こんばんわー。 さて 今日から再び4連休ラブ 夜勤明けの今日は 先ず朝スイム 仮眠を挟んで ラン バイク 二度目のスイムで より楽に動く 動き方の探求 満喫してまいりましたニコニコ

 

今日は 最後のスイムは 妻も一緒で その時 彼女にいわれたのが ”楽しそうね’ という事だったんですが これが今日 三種目やってて すごく感じていたことだったんですよね。 いま 日々 というより 全ての瞬間に上達できるチャンスがあるような 状態になってきていて その分 日々の研鑽の 密度がものすごい事になってきてるんで まあ 運動選手としては これ以上何を望むんだという パラダイスのような状態。 まあ 楽しくないわけがないといった所なのかと思います。

 

しかしまあ スイムは今 ドリルしかやってないんですが いやー ドリルって 物凄く勉強になりますねびっくり 私 スイムんドリル 初めてやってみたのが このブログ書き始めた頃なんで もう 7年以上経つんですが 今頃になって ドリルがどれだけ勉強になるか分かってきてるなんて 折れ一体今まで なにをやっていたんだろうという感じですショボーン 

 

考えてみると この動画を始めてみたのも もう何年も前の話しなんですが

 

 

世界一のスイマーが これだけ丁寧にドリルをくりかえしているのを この眼で見たというのに 下手くそスイマーの私が何をやるべきか。 そこに全く気付かないかったというのは いくら何でも センスなさすぎですよねムキー 実際には 下手くそな私が ただ泳いでたって 下手の上塗りを続けているだけで 意味が分からない取り組みになってしまうわけなんで 先ずはじっくり ドリルと下で 腕を磨くべきなのは かんがえりゃーわかりそうなものなんで いかに私が何も考えていなかったか。 あきれていますガーン まあでも ”Better Late  than never" 時間はかかっても 気fづかないよりはましといいますし 此れから心を入れ替え しっかり取り組んでいこうと思っています。

 

ただ 最近 ドリルを始めたのも 思いだしてみると きっかけは 突然思い付きで 何年かぶりに パドルをプールにもっていって これも思い付きで 妻が 昔 こちらのコーチが 子どもたちに キャッチアップのドリルをやらせて ”これがモノになるまでは ほかのことは教えない” と言っているのを 又聞きしていたのを思い出して やってみた事だったんですよね。

 

私 ここ数年くらい こういう 思い付きをなおざりにしないで 聞いてみる癖がついてきてるようなんですが 恐らく これが 今の世の中では ”気のせい” という まあ ネガティブな意味でとらえられがちだけれど 元々は ”氣の所為” これに従っているのかとおもうんですよね。 その意味では まあ “氣の導き” そんなものなのかと思いはじめています。

 

恐らく これは ことしの一月 律動法の療法者の方をNZに招いて 診療の旅のお手伝いをした際 この眼で まあ今の世の中では 奇跡としか言いようのない経験の数々を 自分で体験したことで “氣” というものの存在を 否定の仕様がなくなり 新しい現実の世界が開けてきたのに 影響され始めてるからなのかと思うんですよね。

 

合気道の動画とか見てると 合気道の方々自身 余り “氣” というもの 信じていない人が 多いように見受けられるんですよね。 そういえば 律動法の創始者 茂木さんという方が ”気の治療学”という本を書かれていて お土産にいただいたので 読ませていただいているんですが この中で 茂木さん自身 元々 氣云々を追いかけてたんじゃなくて 最高の手技治療を追い求めてたら この “氣”というものにたどり着いたという旨の事も書かれていました。

 

合気道の塩田剛三師のお弟子さん パウエさんによると 塩田師も 若い頃 "氣”の話は全くしてなかったそうなんですが ただ  やはり ”最後の方はよく言っていた” と言われてたんですよね。 合気道なんかは その名の通り どお見ても “氣”の武道かと思うんですが どうも 話聞いてると 塩田師は この “氣”というものをずっと否定していて ただ 運動所作というものを突き詰めて行ったら 茂木さんと同じ様に ”氣”というものを 認めざるを得なくなったように見受けているので この辺面白いもんだなーと思いました。 

 

以前 律動法の療法者の青木さんとの対話の中でも この ”氣”というものの話題がもちろん出て 青木さんも 最初 ”氣” やら何たら は全く信じてなくて ずっと ”抵抗” みたいなものがあったといってたんですよね。 で この ”抵抗”私自身 感じてることなんで 面白いもんだなーと思い こういう ”抵抗”ってどこから来てるンダロウト 興味がわきました。 

 

考えてみると 日本語って  やる気 根気 気が合う 気づく 気をもむ 気に入る 気休め あげ始めるときりがないくらい”気”の付く言葉ものすごくたくさんありますよね。で私 最近 気になる言葉があると 語源を調べてみる癖があるんで それで ”気のせい” という言葉の語源調べてみたら 元々は ”気の所為” と表記するものだと知り 驚いたんですが 最近それよりたまげたのは まあ 気が付く言葉で 尤もよく使う 下手すりゃ 日本人最もなじみがある言葉のひとつかと思う ”元気” のこと調べてみた時だったんですよね。 

 

その時 目に飛び込んだのが ”天地の間にあって、万物生成の根本となる精気” という ”元気”の定義のひとつだったんですが 要するに これそのまま スターウォーズの世界で ジェダイが言ってる ”フォース”の事じゃないですかびっくり 日本語つかってるのに そんな事二すら気付いていなかったことにびっくりしたとともに 猪木さんの ”元気ですかー? 元気があれば何でもできる” というキャッチフレーズ まあ これ以上 当たり前の話はないくらいの話だったんだなーと いまさらながら 思いました。

 

ただ 先日 ふと ”氣”に関して もっと当たり前のことに気づいてびっくりしたんですが それが ”病気” というもので もともと 病気って ”気が病む” と書いて 病気なんですよねびっくり まあ こんなの気付いてないの私だけなのかもしれませんが まあ ウイルスなどに “氣”つまり 生体エネルギーが負けるから ”病気”になるわけで  所謂 ”病は気から” これも同じことであり 当たり前のこと。 なので 病気になったら ”気の治療” これも当たり前のことなわけで そんな事二すら気づいていない 私の方がどうかしている。 それだけの話しだったように思います。 (実際に 律動法って 今の西洋 東洋問わず 医療というもので効果が無い難病とかでも 直せる実績が 実際の患者さんの口コミレベルで たくさん転がっている世界ですし 私自身 この身で体験し いくつもの他の方の経験も この眼でしかと見てきたわけですし)

 

まあ しかし ”脱力という極意” とか ”骨で動く” とか ”體のよどみを避けるために 筋肉を鍛えてはいけないんだ” という合気道の世界など アイアンマンに挑み始めて これまで 私が半世紀位 ”常識” だと思っていた物が 音を立てて崩れ去っていく経験ばかりになってきてるんで なんか最近 なにがあっても 驚かなくなってきてるように思います爆  笑

 

まあ 病は気からという言葉がありますが もともと ”元気”という言葉が ”天地の間にあって、万物生成の根本となる精気” という意味であるように じつは ”すべては気から”が正しいようにいまさらながら考え始めています。 で 私が目指しているものも 結局 私自身の “氣” これの もち方次第のような気がし始めているのでグラサン “氣” というもの 此れから 大事に考えていこうと思っていますニコニコ (そういえば 王さんも 色紙に “氣力” といつもかかれるようですし