こんばんわー。 さて 明日からまた三連休なんですが 今回の休みは 久し振りに天気が悪そうで 今日はまだ雨がまだ降ってなかったんで 仕事後 先ずは バイクで 脱力で動くという世界の探検を 楽しんでまいりましたニコニコ

 

私 トライアスロン取り組みはじめて以来 バイクって トレーニングよりも ペダリングの研鑽だけを積みあがてきたように思っていて 正直 ずっと楽しかっただけなんですが 今は 日々 より凄みのある ”漕がないという漕ぎ方”がどんどん見えてくるんで 楽しくてしょうがないんですよねラブ で よく考えて見ると たまらないほど楽しいからこそ より真剣により深い脱力を探すもののようですし よく考えて見ると いつの間にか 一漕ぎ一漕ぎすべてに 昔の私には夢想だにしなかった細部を 積めている自分がいつの間にかいるようなんで NZの名伯楽 リディヤード師が言ってた ” Run For  Fun. From The  Fun Will Come The Will To Excell” まさに 其の通りだなーと 心から感じています。

 

合気道の 塩田師が ”山の登りはいろいろあれど 頂上は同じ” とおっしゃられてましたが 私が今感じ始めてるのがこの事なんですよね。 恐らく これ迄 拾ってきた言葉のヒント、 ”脱力で動く” といっても ”骨で動く” といっても ”トライアスロンは掻かない 漕がない蹴らない” といっても 之すべて行きつくところは同じ つまり ”頂上は一つ” なんだろうなーと思いはじめていて それは 例えば 初動負荷理論とか 高岡英夫氏の ”ゆる”とかも同じことで 突き詰めていけば同じ所に必然的に 辿り着くはずかと思います。

 

しかしまあ よくよく考えて見ると バイクは よくもまあ 一途に 同じ方向だけを追いかけてこれたもんだよなーと 自分でも 感心するくらいのようです爆  笑 

 

私 よく考えて見ると ランでも トライアスロンでも 最後にPBが出たのが 2020のIM70.3で このレース 微妙にではあったものの 三種目ともPBで 総合もPBのレースだったんですよね。

 

で 私思い出してみると このころ もう トレーニングというのは ほとんどしなくなってきてた頃なんで 子のPB自体 トレーニングでつける 身体能力や心肺能力の向上に頼って出したタイムではなかったんですよねびっくり (この部分は 恐らく 2017年のIMNZの初挑戦のころをピークに どんどん 落ちてきているんで。) では そこに頼らず なにに頼って出したPBかというと それが あのレースの バイクパートの タイトル ”より楽な漕ぎ方を探せのバイク編” にあるように 三種目とも ”より楽な動き方” これを探し続け 身につけて行くことにたよってだしたPB だったんですよね。

 

ただ あの年のタイムは 持久系自体が苦手な 私にとってのPB だっただけで 持久系の得意な人達のタイムとくらべると まだまだ 話にならないタイムだったんですよね。 なので 楽さが まだまだ足りないと はっきりわかったんで あの後 さらに気合入れて 追いかけつづけてきたようなんですが 今 みえてきている世界は 私が努力を積み上げ レースで自分を試しながら 感じ続けてきたことが 正しかったことを はっきりと裏付けてくれているようですニコニコ

 

まあでも インターネットで 誰にでも手に入るようになった 様々な世界の いわば ”達人”と呼ぶべき方々の話を参考にしながら 努力を積み重ね レースで自分を試し続け その中で 学んできたこと。  間違ってるわけが無いんですよねショボーン そんなものが 正しくない可能性を まだ疑っているあたり 本当の意味での努力というものの意味を知らないからだったんだなーと 今は思っていますショボーン

 

で 上に書いた ”頂上”なんですが 此れ実は日本人なら ほぼ皆 言葉としては 知っていることのようなんですよね。 で その言葉というのが ”無我の境地” なんだと思います。 (で これ 英語でいうと ”ゾーン”なんだと思います)

 

ちなみに こちらの動画で

 

 

 

塩田師が ”力を出すってことは 我を出す。 それではいかん” とおっしゃられてるんですが この言葉  恐らく今のスポーツ選手で わかる人はいないはずかと思っていて 塩田師がそれだけ スポーツ選手より ”無我の境地”に近い位置まで 突き詰められた方だったからなのかと思うんですよね。 

 

で スポーツ選手の中で 個人的に 此の ”無我の境地” に続く道で位一番遠くの話を聞いたのが 史上最高のトライアスリートと呼ばれることの多い マークアレン氏が コナで最も追い込まれた時にたどり着いた まあ まさにトライアスリートが 辿り着いた境地と呼ぶにふさわしいかと思う状態 ”Let Go” なんですが この ”Let Go という状態 まあ日本語に治せば ”為すがまま” とか ”有るがまま” が近いかと思うんですが 要するに 無我境地の事かと思うんですよね。

 

この ”Let Go” という状態 アレン氏の言葉載せとくと 

 

”この状態は ものすごくパワフルで 人生のあらゆる挑戦に向かっていくうえで最も力になるものと個人的に思っている。 それは あたかも突然全宇宙とつながったような そんな感覚だ”

という状態のそうなんですが 合気道は ”天地の氣に合する道” 自然宇宙との和合を理念とする道だそうで 此れ アレン氏の言葉と被りすぎると思うんですよね。 なので 合気道というのは 世界最高のトライアスリートが 最も過酷な状況まで自分を追い込んだ時 辿り着いた ”境地” 此れを自由自在に操ることを目指す道なんじゃないかと思いはじめています。 

 

で 結局 この ”無顔の境地”につながる唯一の道。 それが ”脱力”であり だから ”極意” そいういう事なのかと思うんですよね。 だからこそ 塩田師の ”合気道では 体によどみを作らない為に 筋肉を鍛えてはいけないんだ” という言葉があり ”自分でやろうとするのではなく 皆に協力してもらわねばならん” 二なる。 そういうことなのかと さいきんおもっています。

 

まあ こうやって 今迄色々調べてきたことが すべてつながってきていることもうれしいんですが まあ 何よりもうれしいのは 今見えてきていることの とんでもなさなんですよねびっくり 今 間違いなく一つ言えることは 運動には 若い頃の私が全く知らなかった世界があり こんな世界がある限り 私の ’可能性” は 間違いなく無限。 ここには もう私の魂が 疑問を全く感じなくなってきているようですお祝い

 

ただ そこまで 私の住む世界とは 別次元の世界なんで 取り組みも 別次元のものが必要に感じ始めています。 で 其の別次元の取組み自体は もう 塩田師が 言葉に残されているように感じていて それがこちらの言葉になるように思います。

 

 

「祖元禅師の言葉に『行住坐臥一切の時勢これ最善の道場』というのがあります。
この言葉を私は座右の銘として拳々服膺し、常に忘れぬよう心掛けているつもりです。少なくとも合気道に志を立てる者は、そうあってもらいたいと思います。
ただ歩いているときでも、電車に揺られているときでも、食事をしているときでも、どんな場合でも、そこがすべて合気道の道場だと思い、一挙手一投足、みな稽古の一つと考えてほしいものです。」

 


 よく考えてみれば ”志す”  ものが 合気道であろうが アイアンマン道であろうが ”道” であることに変わりはないんで  塩田師が ここに書かれているの 本気でやるという事が本来どういうものなのか それを書かれてるに過ぎないとおもうんですよね、 で 私も 流石に 脱力という極意を 8年とか 追いかけつづけてくると こんなもの 塩田師が言うように ”一挙手 一投足” つまり すべての瞬間が全て稽古。 ここにどこまで近づけるかが勝負。 そういう事二思うんで 今回の休みも すべての瞬間こだわれるPB目指して 研鑽を楽しんでいこうと思っていますニコニコ