こんばんわー。 さて 今日は三連休の最終日 また 抜けるような青空の下 その空に負けないくらい 晴れ晴れ治した気持ちを感じながら より深い脱力の探求 つまり 極意の世界の探検という 至高の時間を過ごしてまいりましたニコニコ

 

今日 三種目ともやってて ひとつ頭に浮かんでいたことがあるんですが それが 結局のところ 何事においても すべての瞬間という 誰にでも与えられている無限のチャンス。 これをどれだけ モノにしていけるかで 勝負は決まってくるんだろうなーという事なんですよね。 

 

私 正直 持久系自体苦手な私が アイアンマンとか マラソンとかに 何で挑み続けるのか。 こういうレースに打ち負かされるたびに ”何の因果で” という想い しょっちゅう感じながら 此れまで取り組んできたように思いますショボーン 私 それなりに 若い頃 スポーツに関して 自分のできる事はすべてやったという想いがあったんで そこまでスポーツに未練があったわけでもなかったわけですし。

 

ただ アイアンマンと言うものに挑み コナレベル つまり 世界レベルのアイアンマンアスリートになるという事を夢に持ち 8年近い努力を積み重ねてきて いま思うのは こうやって 苦手な持久系に挑み始めた事自体 やっぱ意味があったことだったんだなーという事なんですよね。 

 

私 若い頃 努力というものの 本当の意味 本当の姿を 全く知らなかったようです。 というより 私 ”本気になる” ということがどういうことなのか それ自体を知らなかったんだと思います。 で 自分自身 どうやったらそこにたどり着けるのか さっぱり見当もつかないほど遠くにターゲットを置くことにより 誰にも負けない努力を積み重ねている人たちの世界に触れ 人間の可能性というものを どんどん再定義しながら 本気で生きるという事がどういうことなのか それを今 自分自身実体験を積みながら 学んでいっているような気がします。

 

ただ 最近思うのは 若い頃見えなかったレベルの努力というものの存在に気づくこと これ自体実は 苦手なものに挑んでいるから見えてきたという側面もあるのかと思うんですよね。 というのも 自分の体験からも 持久系の得意な人たちの様子見てても 得意なものって 通り一遍の努力してても それなりの結果がどんどん出ちゃうんで それ以上の努力の領域の存在って 中々見えてこないものなんじゃないかと思うんで。

 

私自身 振り返ってみると やっぱ 小学校のころ 事サッカーというスポーツに関しては 自分の小学校では 完全に抜けた存在だったんで やっぱ そういうときって 自然とその状況にあぐらかいてしまうというか なんかがむしゃらにさらに上を目指すという ハングリーさみたいなものって もてなくなるように思うんですよね。 なにげに人間 その時の自分では 歯が立たない人間が周りにいるからこそ 負けるかクソが という 底力みたいなものが出てくるものかと思うんで。

 

その意味でいうと 苦手なスポーツに取り組んでると 正直 受け入れがたい 悲惨な結果しか出ないわけなんで笑い泣き この ”負けるか クソが” という底力みたいなものが ずっとでっぱなしの状態になるようなんで それで若い頃見えなかった次元の努力の世界が見えてきてるのかとふと思いました爆  笑

 

 

ここのところ 人を癒すために 長い間 ものすごい努力を積み重ねてきた 治療家の方々お二人に リアル ブログを通して出会い 彼等の歩んできた歩みを 学ばせていただく機会に恵まれたんですが 何方の方も 今に至る歩みに 氣の所為というか 天の意思というか そういうものを感じるんですよね。

 

で私自身 先日 息子に ここまでの歩みのことを聞かれ 答えている時に 結局 私の性格を顧みると 此の タウポサイクルチャレンジや アイアンマンという まあこの国の持久系の最高峰と呼ばれる町に住んだのが運の尽き 私のような 超負けずきらいの人間というのは こういうレースが 地元である以上いつの日か こういうレースと ぶつかる羽目になる 避けられない運命だったのかなーと 答えていた自分がいたんですが 実際そういうものだったのかもしれませんね爆  笑 でさらに考えると こういう 元々苦手で 大嫌いだった 持久系のスポーツの最高峰と呼ばれるレースに一つが地元であったこと。 それ自体が 脱力という極意に出会うきっかけでもあったんで こういうのも すべては氣の所為 天の意思 そういうものなのかと ふと思いました。  そういえば 以前 私に 脱力という極意が最大の武器になると教えていただいた先輩とのコメントのやり取りの中で 私は 若い頃の忘れ物を今取りに行っている感覚があると 書いた覚えがあるんですが 結局 この ”忘れ物” こそが 若い頃は知る由もなかった 脱力という極意そのもの。 どうもそういう事なのかと いま思いはじめています。

 

先日 こういう動画を見つけて  載せてきましたが

 

 

室伏さんが ”スポーツやる 運動やるって 筋肉に力を入れてやるって 思ってますけども” といわれてたんですが 私にとっても スポーツする 運動するって 力を入れてやるのが つい最近まで 唯一の方法だったんですよね。 ところが 脱力で動くというのは この正反対 力を入れずにやる 運動の仕方の訳なんで まあ ある意味 この鳥になって 自分が常識だと思っていた物が 真っ逆さまにひっくり返される。 そんなことが起きているようですびっくり

 

私 これまで 何度か ブルーハーツの 情熱の薔薇という歌の こういう歌詞を引用してきたんですが

 

”見てきたことや 聞いたこと 今迄おぼえた全部 デタラメだったら面白い そんな気持ちわかるでしょう?”

 

結局のところ 脱力が極意であることを知るという事。 此れは 運動とは 力を入れてやるものだとばかり思っていた私にとっては まさにこの "見てきたことや聞いたこと 今迄おぼえた全部 デタラメだった” という事の他ならないんですよね笑い泣き まあでも こういうの 昔の私だと 悲劇的にとらえていた可能性が高いように思うんですが 今の私は この歌にあるように こういう事を ”面白い”と感じるようななってきてるようです爆  笑

 

私は 最近 バイクは 坂を自分の筋力 全く使わずに登る研鑽 此れしかやっていないんですが 今日は やばいくらい 自分の力を全く必要としないペダリングが 姿を現しはじめていましたびっくり (これ なんか変な表現ですが 自分が感じたことを素直に表現したら こういう表現になったんで このままにしときます)

 

で そんな研鑽積んでて 頭に浮かんだのが ”力を使わないペダリングとは” という記事の中で サイクリストの宮澤さんが ”力を使わないペダリング”の事を ” 一番大事なことなのだが ほとんどの人がやっていないトレーニングがあることに気づいた” と書かれてたことなんですよね。 というのも 何々筋だとか やれ FTP だ VO2Maxだという話ばかりの今のバイクの世界で こんな自分で何もやらずに坂を上るペダリングの探求だけを繰り返している人間がいるとは とてもじゃないけど想像がつかないというのが 私が今日研鑽積んでて 感じてた正直な気持ちだったんで。

 

しかしまあ 今 私に見えてきているペダリングが見えてくるために 私 バイクに関しては 成績が落ちていくことも まったく意に介せず 8年近くかけて ひたすら ”漕がないという漕ぎかた” 合気道の 塩田剛三師の言葉借りると ”自分で何もやらない”ペダリングという方向性だけを ひたすら追いかけ続けてこなければ ならなかったことなんですよね。

 

で 振り返ってみると 私のバイクの研鑽がこうなったのって ひとえに 先ず トライアスロン向けのペダリングがあるんじゃないかという疑問が バイクのロードレース中に頭に浮かび その後 自分なりに研究してたら 自分の筋力の代わりに 体重という力を 骨格の持つ力が バイクで使えそうだと思いはじめ 其のころバイクの情報とってた 英語圏では そんなこと言ってる人 見掛けたことが無かったんで 日本語で検索してみたら 宮塚さんの ”骨で動くトライアスロン研究会”という副題がついtブログにたどり着き そこで見掛けた 宮塚さんが生徒さんの前でデモされてた 氏いわく ”運動とは呼べないレベル”の低強度で トップギアが回るペダリング。 これを追いかけ始めたことがすべての始まりだったようなんですよね。 

 

ちなみに 私のペダリング 実はここまで 毎年 自分でも信じられないくらい ”楽なペダリング”というのが ずっと見つかり続けては来ていたんですよね。 ただ それでも ここまでずっと もっと楽なペダリングがあるはずだと 突き詰め続けて来れたのは 宮塚さんの トップギアを50RPMで回している時の 心拍が75BPMという 驚異的に低いもので これを実数を示して 書き残されていたこと。 そして スイムは決して早いとは言えない宮塚さんが そこから トップ10に食い込むためには 恐らく 世界選手権の 前半分をバイクパートから先で ことごとくぶち抜くというレースをされてたはずだという 圧倒的な事実 こういうもののお蔭だったように今振り返ってみて思います。

 

今日ふと思ったのは 最近 二人の治療家の方々のあゆみを見させてもらって 思った 氣の導きというか そういうもの 私も そういう導きに従って 歩んできたのかなーという事だったんですよね。 なんていうか このブログ書きはじめてから 沖ったことって 私一人では 到底たどり着けない世界の話しばかりだったと思うし なんていうか 自分というちっぽけなモノとはくらべものにならない 大きな流れみたいなものにみちびかれながら 必死に歩みを進めてきた。 そんな感じがすごくしてきてるんで。

 

今日 バイク乗ってて思ったのは こんなペダリングが存在し それが私には見えてきている。 しかも 今の世界で この方向突き詰めている人は 恐らく滅多にいないはず。 こういう条件がそろってきてる以上 私の先行き すごく明るくなってきてるなーという事だったんですよね。 今日も 晴れ晴れとする 素晴らしい青空の一日だったんですが 私の心も それに負けない 晴れ晴れとした気持ちだったですしニコニコ

 

しかしまあ 此の 脱力の世界 元々 普段立ったり歩いている時から 意識していないと 探りきれるものではないようですし 逆にいうと 別に トライアスロンの研鑽積んでる時だけでなく 普段から 研鑽が積めるもののようなんですよね。 まあ 好いうものが見えてきた以上 どこまで行けるかは どこまで詰め どこまで 身に着けられるかの勝負となってくるみたいなんで 

ここまでの 氣の導きに感謝し さらに深く 突き詰めていこうと思っていますニコニコ