こんばんわー。 さて今日は三連休の最終日 今日もトライアスロン三種目を使った 脱力という極意の世界の探検 満喫してまいりましたニコニコ

 

しかしまあ これ 今の私の日々って こういうものなので どうしても こういう表現になってしまうんですが 冷静に考えてみると 世界のトライアスリートの中でも こんなこと毎日してるの 私だけなのかもしれないですね爆  笑 まあ でも 恐らく ”極意”なんてものを追いかけてれば 自然とそうなるというか どう考えても もともと ”極意”って 言葉の意味自体 そういうものかと思うんで まあ 自然の成り行き もうあまり気にならなくなりました爆  笑

 

うーんしかし 最近 えらく気になり始めていることがあって それが 実は “氣”というものの事なんですよね。 こう ブログ書いてても 既に二度も ごく自然と ”気になる”という言葉使ってるように 日常会話の中でも 此の ”気”が付く言葉 やたら使いますよね。 で 此の 気という言葉が出てくるたびに やたらなんか引っかかるようになってきました。

 

気 というのは 旧字体では “氣” と表記されてたモノですよね。 で 私 此の旧字体の存在意識し始めたの 実業団まで 陸上の持久系やられてて すごく深い情報交換させていただいていた ブロ友さんが 元氣 のように この字のほうを意図的に使うようにしてると ブログに書かれてたんで 意識に上ってきたものだったんですが 私のイメージだと こちらの字を使うと 中国の古典に表記があり 英語では ”qi"とか  "chi"と表記される 中国発祥の “気功” の "氣" そんなイメージがあって 我々がよくつかう 新字体の 気 というのは それより意味的に薄いというか 英語でいう ”Feeling" レベルの意味というか そんな感じがあるんですよね。

 

ただ 最近 この事考えてたら 日本語の気の付く言葉って 元々 英語で ”Chi”と表記される方の ”氣” まあ わかりやすく言うと スターウォーズの ジェダイがいう ”フォース” の方の ”氣”の方が よっぽど意味を成すというか 元々 気の付く言葉って 今イメージされてるものより もっと深い意味があった言葉がほとんどなんじゃないかと感じるようになってきてるんですよね。

 

例えば 此れは最近よく書いてますが よく使われる言葉に ”気のせい” という言葉があって これ 勘違いのような 否定的な意味で 今使われることが多いかと思うんですが もともと ”せい”は ”所為” と書くもののそうで さらに ’”気”を “氣” 

 つまり フォースの方の “氣” と考えると 氣の為すところ となり 意味が全く変わってくると思うんですよね、

 

で 私以前 自分がアイアンマンに挑むことになった過程 ここには ”運命の歯車”みたいな物が働いていたように感じていて そういうタイトルで ブログ記事を書いたことがありましたし 最近の 律動法の療法者 青木さんと出会い NZに招いて 診療の旅を一緒にすることにいなったのも そこには 運命の歯車のようなものが働いていたように感じていて こういうのをほんとは “氣の所為” というんじゃないかと思い そのタイトルで記事を書いたこともありました。

 

で まあ ”氣” 英語でいう ”Qi” ”Chi” の方というのは 英語では ”Life Force” という風に定義されてて まさに ”フォース”の世界なわけなんですが そう考えると こちらも すごくよく使われる ”病は氣から”と書けば まあ 当たり前の話になりますよね。 (今の用法だと 気持ち的に落ち込んでるから 病気になるみたいな すこし薄れた意味になっているように感じますが) 

 

で 以前 語源調べてて一番びっくりしたのが 我々が 下手すりゃ 最もよく使う言葉かもしれない ”元気” なんですよね。 元々この言葉 ”中国の宇宙生成論で,万物生成の根本となる精気。” から来てるそうなんでびっくり (まさに ジェダイのフォース の世界ですよね)

 

 

あ因みに 私 このブログで 昔から すごくよく ジェダイとか フォースの事書くんで すごく気になってたんで 色々調べてみたんですが 元々 ”ジェダイ” というのは 時代劇 特に 黒沢さんの世界とかの大ファンのジョージルーカスが ”時代劇” をもじって 作った言葉だそうで  ヨーダのしゃべりかたは 語順が 日本語もじりであることは英語圏では良く言われることなんですが マニアの間では ヨーダのモデルは2説あるそうで ひとつが 合気道の創始者 植芝盛平翁の師匠で 合気道の基になった 大東流合気柔術の祖 武田惣角氏という説 もう一つは 合気道の 塩田剛三師 だそうなので 何方にしろ 日本がらみ 合気道がらみの世界の話しのようで もともと スターウォーズ自体 かなり時代劇意識して作られたもののようですねびっくり (そういえば チャンバラ ばかりですよねキョロキョロ

 

ちょっと話がそれましたが 此の “氣”という言葉 なんかすごい興味深いんですよね。 というのも 例えば 合気道では 旗なんかにも 此の “氣”が見られ もともと “合氣道” と書くようなんですが 塩田師のお弟子さんとか お孫さんに話聞いてると 塩田師自身 晩年まで “氣”というもの 余り信じていなかったそうで お弟子さんたち自身も 実はそうなんだそうなんですよねびっくり (合氣道を 生涯やられてて 晩年まで “氣” を余り信じていなかったというのも 凄い話のように思いますがキョロキョロ

 

ちなみに これ 合氣道 の話しだけでなく 私の友人 青木さんがまなんだ 律動法の創始者 茂木昭さんは ”気の治療学”という本を書いているんで まさにそのまま ”気の治療”なわけなんですが ただ 茂木さん この本の中で 氣云々を追いかけてきたわけではなく 最高の手技治療を追求してきたら 気にたどり着いただけの話しだと書かれていて この本とか読みながら 律動法を学ばれてきた 青木さん自身 氣というものには 最初ずっと抵抗があったといわれてたんですよねびっくり その時も 青木さんと この ”抵抗”みたいなものって どこから来てるんだろうね? という話にはなったんですが 日本語の気の付く言葉  

フォースの方の “氣” と考えた方が 意味がよく通る言葉も 多いですし 元々 “氣”と書くものなわけなんで ほんと この  ”抵抗” みたいな物 どこから来るんだろうと 不思議に思っています。 

 

で どうも戦時中はまだ ”氣”と書かれていた様で どうも 占領軍の指示で ”気”に変わったらしいんですが よく考えてみると 日本って 敗戦国 占領国だったわけですよね。 私NZという英国の植民地に住んでいて 妻には NZの原住民 マオリ族の血が少し入っていて マオリの世界には かなりつながりがある方なんですが 植民地だけあって 一度 マオリの言語は 完全に禁止されてた時期があって 今 必死に 昔の言語 文化を取り戻そうとしてはいるものの やはり この過程で 昔の言い伝え 文化など かなり失われてしまった部分も多く やはり ”魂”みたいなものを 抜かれてしまっているように感じる部分は 見てて否定できないんですよね。

 

私 子どものころ よく お年召された方とかが ”大和魂はどこに行った”みたいなこと言ってて 時代錯誤なこと言ってんなーとか 思ってたんですがショボーン NZのマオリ族の状況見た後で 日本の状況見てみると やはり同じように 昔の文化 それこそ ”魂”みたいなものが かなり失われている印象は否定できないんですよね。 どうも この ”氣” というものに対する 抵抗みたいなものも その辺から来てるように 感じ始めています。

 

 

で 昨日 私

”今日は ランに出かけるときに 何故か 気が向いたので 湖沿いのアイアンマンのコースで 久しぶりに 裸足で研鑽を痛できました。 ”


と書いていて さらに 

 

”私 最近 此の ”気が向く” という現象 無視をせず なるベく 聞くようにしているんですが やっぱ こういう 気が向くという現象って それなりに意味があるように思うんですよね。”

 

と書いていたんですよね。 で ここで 八尾彰一さんというトライアスリートの方の 師匠  公言どおり 世界記録で世界一になられた 城本徳満さんについて書かれた

 

””城本さんは、やりたい練習をする。

 

潜在意識にアプローチして

 

インスピレーションでPDCAサイクルをまわす

 

教科書を持たない本物でした。”

 

という言葉を引用して ”結局 此の ”気が向く” とか”気になる” こういうのが 此の ”潜在意識”に引っかかっていることなのかと 最近考えています。” 


と書いていたんですが どうも 潜在意識なんて 小難しい言葉引っ張り出してこなくても ただ単に “氣”に引っかかってる。 つまり “氣にかかる”から “氣が向く” 。 ただそれだけの話しなのかと思いました爆  笑

 

 

で 此の ”氣” というものが 氣になり始めたのは爆  笑 今年の始めに 律動法の青木さんの診療の旅を 通訳として お手伝いしながら ある意味 特等席で この ”気の治療” というものを眺めるすばらしい 経験をさせてもらってからなんですが なんか其れ以来 実は すべてのことって ”氣の所為” なんじゃないかと感じるようになってきてるからなんですよね。 

 

例えば アイアンマン挑戦を思い立ったこと。 そして その一環として このブログをつけ始めた事。 此れも 何となく そういう事二 ”氣が向いた”からだったんですよね。 でよく考えてみると このブログに書くこと。 というより 我々が語る言葉のほとんどすべてって 上の城本さんについて書かれていた なんらかの ”インスピレーション” があるから 言葉にするわけで こういうのも 結局 ”氣” の為す業 つまり ”氣の所為” なんじゃないかと 思いはじめています。

 

 

でよく考えてみると そんな感じで 気の所為で アイアンマンに興味がわき このブログをつけ始めることで ここまで ほんといろんな 方々から いろんなことを学び いろんな形で 影響を受けて 今の自分があるのは此れ間違いない事なんですよね。 まあ 私のこのブログ 私の脱力という極意の世界の探検の歴史の記録といっても過言ではない内容のように思うんですが爆  笑 まあ このブログ そんなこと書くつもりでか書きはじめたわけではまったくなく ただ 懸命に取り組みながら そこで学んだこと書き綴っていたら まあ 滅多にいないほど 横柄で 人を尊敬したことなど ここまでほとんどなかった私が ブログ通して この人の取り組みの真剣さには私勝てないと思い もしかしたら生まれて初めて この人怖いと思った ”先輩” に 脱力という極意が 最大の武器になるという 今振り返ってみると いったいどんな次元のはなしをしてんだ? と思うような爆  笑 トンデモナイアドバイスをいただいたことで そこから 8年近く それだけを追いかけてくることになっただけの話なんですよねびっくり

 

で 振り返ってみると アイアンマン そして このブログを通して 私ここ8年くらいで それより前の自分と 全くの別人のような人間に いつの間にかなってるようなんですよねびっくり 私 このブログ付け始めたの 二度目のマラソンに向けて テーパーで 手持無沙汰の時に 昔よく母に ”文章を書きなさい”といわれてたの思いだして 暇つぶしとして つけ始めたモノですし爆  笑 アイアンマンに向かう事二なった最初のきっかけって 息子たちに 小児喘息の気があるという診断が出て 昔 喘息にいいいと聞いた覚えがあった 水泳でもやらせてみるかと思い 近所のプールの家族パスを買ったら 極端な貧乏性の私は 自分だけでもとっとと元を取ってしまおうと 子どものころ 水泳だけは唯一嫌いなスポーツだったというのに 毎日プールに通い始めた事だったんで うーん “氣の所為” の威力 半端ねーなーと思いました爆  笑

 

 

まあそんな感じで ”氣の所為” で まさに 何かに偶然躓いたかのように爆  笑 出会った 脱力という極意の世界だったわけなんですが なんかもう 今 目が覚めている間は それに割ける時間はすべて割いて それだけ追いかけている。 そんな状態になってきてるようなんですよね笑い泣き 流石は ”極意” トンデモナイ世界だなーと 最近 つくづく思います笑い泣き

 

そういえば 千代の富士関の肩の脱臼癖の治療に 気の治療で当たられた 合氣道の 藤平光一さんが 気というものを説明されてた時に 1は 常に2分の一 其のまた半分と 永遠に半分にできて ゼロになることはない。 こういう ”無限相” こういうものを総して 気といっている。 という旨の説明をされていましたが この脱力の世界も まさに 常により少ない力 にしていける 無限相の世界。 つまり 無限の伸びしろの世界のようなんですよねラブ 

 

まあ 無言の伸びしろの分 終りのない世界であり 先を急くと ろくなことにならないですし 意味もない世界の様なので 一歩一歩確実に 歩を進めていこうと思っていますニコニコ