こんばんわー。 さて 昨日かなり苦しんだマラソンだったんで 今日はさすがに スイムとバイクで ごく軽い運動にとどめました。 ただ 昨日 マラソン相手に どうやったら もっと楽になるのかの研鑽をしこたま積んだおかげか そんな短い時間の中でも バイクスイムとも 今までにない話の進展があったんで 非常に興味深かったですニコニコ


まあふたつともさらに深い脱力をおいかけるきことにかわりはないんですが スイムでは私の場合 意識は脚の指先と仙骨がまっすぐになることに意識をおいて後はどれだけ脱力で泳げるか ここに注力すると良くなっていきそうな感じがしたんで書き残しておきます。

 

やっぱり こういうところが レースに出て しっかり現実を直視することの大事なとこなんでしょうね。 というのも 今 運動というのは 取り組めば取り組むほど 日々 楽になっていくものなんですが やっぱ マラソンのようなレースに出て まそれでもまだ 全然通用しない事を 実地で體を張って経験すると より楽にを探す本気さというかそういうものがやっぱ変わるようなんですよね。 なので 今回も ほろ苦い経験だったものの レースを経験出来て よかったなーと思いました。

 

昨日のレース 30キロ辺りまでと その先のギャップがものすごく 30キロから先 めちゃくちゃきついのを 意地だけで走りきったんで あのきつさが 印象にすごく残って 精神的にショックだったようなんですよねショボーン なので その印象が強すぎて 自分の実力のなさに対する ショックばかりに気を取られていたようなんですが あの後 色々レース振り返っていたら 違う絵柄が浮かび上がってきたようです。

 

昨日 姪が lレースどうだったか メッセンジャーで聞いてきたんで しばらくやり取りしてたんですが その中で 彼女が ”トレーニングの一部に見えるし がっかりする必要ないんじゃない?” といってたんですが 私よく考えてみると 元々 ロング走の代わりにしようと思って このレースエントリーしたんですよね。 で レース前は 今回は結果を気にせず あくまで研鑽の一環で走るつもりだったのに それでも サブ4辺りはなんとかなるんじゃないかという想いがあったようで 結局のところ 結果を気にしてしまい 出る前の意図の方はすっかり吹っ飛んでしまっていたようです笑い泣き

 

結局のところ 42キロ すっかり走りきったことで ロング走という役割はしっかり果たしたわけですし まあ 今できる範囲で より深い脱力で走るというのは どういものなのかの研鑽も 一歩ずつ積め 今日の バイクやスイムでの話の進展につなげられたわけで しかも 今の力で 42キロにどれだけ通用するのかも試せ 現状確認もできたわけなんで 実りの多い経験だったことに いまさら気づきました。 


で冷静に振り返ってみると まあ 急にでれるようになったから まったく準備もなしででたマラソンだったんで まあ結果うんぬん がっかりしても意味ないですよね。 実際には そんな準備まったくなしでマラソン出て 一応ははしりきれたわけなんで まあ以前の私にとっての " 現実" とは違う世界の話のようにも思いますし。


"現実"といえば これもおもいだしたので書き残しておこうと思うんですが そういえば走ってる感覚もかなり以前とは変化があったようなんですよね。 特に覚えてるのが 一ヶ所 なんかやけに回りのランナーが突然垂れて来てるなーと思ったら実は結構長い上り坂でそれでみんなペースが垂れてたようなんですが私実はいまいち走っててのぼりざかだということ自体気づいてなかったようなんですよね爆笑


そういえば以前 高橋尚子さんが "坂は気のせい、気のせいだとおもってください"   とかかれてたんですが 私も 他力で坂を登る練習ばかり繰り返しているうちに 以前より上り坂が気にならなくなってきてるようなんで いい傾向ダナーと思いましたニコニコ

 

しかしまあ 今回も 42キロと戦ってみて感じたのは 結局 一歩一歩のダメージの積み重ね。 マラソンの終盤をきつくするのは これに尽きるという事なんですよね。 でアイアンマンの場合は これに スイムやバイクで受けるダメージが加わるわけなんで いかに一掻き 一漕ぎ 一歩の中で受ける體のダメージを下げていくか 常にここを研鑽していかないと行けないなーと改めて思いました。

 

昨日なんかは レース後 かなり足腰が痛くて 歩くのに苦労してたんですよね。 で 勿論レース直後に 歩くのがきついくらい 體が痛いという事は レース中から そうなわけで 結局 レース中の ”きつい”という感じは こういう痛みから 来てるように思っていて それでペースがどんどん垂れていってしまうんだろうと思うんですよね。

 

で 私は マラソンとかの後は 翌日の筋肉痛の出る箇所とかに注目していて こういう筋肉痛になる 筋行くに頼りすぎているから そこが売り切れて垂れると考えているんですが 最近こういう傾向があるんですが 今回も 所謂 大体四頭筋やハムとか そういう大きな筋肉には 筋肉痛ってあまり出てなくて どうも痛いのが 深層部にある 微細な ”筋’みたいな筋肉のようで 筋肉痛が出てるというより いろんなとこの 筋が張ってる。 そんな感じのようなんですよね。 なので 昔とはだいぶ事情が変わってきているように感じています。

 

で ここがはっきりして 思いだしたのが 以前 マークアレン氏が書いた トライアスロンのランパートの記事で勧めていた ランのドリル二つの内のひとつ 目を閉じた片足立ち これに関して ”マイクロマッスル” と彼が呼んでた筋肉群の発達を促すことも目的のひとつとして書かれてたんですが これがどうも 深層筋tか言われている微細な 恐らく骨格を支える仕事をする筋肉群なのかと思うんですが どうも私 以前 この筋肉を 外側の 大きな筋肉が出しゃばって仕事とってしまっていたのを 脱力で それがなくなり この骨格筋群が本来の仕事しなければ ならなくなって 元々あまり仕事してなかった筋肉群なんで 耐久力が無く それが売り切れることできつさが出てペース維持できなくなる。 そういう仕組みなのかと思いました。 タダそうなら そういう筋肉群に耐久力が付いてくるまで ある程度 気長に待たないといけないのかもなーと思いました。

 

まあでも 今回のレースでの 一番の教訓も やっぱ 脱力の世界 まだまだ先が長いなーという事の実地で肌身を通して学ぶこと。 そこにあったように思います。 というのも 私 今になってようやく 今迄 筋肉を固めることで ある意味 本来骨の固さがやるべきだった仕事を取ってしまっていたのを 本来の骨に任せるという方向に変更していく研鑽にやっと取り掛かれ始めている。 そんな感じがしてきたとこだったんですよね。 その意味では 脱力二取り組みはじめて8年近く経った今になって ようやく ”骨で動く”の方向に変えていく研鑽に取り組みはじめているとか そんな状況のようなんで 要するに すべてはこれからとか そんな感じのようなんですよね笑い泣き なので 今回のレースも いかに自分がまだスタート地点近くにいるに過ぎないのか 其の確認だったように今は思っています。

 

そんなこと考えてて 今日ふと思ったのは 私が弟を介して 脱力の世界の先輩である 律動法の療法者 青木さんに出会い 彼の経験談をつぶさに本人から直接聞く機会に恵まれた事自体 天助というか そういうものだったのかなーという事なんですよね。 青木さんの話から 私が学んだのは この世には実際に 若い頃 走るという事を研究しながら ハーフマラソン65分辺りで走れるよになったランナーですら 10年以上 ほぼ毎日1-2時間 摺り足という まあ単純極まりない動作をくりかえすことでしか みえてこない世界といううのが 確かに存在するという事で 私が追いかけてる ”脱力”というのは そういう世界の話しだという事だったんですよね。 

 

そういえば 私が 青木さんに ”正中”の話を聞いてみた時 彼が言ってたのは 最初6-7年 さっぱり意味が分からなかったという事だったんですよね。 なので 脱力二取り組みはじめて 8年近く経った今になって ようやく 骨で以前 筋肉が出しゃばっていた仕事を置き換えていく作業に取り組みはじめられていると感じていること 決して恥じる事ではないと経験談から教えていただいているように思います。 (まあ こんな経験談 おいそれと聞ける話では無いですよね爆  笑 まさに 天の助け 氣の所為 そんな類の話のように思います)

 

イチロー選手が ”狭い世界でも ずーっと見てたら いろんなことが見えてくる。 それだけははっきり言えると思います” と言われてましたが ほんと  じっくり時間をかけて追いかけていくことでしか みえてこない世界というのが あるようですね。なんていうか 日々 神経を研ぎ澄ませ 感覚をフル動員して 長い年月をかけて試行錯誤を重ねていく。 そういうプロセスなしにはたどりつけない世界というのが あるように感じ始めています。

 

まあでも そういう 手間のかかる作業だけに ”楽しむこと” これが一番大事な事のように感じています。 楽しい事ならば ごく自然に続ける事がs出来るように思うんで。

 

私昨日 

”うーん どうも 今回のレースの後 2019年の結果をのぞいてみる気になったのは 恐らく この 今もがき苦しんでいる理由を 再確認する必要があったからなのかもしれないですね。”

と書いていたようなんですが どうも この ”もがき苦しむ” こういう心持だからダメなように思います。 考えてみると もがくのは構わないと思うんですが ”もがき苦しむ”必要はどこにもなく 同じやるなら ”もがき楽しむ”だって一向にかまわないように思うんで。

 

私 ここんところ どうも 自分の発想が ′重い”というか そんな風に感じ始めてるんですよね。 例えば ”修業”というもののイメージって 私のとっては ”苦行”という感じになってしまっているし ”努力”とか聞くと 歯を食いしばってやるもの。 どうもそんなイメージが染みついてしまっているように思うんで。

 

最近思うんですが どうもこういうのって 日本の体育会系の世界にどっぷりつかって育ってくる中で 染みついてしまったもの野様に思うんですよね。 わたし実は サッカーというスポーツ ずっと 楽しいからやってたはずなんですが どうも中学あたりで その ”楽しさ” をいつのまにか  抜き去られてしまったような気がしていて 私高校に入ったら サッカー続ける気が無かったのを 昔のチームメート後どうしてもというから 仕方なくまたつづけた感があるんですが 私にとって 其れまでのほぼ人生のすべての様だったスポーツ やる気がなくなってたのも 楽しいからサッカーやってたという感覚がなくなってたからなのかと思うんで。

 

数年前 リディヤード師の本を読んでた時 師が 門下生たちが 彼の課す ハードなメニューを お互いの事をイジリ会いながら 笑顔でこなしている 姿を述懐されてて 試合前 ワクワクして ニコニコしてたら ”今江なんでニコニコしてんだ”おtよく先生につっこまれてた 自分の若い頃とのギャップが興味深かったんですが (以前 実業団まで陸上やられてたブロ友さんが ”歯を見せるな”は 体育会系の定番と言われてたんで どこも同じようなものかと思うんですが) 実際メニューさえこなせば 歯を食いしばろうが 爆笑しながらやろうが 同じことなわけなんで どうせなら 楽しくやった方が全然いいように思うんですよね。第一 私が中学までで 燃え尽き起こして 高校では もうなにも真剣にやる気が起きなくなっていたように 楽しくないことって つづかないと思うんで。 なので ”もがき苦しむ”のではなく ”もがき楽しむ” というつもりで これからも 自分史最高の努力 心から楽しみながら 積み重ねていこうとおもっていますニコニコ