こんばんわー。 さて 今日もお休み となれば 当然 三種目まんべんなく使って より深い脱力の世界の探求 満喫してまいりましたニコニコ

 

今日も 私の様子を見た 妻が ”またやけに幸せそうね” とつぶやいたので爆  笑 昨日 雲一つない青空のような そんな晴れ晴れとした 心持だという事を ブログに書いたことを伝えたんですが どうも要するに そういう事のようで いま 私 ことトライアスロン というか 運動選手として なにを追いかけるべきなのか。 その点について 一点の迷いもなく まるで 雲一つない青空のような心境だから そう感じているようだと 妻との会話の中で わかりました。 まあ 妻はもともと 私より高いレベルで運動やってた人なんで そういう事なら 確かにこの上なく幸せなのも分かるといっていましたニコニコ

 

まあでも 結局 わたしこれまで 迷いだらけだったんで まるで 雲だらけの どんよりした空のような そんな心境で ずっと過ごしてきたことの裏返しでもあるんでしょうね笑い泣き まあ 我ながら そんな状態で 8年近くとか よく晴天側に突き抜けるまで 精神的に もったもんだよなーとも思いました爆  笑

 

ただ 心がすっきりしてきたのと同時に これはもっと性根を据えんとなーと 兜の緒を引き締めるような心持であるのも確かなんですよね。 というのも ここにきてようやく 脱力が極意 つまり 運動やってる以上 実は 脱力を追いかける事以外にやることなんてないし 実際 そんな余裕もない という事までは分かってきたんですが 伊達に極意なんて呼ばれてるものではないわけで 正直 性根据えてかからんと 歯が立たない。 そういうものであることも 分かってきてるようなんで。

 

その意味では 昨日載せた この動画見つけた事は 個人的にすごく勉強になったように思います。

 

 

 

 

この動画の中で 室伏さんが ”スポーツやる 運動やるって 筋肉に力入れてやるって 思ってますけども 抜く方が難しい ってことを まず教えるべきですよね” と語られてたんですが これ迄 私 何度も書いてきたように 私にとって 運動って生まれてこの方  力を入れてやるものだったんですよね。

 

で 問題は 力を入れて運動するのと 力を抜いて つまり 脱力で運動するのって これ 仕組み的に 正反対のものになるようなんですよね。 この動画の中で 室伏さんは 能動筋と 受動筋の話をされてましたが 個人的に 力を入れて運動するのと 力を抜いて運動するのとでは 能動的な運動の仕方と 受動的な運動の仕方 こういう風に 仕組み的に 真逆の方向を向いた 運動の仕方になるように感じているので。

 

結局のところ ”トライアスロンは 掻かない 漕がない 蹴らない” なんていう言葉が存在するのには それなりの理由があるようなんですよね。 実は 掻かず 漕がず 蹴らずにも 泳ぐ 漕ぐ 走るという動作は 成り立つものの緒ようなんですが 恐らく 世のなかには 掻くことで泳ぐ泳ぎ方、 漕ぐことで漕ぐ漕ぎかた 蹴ることで走る走り方というものがあるから こういう言葉が存在するのかと思いますし この二つのやり方 方向的に正反対の仕組みのようですね。 

 

で例えば ”漕がない” という漕ぎかたなんですが この漕ぎ方で 例えば 競輪とか バイクのトラック競技のスプリントとかで必要な 時速70キロが出るのかといったら 私にはそれは分からないのですが 此の”漕がないという漕ぎかた” ひとつだけ間違いないのは これが最も疲れない漕ぎかたである都いう事 つまり これが最大効率の漕ぎかたであるというのは 間違いない事のように思うんですよね。 (なんせ ”漕がないで漕ぐ"漕ぎかたなわけで これ以上楽な漕ぎかたというのは 存在しようが無いかと思うんで。)

 

まあ だから ”トライアスロンは 掻かない 漕がない 蹴らない” なんだろうと思うんですよね。 トライアスロンというのは すくなくとも アイアンマンの距離ともなれば 例えば 長距離のランが得意 それだけで通用するほど 甘い世界では無いようなんですが これは結局 ランだけでなく 三種目とも 最も楽なやり方で出来てこそ なんぼ。 そいういう事かと思うんですよね、 だから まあ 掻くことで泳ぎ 漕ぐことで漕ぎ 蹴ることで走ることもできるんだけど トライアスロンでは 掻かず 漕がず 蹴らずに走れる奴が有利。 そういう事なんだと思います。

 

 

宮塚さん ランで ”筋力は無いものと思って” とアドバイスされてたそうですし ”筋力の頼らない 骨バイク” とか ”筋肉に頼らない走り方を身に着ける 骨ラン” などを セミナーのテーマにされてるようなので まあ 要するに 脱力で動くという事なんでしょうが これはそのまま こちらの動画で 

 

 

合気道の塩田剛三師が言われていた ”自分の力はいらない” とか ”自分でやろうとするのではなく 皆に協力してもらわねばならん” という世界とつながっている話かと思うんですが これはそのまま 塩田師が 日本柔道最強とうたわれた 木村政彦氏との対談の中で言われていた ”合気道では 体によどみを作らない為に 筋肉を鍛えてはいけないんだ” これともつながっている世界かと思うんですよね。 で ”筋肉を鍛えてはいけない” なんて 今のスポーツ界でいったら 誰も意味が分からにあんgじゃないかとか そんな世界の話しかと思うんで 実は脱力で動くというのは そういうトンデモナイ世界の話。 そのように思うようになってきました。 

 

まあ そんな世界だからこそ 性根据えてかからないとにっちもさっちもいかないように思うんですよねショボーン 特に 今日ランで思ったのは 脱力の世界って 学生のころ その大学の陸上部では珍しく 走るという事を研究されながら 取り組まれ ハーフで 65分くらいというレベルのランナーになられた 律動法の療法者 青木さんでさえ 10数年 ほぼ毎日1-2時間 擦り位足に取り組まれて追いかけたとか そういう世界の話しなんですよねびっくり なので よく考えてみると 私ごときには 走りながら 脱力を追いかけること自体が 百年早いとか そういう話かと思うんで 先ずは実は立つ歩く 此の辺から徹底的に詰めていく。 こういう謙虚な姿勢が必要に思いました。 

 

宮塚さん 以前 ”骨ラン」とは 自分の体重を筋肉だけで支えようとすれば、相当なエネルギーが必要となります。自分の体重を硬い骨に乗せることが出来れば、全身力を抜いても立ってられます。” と書かれてましたが 骨ランの説明するときに ”立ち方’ の説明されてるのは そういう事かと思うんですよね。 考えてみれば 力を抜いて立つ皓tができない人間に力を抜いて歩くのは無理かと思いますし さらに 力を抜いて走るとなれば 力の抜いて歩くより難しいわけなんで いきなりそれは無理かと思うんですよね。

 

まああ 此れは らくちんソックスを作られている まぼろし工房の方も おっしゃってたことなんですが 人間 走ってる時よりも 立ったり 歩いたりしてることの方が 圧倒的に長いわけじゃないですか? だから 例えば私のように 運動とは 筋肉に力を入れてやるものだとばかり思い込んだいたものが その真逆の 力を抜いて動く㋾目ざそうと思えば 此の 普段立ったり歩いたりしているときから 意識して 変えていかないと それは無理なように思います。

 

ただ 幸なことに ちあkらを抜いて動く場合 力の抜いて歩く と 力を抜いて走る という事の間には 実は仕組み的に そんなに差はないようで 違うのは スピード 其の程度の違いのようなんですよね。 なので 歩きの中で積んだ研鑽は そのまま ランの研鑽にも十分なっているようです。 

 

まあしかし 先日 ”慌てる乞食は貰いが少ない”という格言を引用しましたが この脱力の世界 ものすごく繊細な世界のようなんで ひとつで気いないことがあって それが 先を急ぐことのように思います。 まあ 通りで 以前 こちらのプールで見掛けた どうみても 技はナンバーワンと見受けられる 恐らくコナアスリートの人が 100m 二分という ハエの止まりそうなペースで 延々泳がれてたり 日本のコナアスリートの方が 毎朝 歩くより遅いくらいのペースでの 一時間程度のスロージョグを日課にしているとか 書かれてたわけだよなーと ようやく こういう人たちがやっている研鑽の意味が腑に落ちてきてるようです。 

 

先日 10年以上 ほぼ毎日 摺り足に取り組まれ 脱力を追いかけられた 律動法の療法者の青木さんが ”確かに この不思議な力(脱力)の出力が自在に使えたら アイアンマンの競技で すさまじい伸びしろがあるように感じますね” といわれてたんですが 私も この 脱力の世界って すごく ”不思議”な世界の様に感じてるんですよね。 なんていうか すべてが 私が知っている運動の世界とあべこべというかさかさまというか そんな感じがするんで。

 

例えば 私が8年近く ずっと追いかけ続けてきた ”漕がないという漕ぎかた” なんですが 此れ 冗談でなく 自分が漕ぐという動作をしなければしないほど良くなるペダリング。 そんな世界のようなんですよね。 (力を抜けば抜くほど良くなるとも言いますが) まさか こんなペダリングの仕方が存在するなんて 私には正直 想像しろっていうのが無理とか そんな話なんで ずーっと探し続けてきたこととはいえ 正直 いつも研鑽積んでて 唖然とする。 そんな日々が続いています笑い泣き

 

そんなこと考えてて 最近よく頭に浮かぶのが ”真実は小説よりも奇なり” という言葉なんですが 脱力でみえてくる 私にとっての新世界というか別世界というか なんかこの言葉がぴったりくる世界なんですよね。 (この言葉 日本では ”事実は小説より奇なりと書かれることが多いようですが 原文 ”The  Truth is stranger than fiction" のようで 英語のTruth は の本後の”事実”では ちょっと弱いんで ”真実”としときました)

 

まあでも 近言葉が存在するくらいなんで 元々 ”真実”ってえてして そんなものなのかもしれないですね。そういえば ブルーハーツの歌の中にも ”見てきたことや聞いたこと 今まで覚えた全部 デタラメだったら面白い そんな気持ちわかーるでしょう♪” という一節がありましたが 今私が感じてる ”面白さ’も こんな感じのように思いました爆  笑

 

まあでも 流石は ”極意”とまで称される 此の 脱力の世界。 正直 今追いかけてて感じるのは こんなものに挑める事歯すごく光栄なことだという事なんですよね。 なので 相手にとって不足なし。 明日も 時間体力精神力 というより ”氣力” が持つ限り この脱力の世界を突き詰めていこうと思っていますニコニコ