こんばんわー。 さて 今日も お休み 再び 一日中 動かずに動く動き方の探求という わたしにとって 至福の一日を過ごしてまいりました
今日は 久しぶりに 湖沿いのアイアンマンのランコースまでいって ここ走るときは 近年何時も裸足なんで 今日も久し振りに 裸足で走ったんですが 三月頭のアイアンマン後 あのころより より楽に走るの研鑽を積み重ねてきたおかげで 久しぶりの裸足ランも かなり感じが変わっていて うれしく思いました
私 もう裸足ラン取り組んで 7年以上になるんですが ここにきて ようやく なんで 史上最高のトライアスリートと称されることの多い マークアレン氏が勧めていた ランドリルのひとつが 裸足ランだったのか その理由ははっきりしてきてるように思います。 で これ 結局 アイアンマンとかで 勝負所となる 力の無駄を避けるための研鑽になるからなんだろうと思います。
以前 ブロ友さんから 武井壮さんが ”音がするというのは 地面をたたいてる分のエネルギーが 推進力に使われず 無駄になっている” といっていたと教えていただいたことがあったんですが 結局 そういう事なんですよね。 足音という ”音” は 何ら化の形で 力がぶつかりあう事で起きるわけなんで そこでなんらかの ”力”が無駄になっているわけで アイアンマンのような競技では 一歩一歩にこんな無駄を内包したままレースするのは バイクのブレーキ引きずってるの知ってるのに 其のままレースに出るようなもので 要するに あり得ないレベルの話 なので トップ中のトップ選手が ごく当たり前のことに気づいていた。 ただそれだけの話のように思います。
で この足音という無駄 これを無くしていくのに 裸足で走ること以上の方法って 無いように思うんですよね。 というのも 足音がするような走り方では 裸足では まともな距離なんか 走れっこないんで 只裸足で走っているだけで 足音という無駄は ごく自然になくなっていくものなわけなんで。
此方も かなり前に 有る方のブログで 野口みずきさんが以前 ”調子がいい時は足音がしない” と言われてたというのを読んだことがあったんですが 私も 7年以上裸足ランに取り組んできて ジョグの時は 私が真後ろ走ってても ほとんどの人が全く気付かないくらいまで 足音なくすことはできるようにはなってきたんですが そうなってきて ようやく この野口さんが言われてることのレベルのトンデモナイ高さが分ってきたような気がしています。
というのも 周りの人には 私の足音聞えなくても まだ 自分には聞こえてるんですよね。 ただ 野口さんのいう ”足音がしない” というのは 恐らく 自分にも聞こえないレベルの話かと思っていて しかもこれ オリンピックの金メダリストの ’調子がいい”と感じる時の話なわけなんで ペース的にも かなりのスピードで走ってるときに 自分にも聞こえないレベルの ”足音がしない” という話かと思うんで まあ 先は果てしなく長い こちらも ”無限の伸びしろ” の世界かと思います。
まあ でも 流石に オリンピックの金メダリストが ”調子がいい時は” といってるだけあって 音がしないというのは 要するに ブレーキが全くかかっていない まあ 持久系のランでは 理想的な状態かと思うんで これ 目指さない手はないと思うんですよね。 で 裸足で 走ってさえいれば 足音は自然となくなっていくことは 此れまでの研鑽で はっきりしてることなんで やはりさぼってないで 裸足でなるべく走らないといけないなーと思いました。
まあ此れは当たり前のことかとは思うんですが この ”音がしない” 走り方 つまり ブレーキがかからない走り方も 結局のところ 肝は ”脱力”にあるようなんですよね。 足音というのは結局 推進力で 前に勝手に進んでいる體と 地面がぶつかり合う事で起きるようなんですが 脱力 つまり 全身の力が完全に抜けていればいるほど どうも地面とぶつかるものhがなくなっていくようで 音が消えていく。 そういう仕組みになっているようなんで。 まあ 流石は極意とまで 呼ばれてる世界だけあって どんな方向で詰めていっても 同じとこにたどり着く。 まさに 塩田師が言われてた ”山の登りにはいろいろあっても 頂上は同じ” の世界だよなーと思いました。
今日はそのあと バイクとスイムだったんですが まあ この二種目も もう 脱力しか 追いかけるものが無くなってきたように思います。 まあでも ”極意”というものは 元々そういうものであるべきなんだろうと思うんで ようやく私の取り組みも そこが分るとこまでは来てるという事なんだろうなーと思い うれしく思いました
まあ しかし 私 バイクに関しては アイアンマン挑戦が頭をよぎり始めた頃 マフェトンメソッドを試しているうちに これは自分の筋力にいかに頼らないかの研鑽なんだろうなーというあたりをつけ じゃあペダリングで 自分の筋力以外に頼れる力はなんだということを研究しているうちに 骨格という力と 体重という力使えそうだと思いはじめ 其のころ情報とってた 英k語圏では そんなこと言ってる人 見たことなかったんで 日本ならどうだろうと思って検索かけてみたら ドンピシャで引っかかってきたのが 宮塚さんの ”骨で動くトライアスロン研究会” という副題がついたブログで 同じころ どこかで ”トライアスロンは 掻かない 漕がない 蹴らない” という格言のようなもの見掛けて どうも これ二つとも同じこと言ってるような感じだったんで その方向で 研鑽を始め 結局今でも その道を歩き続けているようなんですよね。
まあ これは ペダリングに使える力の中で 唯一使えば使うほど疲れてしまう 自分の筋力に頼らず そのほかの力だけで バイクが漕げれば 前に 肉弾戦のOWS 3.8きろ 後に真夏のマラソンが控える アイアンマンでは どう考えたって 有利になるのは 火を見るより明らかだったんで バイクに関しては 迷う必要すら感じていなかったから ずっと同じことを続けてきたんですが 今見え始めているペダリングのポテンシャルからして 私の目の付け所 間違っていなかったようなんで 正直 ほっとしているようです
私のアイアンマンのバイクパート 今のところ 二年目の 5時間44分が最速で このタイムは 二年目の新米アスリートにしては 決して悪くはないタイムではあったんですが ただ このタイム出したとき ランに思い切り影響が出てしまったんですよね。 (私は 一年のすべてをぶつけるレースで スイム バイク ランで有るべきトライアスロンのレースで 切る追加らといって歩けるタイプの人間ではないので 一応 エイド以外は一歩の歩かず 走り切ってはいたんですが)
で この時 私の場合 バイクは あの年より さらに運動強度を下げて かつ スピードを あげなければいけないという 今のスポーツ界が それだけしか見ていないように感じられる 筋力側でもの見てたら 解きようのない課題に直面したんですよね。
ただ 私は 元々 自分の筋力に頼らない ’他力ペダリング”という方向性を トライアスロン初めて以来 ずっと追いかけ続けてきてたんで これ 不可能な課題ではないこと あの時点でもわかってたんで 其のあとも 自分の道だけを歩き続けてきたんですが ここにきてようやく 宮塚さんが言ってる 詐欺レベルで楽なペダリングの仕組みが 大分解けてきたようで 自分で 見つけた情報と 自分の感覚だけを信じて 結果も 落ちていく中 めげずに突き詰めてきて ほんと良かったなーと いま思っています
結局のところ このペダリングの肝も ”脱力”にあって このペダリングの破壊力自体が この脱力の深さ次第のようなんで 脱力が進めば進むほど このペダリングの真の力もより見えてくる。 そういう世界のようなんですよね。 なので 仕組み自体は このブログの最初の方からずっと書き続けてきたように 宮塚さんが 書かれている ”自分の体重を 脚の骨格に預けてペダルとを押し下げる” つまり 体重と骨格という ”他力”でやるペダリングで 脱力が進めば進むほど この ”他力”がより真価を発揮する。 そういう仕組みのようです。 (どおりで 宮塚さん ”筋力に頼らない骨ペダル” というテーマでセミナーやられてるわけですよね)
そういえば 若い頃体育会で陸上やられてて 当時 ハーフ65分くらいで走られてたランナーで その後 律動法という療法の治療で 10年以上 ほぼ毎日 1-2時間摺り足を繰り返して 脱力の研鑽積まれた 青木さんという方が ”確かに この不思議な力(脱力)の出力が自在に使えたら アイアンマンの競技で すさまじい伸びしろがあるように感じますね” と 教えていただいたことがあったんですが おそらく 脱力の大先輩である 青木さんが ”不思議な力” と表現された ”出力”が私の追いかけてきた ”他力”であり 私も 脱力が進んでいくことで 徐々に この ’不思議な力”の世界が見えていっているように思いました。
最近すごく思うんですが 脱力を進めてくというのは 結局 人間の骨格を形作る 成人で 206個になるというすべての骨 之すべてをバラバラにして使う事がいきつくところなんだろうなーという事なんですよね。結局 高岡英夫氏が ”ゆる’なんて唱えているのも そこに理由があるんだろうと思うんで。
思い起こしてみると 私 若い頃 一度だけ 骨格のことが気になったことがあって それが 私の事なんで 恐らく何らかの罰だったんだろうとは思うんですが 理科室の掃除やらされてるときに 骨格のモデル 倒してしまったことがあって 骨格があまりにもぐにゃぐにゃで 直すの苦労したことがあったんですよね。 で その時 何でこんなぐにゃぐにゃなんだ 子の根性なしが と 腹を立てたので よく覚えてるんですが 実は あのグニャグニャさにはもちろん理由があるようで 脱力が極意とされているのも そこに理由のひとつがあるンダロウトにらみはじめています。
まあしかし こうやって振り返ってみると 私のアイアンマンの取組み 全ては 初めのころ マークアレン氏のインタビューをみかけ そこで氏が 自分の成功のカギは マフェトンメソッドにあったと 180ルールの事熱っぽく語ってて これは流石に試してみないといけないなーと思い 試してみたら これは いかに自分の筋力に頼らないで動くかの研鑽なんだろうなーと思った所 ここから始まってて そこから今に至る道は そこを起点に歩いて来たようですね。
まあでも あの後 アイアンマンを 6回くぐったうえで思えば こんなの当たり前のことなんですよね。 以前 ブロ友さんが書いてた スイムのセミナーで あるコーチの方二 ”10キロのOWSなんて 筋肉に頼ってたら泳げないですよ” と言われたと書かれてたんですが 宮塚さんが 筋力に頼らない骨ラン 骨バイクと書かれてたように スイムにも勿論筋肉に頼らない泳ぎ方というものがあるわけで アイアンマンのような競技 そんなやり方がある以上 そういうやり方が理想的。 そんなの 考えてみることもないわけなんで。
まあ そんなわけで 私のここ7年以上の取組み 一言でいうと 自分の筋力への依存度を下げていく取り組みといえるのかと思いますが 大分 前には進んできたように思います ただ これは要するに より脱力を突き詰めていく取組みなわけなんで 要するに 無言の伸びしろの世界。 まだまだ先は限りない世界なんで 明日も 確実に一歩ずつすべての瞬間に前に進めるよう 精進して来ようと思っています