こんばんわー。 さて 今日は 仕事の後 趣向を変えて 歩きで より深い脱力の世界を探求してきました。

 

これは ここんとこ 仕事の後 ランに出ると いつもすぐ 歩きで より深い脱力の世界を追いかけ始めるようになってきていたので 今日は最初から歩きで 研究を積んでみたんですが 今日 こういう研鑽を積んでみて やっぱ私に必要なのは こういう研鑽なんだなーと 思いを新たにしました。

 

私 以前 ”自分の取り組みが 自分のコントロール下に無い” という旨のことを何度か 書いてきましたが 此れ 恐らく 以前より どんどん ”心の声”みたいなものを無視しなくなったから こうなってきてるのかと思うんですよね。 

 

思いだしてみると 持久系取組み始めた頃って ランの研鑽ヲ歩きで積むというのには 抵抗みたいなものがあったように思うんですよね。 ランの途中で 歩きだしてしまうと 歩き癖みたいな物がついて レースでも あるきたくなるんじゃないかという 恐れみたいなおモノがあった湯に思います。

 

ただ 私もう マラソンとか アイアンマンとか始めて 10年近く経つようなんですが 私どうやら お金払って 出るレースで  苦しいから歩くとか そんなタマじゃないようなんですよね。 これ迄 私がレースで歩くはめになったのは すべて もう走れないから 仕方なく歩かざるをえない時だけで それ以外は どんなに空しくても 一歩も歩いて来なかった人間何で もうそこを心配する必要はまったくなくなったようです。

 

まあ そういう理由もあるかとは思うんですが 今はなんというか 積極的に 歩きで研鑽を積む。 そういう方向になてきてるようなんですよね。 というのも 私が目ざす ”脱力で動く” ン世界では 実は 歩く と 走る に垣根は無いように思いはじめていて 恐らく 最終的には 歩く と 走る の違いは スピードの違いだけになっていくように 考え始めているんで

 

つまるところ 脱力 つまり 全身の力を完全に抜いて動く ㋾目ざして研鑽積んでくと これ 結局 自分がいかに動かずに動くか。 そういう研鑽になっていくようなんですよねびっくり 全身の力を完全い抜いてしまえば 体を自分から動かしに行くこと自体 出来ないわけなんで。

 

で自分が 動かない以上 歩く でも 走る でも ”動かないで動く”という事には 変わりはないわけで 動作 (というか 動作の無さ爆  笑 ) 自体は同じで 変わるのは スピード(まあ ピッチとストライドという事も出来るかと思いますが) という事二なるようです。

 

で 同じものならば やはり 歩く つまり スピードを下げてやった方が 探しやすいようなんですよね。 私の場合 立つ時も 歩くときも 走るときも 全身の筋肉に力を入れる事でやっていたんで 此の ”脱力で動く”は 仕組み的に 完全に正反対の方向性になるんで ぶっちゃけ 歩きで出来ないことを 走りながら 出来るわけがないわけで 歩きで見つからないものを 走りながら探すこと自体に無理がある。 それが現実というもの野様に思います。 

 

そういえば 友人の律動法の療法者 青木さんが師匠に 脱力という極意を突き詰めていくために やらされたのが ”摺り足”による研鑽だったんですよね。 で 若い頃 ”走る”という事を研究されながら ハーフ65分辺りで走れるようになられたランナーですら 10年以上 ほぼ毎日 1-2時間 摺り足をくりかえされて 追われたのが ”脱力という極意”なわけなんで 実際は 私ごときが 走りながら 追えると考える方が失礼。 脱力という極言って そういう次元の話のようなんですよね、なので ある意味 ようやく目が覚めてきたといえるのかもしれません。

 

さらに言うと 合気道の世界で言われているのも ”歩く姿が 即武道” でなければならないという事だそうですし 武道家の 日野晃さんが 注目されてたのも 塩田剛三師の歩く姿で 氏の意見では 塩田師と 初見さんという方 このお二人の 歩き方というのは ほかに見た事が無い 運動所作だと 語られてたんですが 青木さんの研鑽からみても やはりここに何かあると考えるが 道理で ただ 恐らく これは底なし沼のように深い世界という覚悟も必要かと 考え始めています。

 

 

ただ 今日 まあある意味 本気で 歩きだけで 動かないで動く 脱力で動く 他力で動く。 まあ 言葉は何でもいいんですが それを追いかけてみて そこで学んだことを活かして走ったら まあ 今あ迄とは次元が違う ”何もしない” 走り方というのが みえてくるもののようなんですよねびっくり 私は バイクはいま いかに自分を消しに行くかを研鑽してるんですが 恐らくランもこういう方向になっていくと思っています。 (というより 最終的には 立つ も 歩く も 走る も 漕ぐ も 泳ぐ も すべて一緒 自分で何もしないで前に進む。 そこが私が目ざす世界になっていくと考え始めています)

 

そういえば 私が アイアンマンに興味を持った 最初のきっかけって IMNZのコース沿いに住む親戚の家に遊びに行くときに たまたま IMNZ の日で NZのレジェンドで 私が唯一名前を知ってたトライアスリート キャメロンブラウン選手が通りかかったんで どんなもんなんだろうと興味がわいて しばらく後ろについて 走ったことがあったんですよね。 で その時 居メロンブラウン選手は 体が全く動いてないように見えるのに 彼は前に移動しているという 不思議な光景を見て この仕組みが全く分からず 恐らく これが私がアイアンマンに興味を持ったきっかけだったのかと 振り返ってみて思います。

 

となると  いろんな紆余 曲折を経て 8年くらい 脱力という極意だけを追いかけてきて ようやく あの日感じた疑問に対する答えが見えてきているのかもしれないですねびっくり まあ 自分は 動いていないように見えるのに 前に進んでいる人の動き方が ”動かないで動く”という動き方というのは まあ 言葉だけ見れば 当たり前すぎる話かと思いますが笑い泣き まあここまで来るのにも 8年とかかかってる話ですし これからも 此の”動かないで動く” 突き詰めていこうと思っていますニコニコ