こんばんわー。  さて今日は三連休の最終日だったんですが 今日も トライアスロン 三種目を使った 脱力という極意の探求 満喫してまいりました。 で 今回の三連休で得た 話の進展 間違いなく 此れまででダントツ一番だったようなんで また すごく有意義な休みを過ごせたように思いますお祝い

 

最近 私 ブログに 研鑽の中で 見つかったこと 詳細に 書き残してるんで 自分の練習ノートには ものすごく大事と感じた時しか 書き残さなくなってるんですが 今日は 久しぶりに ノートに書き残したことが結構ありました。 で このブログにも 記録の為に 書き残ししておくとこういう事でした

 

いかに 自分は何もしないで 重心の移動という 現象を起こすか。

 

何もしない度 = 他力動法の技量

 

いかに我を消すか 無我の境地

 

バイク 自分の存在という抵抗

 

 

こんなところだったようですニコニコ

 

 

 

まあ ”重心移動” という言葉は 日本では 比較的よく見かける言葉かと思いますが これ 英語圏では そうでもないので 恐らく 武道の世界から来てる言葉かと思います。 で 脱力で動くというのは 自分では何もせず 此の重心が移動するという ”現象”を引き起こすことのようで これはどうやら 三種目とも共通のことのようです。

 

で よくよく考えて見ると 以前 律動法の 療法者 青木さんに 青木さんが 研鑽積まれた ”摺り足”の事を 聞いてみた時 

青木さんは ”正中をブラさずに 水平に  重心を移動する” という研鑽という事だったんですが 要するに どうも これを三種目すべてでやる。 これが私の目指している ”脱力で動く” つまり 上に書いた ”他力動法” の世界のようですね滝汗

 

でその後の青木さんとのやり取りの中で ”摺り足では 走れませんが” と 言われてたんですが ただ 青木さんが摺り足の研鑽積まれたの 陸上辞めた後なんで これは実際やってみないと分からないと思うんですよね。 そういえば 陸上やっていたころ 高橋尚子さんの ”地面を舐めるような接地” これは 天性のもので 真似ができないと感じられてたそうなんですが 私は実は 彼女が 脱力で動いていたから 此の ”舐めるような接地” 二なっていたのかと勘繰ってるんで 青木さんが摺り足では走れないと感じるのと 此の 舐めるような接地が天性のもので真似ができないと感じているの 基が同じ何じゃないかと 思うんで。 ただ 此れ 若い頃 ”走る” という事を研究されて ハーフ65分くらいで走れるようになった方が ”出来ない”と感じられることを 三種目ともそれでやることぉ目ざしているというのが 私の取組みのようなんで やっぱ性根据えて 私もまずは歩くから突き詰めていく。 そういう姿勢が必要だなーと 改めて思いました。

 

で 今日は ランで 私が目ざしているのが いかに自分で何もしないで 重心の移動という現象を起こすかだという事二気付いて それを 其のあと バイクでも 試してみたんですが 坂を上るのに さらに自分は何もしないで登るよう方法がみええてきました爆  笑 で 今日 此のいかに自分は何もせずに 重心が移動していく研鑽を 坂でやってるときに 意識していたのが いかに自分という存在を消していくかだったんですよね爆  笑 というのも 以前私が ”トルク”と感じていた 自分の筋行くに力を入れて クランクの抵抗に抗っている状態。 これは実はほとんど 自分の体重というものに抗っていただけで これさえ消してしまえば 坂ですら 自分の力は全く使わんでも バイクは登っていく。 それを今日 確認できたようなんで。

 

しかしまあ 今日ほぼ止まりそうなほど 遅いスピードで 自分で何もしないで 坂を上っている時に ふと思ったのが よくもまあ こんなインチキ臭いやり方 見つかったもんだよなー という事なんですよね爆  笑 サイクリストの宮澤さんが 力を使わないペダリングのことを ”一番難しい事だが ほとんどの人がやっていないトレーニング” と書かれてましたが まあ パワーメーター全盛で やれFTP だ Vo2Maxだという 出力側の数値ばかりがもてはやされている 今のバイクの世界で ”自分で何もやらない” ペダリングを探し続てる人間が そうはいるとは思えないんですが このペダリング 私この方向だけ追いかけて 8年近くかかって見えてきてるものなんで そんなの探してる人間自体いるのか? という世界の話のように思うんですよねキョロキョロ

 

まあでも 私自身 こんなトンデモナイ世界 8年近く前 このペダリングの存在を 宮塚さんが 75BPMで トップギアが回る とんでもなく楽なペダリングが存在することを 実数出して書き残しておいてくれたから これ迄 8年とかかかったのに 探し続けて来れた事なんですよね。 で こんなペダリングが存在すること 恐らくスポーツの世界では 誰も知らないとか そんな世界のことのように思うんで うーん 日本には 凄い人がいるなーと 改めて思いましたびっくり (スポーツの世界ではと書いたのは どうも合気道の方々は こういう 自分が何もしない世界の存在が見えている方々のように見受けているからなんですが)

 

そういえば サイクリストの宮澤さんも イタリアでプロとして 揉まれてた方なんで この人が ”ほとんどいない” と書いてるの 恐らく プロとしてやってる欧米のトッププロたちを含めてのことかと思うんですよね。 で 宮澤さん 此の力を使わないペダリングの事を ”一番難しい事なのだが” と書かれてますが 此れこちらの動画で 室伏さんが言われていた

 

 

 

”スポーツをする 運動をするって 筋行くに力を入れてやるって 思ってますけれども 力を抜くことの方がむずかしいという事を まず教えるべきですよね” という言葉とも 妙にかぶりますよねキョロキョロ で どうも 私の印象では スポーツの世界で 宮澤さんや 室伏さんの言われてること 理解できる人がどれくらいいるのか? 宮澤さんが言うように ”ほとんどいない”んじゃないかと 最近疑い始めています。

 

まあでもこれが 合気道の世界になると 塩田剛三師によると ”合気道では 体によどみを作らない為に 筋肉を鍛えてはいけないんだ” の世界だそうですし ”力を出すという事は 我を出す。 其れではいかん” ”自分でやろうとするのではなく 皆に協力してもらわねばならん” の世界のそうですので ここまでくると もう スポーツの世界の人間には さっぱり意味が分からない世界の話のように思います爆  笑 

 

 

 

こういう 塩田師の動画の中で 起きていること自体 今のスポーツ界で理解できる人がいるようには思えませんし爆  笑

 

 

思い返してみると 私 おっさんになって 健康の為にバイク乗りはじめて レース出始めた頃 バイクのトレーニングの情報とか 英語圏からのみからとってたんですよね。 (若い頃のイメージからして トレーニング理論とかに関しては欧米が最先端というイメージがあったんで)

 

ただ これ アメリカ在住の かなりバイクの事 詰められてたブロ友さんとのやり取りで この方が ” 英語で書かれた本で、そもそも自転車の漕ぎ方を解説した本を見たことないですね~。大体トレーニングメニューばっかり書いてある本が多くないですか?” といってて 私の印象も まったくその通りなんですが それですぐ こちらの情報だけでは物足りなく成って 昔 テニスジャーナルとか  スキージャーナルとかの雑誌で 私には よく分からないっ程 ディープな技術の議論されてたの 覚えてたんで 日本だったら もっと深い話があるんじゃないかと思って 日本の情報を探り始めたんですが まあ 其の事自体はあっていたものの 合気道の世界とかまで行くと もう完全に私の想像をはるかに超越する世界の話しでした笑い泣き

 

そんな感じで ここ8年くらいの間に 正直 私ごときには お目にかかれただけで光栄と感じるような 様々な ”言葉”を目にしてきたように思います。 で 常々 こういう言葉の持つ 力みたいなものに 圧倒されてきたんですが まあでもよく考えて見ると 私が目にしてきた言葉には 上にあげた方々が 人生をつぎ込んで積まれた研鑽でたどり着かれた 答えが詰まっていて 要するに こういう方々の人生そのものが詰まっているわけなんで よく考えて見ると ものすごい力が詰まっていて 当たり前の話しですよね。

 

私は常々 ラグビーの世界で 最強軍団の地位をずっと保ってきた オールブラックスの強さの秘密は このジャージの為に 血を流し すべてをグラウンドで 出し切ってきた 先達たちが築き上げてきた 文化や伝統。引いて言えば  そういうものの上に成り立っているように感じてるんですが 上にあげた こういう方々が 遺してきた言葉。 そこに詰まっている 彼等の必死な研鑽の歴史 まさに 生きざま。 こういうものも 日本のアスリートにとっての 文化で有り 伝統。 そういうものなのかと思いはじめています。

 

ただ よく考えて見ると 日本では スポーツの世界でも よく ”心技体” とか ”柔よく剛を制す” みたいな 武道を起源とする言葉も 息づいているように思うんですよね。 柔道の世界で ”木村の前に木村無し 木村の後に木村無し”

 と呼ばれた 木村政彦さんが 塩田師との対談の中で ”武道の国、日本の伝統を受け継ぐ若い人間に登場してきてもらいたいもんだな” と言われていたそうですが 武道の世界のみならず 日本で運動に取り組む者は全て実は この ”武道の国 日本の伝統を受け継ぐ” 後輩。 その様に感じ始めています。

 

私常々思うんですが 上の 宮澤さんとか 室伏さんの言葉とかからみても 今のスポーツの世界で ”脱力が極意” だという概念を持っている人自体 ほとんどいないんじゃないかと思うんですよね。 ただ 日本人であり 日本語がわかるというだけで ”脱力が極意”という まあ 穿破甥の言葉借りると ”最大の武器” 二なり得る概念を 知ることはできるわけなんで ほんと有難い話だよなーと 最近痛感するようになってきました。

 

最近 何人かの ”治療家”の人たちに リアル ブログを通じて 知り合う幸運に恵まれたんですが こういう方々も まさに ”武道の国 日本の伝統を受け継ぐ” 方々なんでしょうねー。 皆さん 知り合えたことが光栄だと感じるくらい ご自分の道を 必死に歩いている方がたでした。

 

で そのうちの一人の方は 治療家としての道を歩んでいるうちに深くかかわるようになった ランナーの方々が 末永く 走れるようにと 私財をなげうって ランナーを守る 靴下を開発し 改良を重ねている方なんですが この方が 此の靴下のことを 

ランナーたちとつないできた “襷” 都表現されてて ご自身 これ迄 長年にわたり 研究し身に着けてきた 技術を 襷のように 未来につないでいくことを夢見てる方のようなんですよね。

 

此方の動画で

 

塩田師のお孫さんが ”合気道の神様 塩田剛三が亡くなる前に伝えたかったこと” と副題をつけられてるんですが こういう 塩田師が 晩年 高弟の方々相手に お自分の学ばれた事を 言葉に託して 遺そうとされた事。 こういう言葉の数々こそがまさに この治療家の方が ”襷”と表現されたものなのかなーと ふとそんなことをお思いました。

 

まあこういう治療家の方々の”生き様’みたいな物に触れながら 様々な方々のこれまで 見掛けてきた ”言葉のヒント’ のこt考えて見ると こういう言葉 すべてが この方のいう  ”襷”みたいなものなのかなーとそんなことを想いました。 日本に生まれ 日本語が母国語のお蔭で こういう素晴らしい 言霊に触れられる僥倖に感謝し 少しでもその幸運を活かせるよう 精進を積んでいかないとなーと 思いを新たにしましたニコニコ