こんばんわー。 さて 去年より全体的には攻めるレースはできたものの 向かい風と 坂にやられまくり 過去最悪の ズタボロの體で なんとかギリギリ トランジ迄戻ってきたため ランに向け テントで着替えをしている時には 余りにも この後どうなるのかが読めず もう なるようにしかならん系の心持で ゆっくり着替えをしていたように思います。

 

ただ 思いだしてみると 私 バイクの終わりの方から 頭の中で 今回 というより アイアンマンではいつものことではあるんですが あくまで トライアスロンは最後のランの出来こそが 一年間の研鑽の成果を図れる場所だと思っているので どんなにバイクでヘロヘロになっていても ランはしっかり走る。 其の想いだけは 頭の中で維持できていたように思います。 (まだまだ サブ4 諦めてたわけでは無かったですしグラサン

 

後 もう一つ覚えているのは lレースまえに書いていたように 今回 私の影響で トライアスロン挑戦が頭に浮かび始めている 姪がまた 応援に来てくれていたので 彼女に 私にとって このアイアンマンと言うレースが どれだけ楽しいものであるのか。 それを目の前で是非見せてあげたいという想いがあったようなんですよね。 それが 彼女が いつか この素晴らしいレースを経験する 援護射撃になるんじゃないかと思っていたようなんで。 

 

たぶん こういう想いと 去年 まあ 同じように ズタボロの状態で 此処からマラソンだけはあり得んという風に思っていたのに 実際走ってみたら なんとか走りきれたこと。 この経験のお蔭で 去年より 体は疲れていたのかもしれませんが  去年ほど 絶望感は感じていなかったように記憶しています。

 

ただ いま考えてみると 去年ほど絶望感が無かったのはおそらくしっかりした理由があって ひとつは 去年 其れまでの私にとっての 現実とか 限界とか思っていたことを打ち破っていたこと。 そして もう一つは 今年の自分は 去年の自分とは まったくの別物だという事を心の奥底で 信じることが出来ていたからなんだろうと思います。

 

よく考えてみると 私がバイクで去年より攻めていたのも そのせいとタフコンディションで バイク終了時 去年よりさらにつかれていても ランに去年のような絶望感は感じてなかったのも これ 要するに 私が一年間磨き続けた ”より楽に動く” この研鑽のお蔭で 去年とは別人であることを”心の奥底” つまり恐らく顕在意識ではなく潜在意識レベルなのかと思うんですが 此処では わかっていたんだろうと思うんですよね。自分自身積み上げた上達というのは 実は自分自身が一番わかっていることなんだろうと思うんで。 私このレースも剣検知はドンドン積みあがってきてるわけですし。 まあ 海の構造のように 表面上の顕在意識の奴は ちょっと何かあると 直ぐざわざわと波立ってしまうんですが 顕在意識は やることさえやってりゃー どっしりと構えてくれている。 どうもそんな感じなのかと これ書いてて思いました。 

 

さて 着替えが終わり テントを出ようとしたら 私を何度も町で見掛けてたというボラの人が声をかけてきたので ”イヤー

 もう 体ぼろぼろ何で 此の先はどう想像もつきません” と本音を言ったら ” そりゃ みんなそうなんじゃないか” と 年配の方らしく すごく当たり前の答えが返ってきて ”そういえば  そんなもんか” と また少し気楽になり テントを出ましたニコニコ

 

で 去年は このテント出た後も 全く走れなくてびっくりしたんで 今年どうなるか 不安だったんで このテントであ後すぐエイドがあり バイク中にフロントのボトルのストローが壊れ 給水がおろそかになってたのは分かってたんで ますはしっかり給水を取って 心の準備ができてから 走り出しました。

 

で 走り出す時に 誰かが ”まずはジョグって体ほぐせー” といってるのがきこえたんで これも ”そりゃそうだよなー” と思ったのは覚えてるんですが まあそんな感じで気楽にジョグってたら ふと バイクでつけてた 手袋とアームカバーを したままだという事二気付きました爆  笑

 

”何やってんだ俺?” と間抜けに思ったものの爆  笑 どこかで家族が見てるだろうから渡せばいいやと思って 外してたら 早速家族の応援の声が聞こえたんで これ持っといて と 投げたんですが それでも 実は 片方のグローブ まだしたままだったようで爆  笑 もうしょうがないんで ナンバーベルトに括り付けて もってくことにしたんですが これにもすごく手間取ったことを覚えています。 (こういうの考えてみても もう疲れで 頭が全く機能してないんでしょうね笑い泣き

 

手袋はずしてるとこですね爆笑

 

後 バイクの最後の方から ずっとトイレに行きたかったんですが そこまで見つかってなかったんで 走り出してすぐに エイドがあったんで そこでますトイレを済ませ ようやく ランパートが本格的にスタートしました。

 

で本腰入れて 走り始めて見て すぐ感じ始めたのが 走り出す前に想像していたの多とまったく違い すごく楽に走れてるという事だったんですよねびっくり 去年は もうスイムの段階から アイアンマンに向かえる体が作れていないという 泣き言系の言い訳っばかり頭に浮かんでたんで バイク 殆ど攻めてなかったようなんで 再び 心拍無視で攻めてた区間がかなりあり 去年より悪コンディションだったため 向かい風や坂で 体削られたわけなんで  今年の方が 実は筋疲労抱えてたはずなんですが 去年は 走り出しから 一歩一歩すべてが きつかったというのに 今年は この部分が全然違ったので ”一年で ここまで変わるものなんだなー”と わがことながら すごくびっくりしましたびっくり

 

ただ いま考えてみると この自分ですらびっくりした現象 これを目指して ずーーーーーーーーーーっと 努力を積み重ねてきたわけなんで こういうのを ”当然の帰結” というのでしょうね。 なんせ この距離で 日本で最も結果出された方が 三種目とも”筋肉 筋力に頼るな” と言われ続けているのは 此処に理由があるはずで 自分の筋力にさえ頼らなければ 體終わってても 走ることはできる。 でこれは  律動法の療法者の 青木さんが書かれてたように ”筋力本位”の物の見方になっている 今のスポーツ界の偏見にとらわれさえしなければ ごく当たり前の話ではあるわけなんで。

 

、まあそんな感じで ここまで 波や 他のスイマーに揉まれまくりながら 3.8きろ泳ぎ 向かい風や坂に痛めつけられながら それなりに180キロバイクで攻め 過去最悪まで疲れ切った體で入ったマラソン これまで 経験に無いほど 楽に走れているので これならなんとかなるのかもしれないと自然に 顔に笑みがこぼれ始めましたニコニコ ランスタートした地点あたりまで戻ってきたら また家族が応援してくれていたので 彼等に手を振りながら 走っていたんですが よく考えてみると 私既に レース楽しんでいたんで ごく自然と このレースが 私にとっていかに楽しいレースなのか それを姪に見せてあげることが出来ていたんじゃないかと思いました。

 

 

 

 

 妻がこの写真をレース中に送ったらしく それをライブで見た弟が  昨日レースの遅報よんで 既に逝っちゃった體で走ってる表情にみえないんでびっくりしたと書いてたんですが 確かに楽しそうですね爆笑

 

さて そんな感じで 今回は 走り出してみたら 楽に走れていたので ごく自然に lレースも楽しめていたようなんですが ただ 心の中で 常に慢心をいさめる思いがあったように思います。 頭の中では 私にとって 体があそこ迄つかれている状態では 走るというものは つらく苦しい。 というのが これまでの ”常識”みたいな物だったかと思うんですが 実際に走り出してみたら どうも そうでもなさそうな感じではあったんで びっくりはしたようなんですが まあ でも所詮はまだ序盤戦の話。 何といっても 私にとっては フレッシュで走り出しても何時もきつい マラソン。 つまり 42キロを走っているわけなんで 慢心している場合ではなく 42キロ 楽に走れてなんぼという想いが 常にあり そのためには このレースの中で レース前から思っていたように 一歩ずつ より楽な走り方を探し続けてこそなんぼ。 頭の中に 常にその思いがあったように思います。

 

IMNZのいいところは 観衆の方々や ボラの方々に すごく熱心に応援してくれる方が多いので そういう人たちと 積極的に絡んでいれば レースはごく自然と楽しいものになるという事なんですよね。 なので そういう方々と レースを楽しみながら 。 一人でいる時間は 他の参加者で 私よりいい走りをしている人からは なにが違うのか研究しながら 自分では どう動けばさらに楽に速く進むのか そういう研鑽を積み上げながら どんどん進んでいきました。

 

今回 振り返っていて 一つ気付いたのは 今回 此れまでと違って エイドを出る時 走り出すのに そんなに苦労が無く 飲むもの飲み 食べるモノ食べたら ゴミ箱に捨てて とっとと走り出せてたなーという事なんですよね。 これ 以前だと 結構 
走り出すのが 大変だったものなんですが 今回 なんか 妙にあっさり走り出せていたんで 此の辺も すごく一年で変わったように思いました。 

 

ただ よく考えてみると ”一年ですごく変った” これ決して 偶然の産物ではないんですよね。 そうなるように つまり 走ることがより楽になるように 努力を積み重ねて来たわけなんで。 ただ こうやって 一年の努力が実ったかどうかを 私が一年のすべてをかけて臨む 勝負レースの場で その成果を体感として実感できたこと これはやっぱりうれしく思いました。

 

さて そんな感じで バイクの最後の方は 此れまでで最悪レベルまで つかれてたんですが ランの一週目は 此れまでで最楽レベルの楽さでこなすことが出来ましたびっくり ただ まあ これ マラソンで まだ 30キロ近く残っているわけなんで この時点では 今楽に走れているから安心するのではなく 三周目 4週目の自分を助けるためにも 常に より楽にを探し続ける事 

それだけは忘れないようにしながら レースを楽しむ。 そういう感じで 二週目に入っていきました。

 

で 一周目は 思いのほか 周りの人間も 結構走れてる人が多かったんで 今回 気温があまり高くないから すこしその分楽なのかなーとか思いはじめていたんですが 二週目に入ると 例によって つぶれて歩いている人間がどんどん増えてきました。 

 

で 振り返ってみると 今年のランが楽だったことは 此の つぶれて歩いている人達に対する 私の感情でも 違いがはっきりしてるんですよね。 というのも 今回 歩いてる人見て 特別な感情が 特になく 以前だと 結構 自分にまけて あるいてる若者とか見ると ”歩くな!” とかふざけて声かけてたんですが 今年は思い出してみるとそれも茶ってなかったんある

 

結局 以前そういうことしてたのって 私が苦しいのを我慢して走ってるんで 歩いてる人見ると うらやましかったのかと思うんですよね。 なので 他の人に ”歩くな” とか言って 自分に逆にはっぱかけてたのかと思うんで。 ただ 今年は 別に私もそんなに苦しいの我慢して走ってたのではなく 楽に走れるから 走ってたという感覚に近いんで そういうはっぱかける必要もなく ごく自然に走れるから走ってた。 ただそれだけの事だったように思います。

 

まあ そんな感じで 特に無理して走ってるわけでもなく 自然体で走ってたからなのかしれないですが 此の辺から 歩いては走りしてる人たちと 抜いては抜かれのシーソーゲームのようになってきて そういう人たちに良く声を掛けられました。 で そのうちの若者のひとりは 自虐的に ” 此処から あなたとは 何度も会いそうだね” と声をかけてきて その後も 2-3度 言葉を交わして お互い励まし合っていたんですが どうも彼の歩く頻度が多くなってきて 振り切れそうだったんで 最後にあった時 私一周遅れだったんですが ” その調子で もたもたしてっと 俺に追いつかれっかもしれんぞ” と発破かけといたら 彼 苦笑いしてました爆  笑

 

そんな感じで 私にとっての 年に一度のお祭りを楽しみながら 二週目も順調にこなし メインスタンド側まで 帰ってきたところ 妻と姪がまた目に入り ハイファイブしたところ 妻が ”ひとり前走ってるの 日本人みたいよ”と声をかけてきたので とっさに ” よっしゃ 抜いたる” という いつも こうやって 妻にライバルの位置を教えてもらっては この言葉を妻に向かって吠える というのが ある意味 我々の中の伝統になっている言葉が思わずいつもの癖で 大声で 出てしまいました爆  笑

(妻も いつものライバルたちのいないこのレース 彼女なりに寂しく感じてたんじゃないかと思います)

 

まあ こんな いつものお楽しみにも支えられながら 3週目に入りました。 今回も レース中 スイムアップの時以外 タイムチェックしてなかったんで レース中は 把握したなかったんですが もうこの辺で 11時間とか 軽く超えてたのかと思うんで 此の辺から つかれてたのか 記憶がいまいち薄いです爆  笑

 

ただ 覚えてるのは これはランパート通じてなんですが 観衆の方々や ボラの方々との 楽しいやり取りの事なんですよね。 ここ数年 タウポの街 結構大がかりな 改装をしていて 今年も ランコースの感じが かなり変わったんですが 道すがら レースを盛り上げてくれる若者の集団とか ランコース沿いのレストランで食事しながら パーティーのように ランナー盛り上げてくれる人達とかがたくさんいるんですが わたしもう  ベテランの域に入ってきてるんで(なんせ 今回 観衆のひとに ”百万回目?” とか ツッコまれてるんで爆  笑) そういう人たちを思いっきり煽りながらレースしてるんで 彼等もさらに盛り上がってくれるんですが そういう楽しい思いに支えられながら 此の辺は走り続けていたように記憶しています。

 

後 これはランパートだけではなく 今回のレース全て通じて ひとつずっと私の支えとなってくれていたことがあったようで それがどうも このブログで何度か載せてきた この動画から学んだことだったように思います。

 

 

 

この動画の中で 川内さんは 常識を  常識と決めつけず 本当にそれが常識なのか 挑戦していく心を持つことが大事 と言われていて まあ こういうの 言葉だけなら 誰でもいえる事なわけなんですが その年の別大マラソンで この 常識に縛られず むしろ 常識なんてものは 打ち破ってこそ なんぼ という事を ご自分で 実証されてる姿見て 物凄い説得力で 心を打たれたんですよね。

 

私 思い返してみると 今回のレース バイクパートまでで 過去最悪の疲労度まで 追い込まれてたようなんですが ただ 去年感じたほど ランパートに対する 絶望感は 感じておらず まだ 此処からでも 良いランパートはありうる。 そういう希望は 不思議と持てていたんですよねびっくり

 

これ よく考えてみると 去年までの私には ないタイプのメンタルの強さだったんですが どうもこれ 河内さんが この動画の中で 私に見せてくれた 常識は破るもの。 限界は 自分で 確かめるもの。 現実は 自分で作り出していくもの。 そういう気概みたいなものの持つ可能性の力のお蔭だったように思います。

 

で レース終わってから この事考えてたんですが 実は 私自身 アイアンマンに毎年挑み続けながら 毎年破り続けてきたのが 自分の中にある ちっぽけな 常識とか 現実とか呼んでる幻想。 そういうことだったように思ったんですよね。

 

まあ 私にとっては アイアンマンと言うレース自体 私に可能な事 つまり 私の”現実”と呼んでる世界の 完全に外だと感じてた話だったんですが爆  笑 挑むと決めて 努力積んでみたら 十分可能で しかも 素晴らしい経験だったんですよね。 で まあ こんな素晴らしいレースが地元で毎年あるのに 出ない手はないと思って 毎年出続けていたら 毎年 其れまでの自分には あり得ないと思っていたことが 次々 起こったんですが 結局 自分自身 こういうプロセスをずっとくぐってきてて 川内さんが 其の事の 可能性の凄さというものを 実例として見せてくれたんで 心を打たれたんじゃないかと思いました。

 

で 今年もそういう 自分の中にある 常識とか 現実とか 限界とか そういう ちっぽけな殻みたいな物に挑んでみて 感じたのは 結局 去年の自分には 限界であったとしても 一年 努力を重ねた 今年の私に それが限界である必要は どこにもないという事だったんですよね。 実際には 私 毎年 その年の自分の限界まで レースしてるわけなんで そこを超えるには 此の 限界という奴自体を努力で変えることでしか超えていけないわけなんで。 

 

で そうやって 努力で去年の自分に取っての限界だったことを 今年の自分が越えていくことで 得られるのが 本当の意味での ”自信” つまり 自分を信じる力なのかと思うんですよね。 なので 去年までの自分の現実は 突き破るためにあるもの。 そして 自信というものは 努力を積み上げていくことによって 自分の手で つかみ取っていくもの。 こういう事を このレース通じて学んでいっているのかとこれ書いてて思いました。 

 

さて レースの方は ここまで 自分でも振り返っててびっくりするくらい 順調に来ましたが そこは流石に アイアンマンの最後のマラソン。 ただのマラソンですら 本当のマラソンは 30キロ過ぎてからといわれている その世界に 此処から入っていきます。 ちょっと長くなってしまったので 一度切って ここから先は 次回としたいと思います。 長い事お付き合いいただきありがとうございましたニコニコ