こんばんわー。 さて 私は脱力を追いかけ始めて 7年以上経つんですが ようやく  體の使い方の面で 脱力を詰めていくということがどういうことなのか みえてきたように思います。 で 結局 脱力を突き詰めていくという事は 骨格の活かし方を突き詰めていくことに他ならないんだろうと思います。

 

思いだしてみると 私が 骨の事 気になりだしたのって トライアスロン挑戦が頭をよぎり始めて 直ぐのころのはなしだったんですよね。 私もともと トライアスロンに興味持った最初のきっかけって バイクのロードレースで 100台くらいの ペースラインに乗っかって 一人で維持するのはきついペースを 漕ぐのやめてても 維持できる 所謂ぺロトン効果の凄さを 肌で感じて まあこんなのがあるなら 私より一時間以上速くゴールする ロードバイクのエリートレベルの選手たちの世界 想像のつかない世界ではないなーと思ったんですが それと同時に 40キロ以上のAveを単走で180キロとか維持して そこから サブ3のマラソンを繰り出す アイアンマンのプロ選手たちの世界。 これはちょっと 仕組み的に 想像ができないとかんじて これが私がトライアスロンに興味を持った 最初のきっかけだったように思います。

 

そんな想いもあり トライアスロン挑戦が頭をよぎり始め 先ず トライアスロンには このスポーツに向いた漕ぎ方みたいなものがあるんじゃないかと思いはじめ それを探り始めていました。 で 確か其のころ マークアレン氏のインタビューを見て 彼が ”私の成功のカギは マフェトンメソッドにあった” と 180ルールの話を熱心にしてたのを見て これは試してみないといけないと思い 試してみたところ 私が 180ルールに従おうとすると ランは無理 バイクも 物凄く自分の筋力への依存度を下げないといけないというのは 直ぐ分かったんですよね。 それで 最初の内 バイクで 自分の筋力の頼らないなら じゃあ何に頼れるのか。 そういう研究を始めました。

 

で そういう研究の中で まず ”体重“という力が ペダリングにはいかせそうだなーと思い 色々試行錯誤重ねていて その中で 体の奥底にある 自分の筋力ではない もっと シャープな”力” の存在が気になり始めたんですよね。 で 考えてみたところ これは ”骨”の持つ力なんじゃないかと思いはじめ ただ 其のころペダリングの情報とってた 英語圏では そんなこと言ってる人 見たことが無かったんで 日本ならどうだろうと思って たしか 骨 体重 ペダリング かなんかのキーワードで 検索かけたところ ドンピシャで引っかかったものがあって それが 宮塚さんの ”骨で動くトライアスロン研究会”というブログでした。

 

で 改めて そういう経緯を振り返ってみると どうも こういうのって 必然のことだったのかなーと思うんですよね。 というのも 世界最高の成績を残されたアイアンマンの取り組まれた マフェトンメソッド これ 心拍数をかなり低いところに縛っって 運動する研鑽なんで 其の心拍数に 直結する 筋肉 筋力への依存度を 低い位置で縛って 運動する研鑽を積むことになるんで 宮塚さんのいう ”筋力は無いものと思って” つまり 脱力の方向に ごく自然と向かうはずなんですよね。

 

で 人間の運動システムが ”筋骨格システム”と呼ばれている以上 システム上 ”筋”に頼らなければ 必然的に ”骨格”に頼ることになるわけなんで これ アレン氏も 宮塚さんも ただ単に 同じ話をしてるだけだと思うんですよね。 

 

まあしかし 私 もう 半世紀以上 生きてきた人間なんですが トライアスロン始めるまで これの使い方 活かし方なんて 考えたこともなかったんですよね

ところが 日本語では もともと ”カラダ” というのは ”體” つまり 骨が豊と書いて カラダなんですよね。 しかも 上の写真を見れば 骨格って カラダそのものなわけで どうして そんな当たり前のことに気づくまで こんなに時間がかかったんだろうと 正直今はこの部分に関しては 自分に呆れていますショボーン

 

王さんが 王さんにとっての打撃の真髄をひと言で と問われ ”體をうまく使って 相手の力を利用する” とおっしゃられてましたが ”體”と書く以上、そして 上の図を人も見ればわかるように 體の骨組みである 骨格をうまく使わずして ”體をうまく使う” なんて 言えるわけがないじゃないですか? ほんと 若い頃の自分って 何も分からず ただ運動しちゃってたんだなーと この年になって 思い知らされていますショボーン

 

そういえば 何年か前 私が何気なく使っていた ”コツ” という言葉 以前は ”骨” と表記されてたもので それは 鎌倉時代からそうだったと知って ぶったまげたんですが いま思うに 昔の日本人って いまの世界の人間より 体の使い方の ”コツ” を知っていたんだなーと思うんですよね。 なんせ今 世界的に ”Muscloskeltal system"  つまり 筋骨格システムの ”skeltal"システムの部分の話しが 運動の議論から 完全に抜け落ちちゃっているように見受けられるんで。

 

その点では 合気道の塩田剛三師が言われていた ”合気道では 体によどみを作らない為に 筋肉を鍛えてはいけないんだ” という言葉は 非常に興味深いと思うんですよね。 思いだしてみると 私も 中学校のころまで 腕立てとか 腹筋とかやらされてる時 ”體を鍛える” という想いはあったのは覚えてるんですが ”筋肉を鍛えよう”と思ってはいなかったように記憶してるんですよね。 恐らく 筋肉云々というのは ボディビルのような 運動選手の能力とは まったく関係ない いわば ”畑違い”の世界から波及してきてしまった ガセネタだったんじゃないかと 日本のいろんな凄い方々の話聞いてて 思うようになってきてるようです。

 

まあ私も 7年以上 脱力というものを追いかけてきて 脱力で動くというのは 結局 いかに自分は何もせず動くか そういう世界であり いかに全身の力を完全に抜くことが出来るかが勝負の世界だというとこまでは 見当がついてきたように思います。 で結局 そうすることでこそ 人間の骨組みである 骨格の持つ力が 最大限に発揮されている状態であり まさに ”體をうまく使っている” 状態。 そういうことのように思います。

 

まあ 私は 運動にいかに自分の力を集約してつぎ込めるかを 若い頃必死に磨いていた人間何で その力を運動からいかに抜けるかの取組みというのは 丁度正反対の世界なんで まあ えらく時間がかかるのは しょうがない事のように思います。 ただ 

若い頃全く見えていなかった世界が この年になって見えてきている解くのは すごくエキサイティングなことであり 今追いかけているものを追いかけられるということ自体 これ迄 いろんな方々に導いてきていただいたお蔭のように感じているので 非常に光栄なこととも感じい始めているようです。

 

最近 10年以上 ほぼ毎日1-2時間 摺り足に取り組んでこられた方に 実際に出会って 誰もいったことが無い場所にたどり着くためには 誰もやらない というか 出来ない努力を積むこと。 つまるところ ”コツ” は そこにあるという事を学んだように思います。 まあ 折角日本に生まれ 日本語を母国語にしたため 昔の人がたどり着いた ”コツ(骨)を掴む” なんていう素晴らしい英知にネイティブに触れられるわけなんで そういう幸運に感謝しながら 根気よく努力を重ね コツ“骨”を掴んでいこうと思っていますニコニコ