで。
 

 

ただ 振り返ってみると 私が ”なにか” を追いかけつづけてきた理由って こういう達人たちの 言葉のヒントだけの話しではなかったようなんですよね。 というのも 実はこの  ”なにか” という言葉 つかいはじめたのは 直接のきっかけがあって それが 2018年 私にとって 二度目のIMNZ のレースの最後の最後に起きた事だったようなんで。

 

私は この2018年のIMNZが アイアンマンでは 一応私のPBになっているレースなんですが このレース 当時の私の実力では バイクパートの前半に ツッコみすぎた レースで その分 ランパート もう最初から 走り続けることだけでキツい とか そんな感じだったのを 意地と根性で なんとか走りきったレースだったんですよね滝汗

 

ところが 此の ランの最初から ずーっと走り続けることが きつかったマラソンだったというのに なぜか 最終ラップの復路にはいったら 突然 走るのが楽になり 特に圧巻だったのが 最後ラストスパートかけてみたら 其れまでも あれ以来も ここまで楽に走れたことはないといまでも思えるほど楽に走れ ごく自然と ペースも上げられたんですよねびっくり

 

で このレースの最後って 筋肉的には 人生で もっとも何も残ってないとか そんな感じで迎えた アイアンマンレースの最後の最後なんで まあ 其れまでの人生で もっとm 筋肉に頼れない状態で 走ってたことは間違いなかったんですが その状態で 人生で最も楽に走れ そうだからこそ 最も楽にペースを上げられたこと。 こういう 極限での 実体験で垣間見えた世界を解き明かすこと。 それがあの日あの時からの 私の取り組みのすべてだったように 今は思います。

 

そうなんですよねー だから 私に今見えてきているものって  あれからずっと追いかけ続けてきた あの日あの時垣間見た ”なにか" それがあの時よりは具体的に 再現可能なものとして仕組みの解明が進んできている。 どうもそういうことの様ですね。 なので 明日も 同じように あの日あの時垣間見えた ”なにか" 追いかけてこようと思っていますニコニコ

 

さて 最後に 今日の記事 書きながら 2018年の IMNZのランパートにかkていたことを 読み返してみたんですが どうも 私のあれ以来の取り組みが あの日あの時に垣間見えた ”なにか” を追いかけつづけてきただけの様で どうも この記事に書いたこと 自分に取って大事な事のようなので まとめて ここにもまた載せておこうと思います

 

 

 

驚いたことに アイアンマンの最後一キロだというのにスーッとペースが上がっていきますびっくり しかも 今までのレースでのラストスパートと違い 自分の筋力 すなわち自力でであげているのではなく (アイアンマンの最後の一キロですので 筋力なんてもうどこにも残っていません笑い泣き) 骨格と慣性の力をうまく組み合わせた バランスとタイミングだけで突き進むような そんな走り方ができていますニコニコ ”うわっ 筋肉なんかに頼らなくても こんな楽に走れるものなのか!!” 何か頭をがつんとたたかれたような衝撃を感じました爆  笑

 

残念ながら このラスト一キロ ペースは確認しておらず (アイアンマンのラストまで来て時計とにらめっこしてるのもばからしいと思いますしてへぺろ、 しかも ゴール後 家に帰るまでガーミン止め忘れていたので この区間 どれくらいで走れたのかわからないのですが 体感的に 4分台近くまであげられていたのではないかと思います。 (まあ もちろん 半日近く運動してきているときの体感なんであてにはならないかと思いますが爆  笑)  なんか こう 一年間探し続けてきた 他力系の走り方 その集大成がこのアイアンマンの最後の最後にできたような感じがしましたニコニコ

 

私事で恐縮なんですが この2回のアイアンマン ランのこの最後の最後で 2回とも”天”の存在を感じました。 大げさに聞こえるとは思いますが アイアンマンの神様とでも申しますか( 私のイメージでは 心優しいけれど強面で 言葉遣いも悪い よく漫画に出てくるエンマ大王系のような気がしていますが爆  笑) そういう存在が 苦しみに目を背けず、 他者への感謝の気持ちをもってこのレースに真正面からぶつかって最後まで走り続けると ご褒美として 次に進むべき道を示してくれる そんな感じが二度ともしています。 ( まあ こんな幻覚症状みたいなのが出るのも それだけ極限状態ということなんでしょう爆  笑

 

去年は R君を通してお手本を示すことで ”ここまで頑張ったから完走はさせてやる、 だが見てわかる通り お前はまだまだだから 一からやり直して また俺に向かってこい” といわれた気がしたのですが 今回の最後には ”よーし お前は一年よく頑張ったし レースでも 苦しめてやったのによく最後まで走り切った。 褒美として お前のいる先の世界を見せてやるから これをつかんでまた戻ってこい”と言われたような気がしますニコニコ