8こんばんわー。 さて 今の私にとって 一年で一番大事な一日 IMNZまで ついに一週間びっくり 大分 いよいよという感じになってきましたキョロキョロ

 

流石に ここまで迫ってくると レースの事 色々考えるようになってきてるんですが そうしてたら 正直 なんか この IMNZ というレースに出会ったこと これ自体も 以前書いた “氣の所為” だったのかなーと感じ始めています。

 

よく考えてみると 私 持久系のスポーツに手を出したこと自体 ただの偶然で 実は 持久系のスポーツ まったく興味すら もってなかったんですよね爆  笑

 

この事はもう何度か 書いてきましたが 私 社会人になってから たまにテニスやるくらいで 運動からは完全遠ざかっていました。で 10年くらい前 息子たちに 小児喘息の気があると診断が出て 昔 喘息には水泳がいいと聞いた覚えがあったんで 水泳でもやらせてみるかと思い 試しに 近くのプールの 家族パスを買ったんですが 私 物凄く 貧乏性何で 一人だけでも 元取ろうと 意地になって 毎日 プールに通いはじめました。

 

で 私別に泳げないわけではなかったんですが 運動の中で 水泳だけ 大嫌いで このプール通い始めた頃は 25mプールの向こう側まで いつもたどり着ける自身が無かったので 最初一年くらいは 足の着く 屋外プールで 泳いでいました爆  笑 でそのころなんて 泳いでも 一日 2-300mとか そのくらいだった覚えがありますが それくらいでも 私のように 下手くそスイマーだと どんどんフィットネスは上がってくるものなんで なんか 泳いでるだけでは もったいなく感じるようになって 家に転がってた おんぼろバイクを引っ張り出して 近所を乗り回すようになりました。 

 

それでしばらくして Trade Meという こちらのヤフオクみたいなサイトに登録して 折角登録したんで 何か買おうかと思って 見てたら たまたま 地元で 20年落ちくらいだったんですが 発売当時 最上級モデルだったMTB が格安で売りに出てたんですよね。 で 思いだしてみたら 私当時別にバイクが欲しかったわけではなくて 此のTrademe というオークションサイトでの売買をためてみたいのと 私掘り出し物のバーゲンという言葉にすごく弱い性格のようなんで まったく特に理由もなく このバイクを手に入れる羽目になったようです爆  笑

 

ただ! 手に入れて 乗ってみたら 私が乗ってた 量販店のおんぼろバイクとは 乗り味が別次元だったんですよねびっくり で 私の地元 タウポには タウポサイクルチャレンジという 琵琶湖と同じくらいの大きさの湖の周りを一周する 150キロほどのバイクのロードレースがあって これに 親戚とかが オーストラリアとかから 何度かやりに来てたんですよね。 で 彼等に ”お前はいつやるんだ?” みたいなこと言われてて 私は 持久系まったく興味なかったんで “俺は あんたらみたいに そんなに馬鹿じゃないよ” といつも返してたんですが どうも このバイク乗った瞬間に ”このバイクなら サイクルチャレンジ 行けるかも?” という 想いが頭をよぎったようです笑い泣き

 

で 私 馬鹿なんで こういう想いが頭をよぎると 実際に試してみないと 気が済まないタイプのようなんですよねキョロキョロ なので それから三か月 アホみたいな量バイク乗って 此のMTBに ロードのタイヤ履かせて ほぼ全部ロードバイクのレースに出て完走しました爆  笑

 

これが その時の写真なんですが このレース中 何度か ”えらくクラシックなバイク乗ってんね” とか  つっこみが入って ”20年落ちなんだから 当たり前やんけ” とか思った覚えがあるんですが 今見てみると 古いうんぬんというより かなり異様な光景 ツッコミ入れたくなる気持ち わかるような気がします爆  笑

 

此の辺の経緯は 以前書いたことがあったんですが よくよく考えてみると 私 この サイクルチャレンジというレースがこの町でなければ 持久系自体 手を出していないと思うんですよねびっくり で このレースに出なければ というか このレースに向けて アホみたいなトレーニング 積まなければ 其のあとの ここでついたフィットネスがもったいなくなって ”次んはなんだ?” と思い ”マラソンか?” と思い 若い頃走り込みやらされすぎて サッカー辞めたら 二度と ランだけは やってやるもんかと 誓いを立てていた 大嫌いな ランに取り組みはじめる事などありえなかったでしょうし さらに嫌いな スイムまで やって アイアンマンなんて野望 もつわけがないんで ほんと 運命って 面白いもんだなーと いまさらながら 思いました爆  笑

 

で よく考えてみると 私 面倒くさがり屋の根性なし何で 恐らく アイアンマンも 地元でなければ 興味すら待っていなかったんだろうと思うんですよね。 ただ 上に書いたような 運命のいたずらと  地元でたまたまあったからという理由だけで 挑むことになった感のある IMNZというレース 出てみたら とんでもないレースだったんですよねびっくり

 

私にとって 此の アイアンマン挑戦は ある意味 登山家が エベレストに挑むようなもの そこまで 数年の 持久系のスポーツの 歩みの集大成というだけでなく これまでの自分の人生をぶつけてみる。 それくらいの心持で 準備をし レースに臨みました。 で 実際 そこまでの自分というもの 全てをぶつけて このレースと 勝負して ゴールにたどり着いた時 経験したものというのは 今考えても これまでの人生で経験したこととは まったく違う感動。 そういうものだったように思います。

 

私 あの年 物凄い量のトレーニング積んで 物凄い苦しみをレースで耐えて その末に フィニッシュシュートにたどり着いてんですが なんかそういう過程で 一枚一枚 生きてくる中で 身に着けてきた ”繕い” というか そういうものが 一枚一枚 はがされていき 此のフィニッシュシュートについた時 まるで 幼稚園の子供かなんかのように すごく無邪気に ”やった やった” と つぶやいている自分がいました。

 

これがその時の写真です。

 

で 私が アイアンマンに出て 確かめたかったことが一つあって 其れが ゴールにたどり着いた瞬間 自分がどんな心境になるのか 其の事二レース前から 興味があったんですよね。 で 実際 レースにたどり着いた時 私の頭の中は ”まっしろ” で ゴールの時 思わず 声が出たんですが それは日本語でも 英語でもなく 心の奥底から 自然にしぼり出されたうなり声 そんな感じでした。

 

 

私は アイアンマンまでに出た タウポサイクルチャレンジとか マラソンとか こういうレースも体験談とか読んでると ゴールにたどり着くことで 人生が変わるといってた人が結構いたんですが 私自身は そこまで感慨が無く 常に ”次はなんだ? ” と 直ぐ探してる自分がいたんですよね。 ただ  此のIMNZのゴールでは まさに ”人生が変わる” 体験をしたように 今振り返ってみて思います。 

 

結局 私は あの日あの時 IMNZのフィニッシュシュートで体験したこと これに魅入られて あれからずっと IMNZに挑み続けてきたのかと思うんですよね。 で このレースの怖いところは 一度目も 人生最高の感動だったというのに 回数を重ねれば重ねるほど その感動が より大きなものになっていっているという事なんですよねびっくり

 

翌年の 2018年は 今のところ 私のPB 二なっているレースなんですが このレースは バイクで知らぬ間に突っこんでしまい (スイムで 例によって出遅れ 結局 完走者1000人ほどのほぼ半数の 500台ほど バイクで抜き返したレースだったんですが) お陰で ラン走り始めたら 実は 体が終わってることに気づいて 入り数キロから 既に 走り続ける事自体が きつくて それだけで精一杯だったんですが それでも なんとか 意地だけで エイド以外は一歩も歩かず 走りきったレースでした。

 

で このレースの レースレポのゴール編のタイトルが ”感謝の気持ち” だったんですが このレースの最終ラップの復路は そこまで 35キロほど 苦しみに苦しみ抜いて なんとか走り続けてきたのがウソのように 楽に走れていたんですが  そうしていたら おそらく 私の場合 生まれて初めてだったかもしれないんですが そこまで 苦しんでいた私を 励まし ゴールまで運んでくれた ボラの方々や 観衆の方々。 しまいには こいつにだけは またおいつかれたくないと ランの最初から つぶれそうだった私を 陰から支えてくれていた 因縁のライバルのロリーにまで 感謝の気持ちを感じながら ゴールに向けて走っていたんですよね。

 

ちなみに 私が IMNZのことを書くときには 彼の存在は どうしても触れなくてはならないんですが 私には 持久系のランに取り組み始めた頃から なんかやたら 我々の道が交錯し やたら目障りな爆  笑 因縁のライバルとしか言いようのない ロリーという奴がいるんですよね。 

 

彼と 初めて会ったのは 最初フルマラソン挑戦を思い立ち それに向けたトレーニングのための 指標が知りたくて 出た 地元の5キロレースの時でした。

 

で この日 タイム出そうと 最初っから 目一杯飛ばしてきて ソロソロ限界と思いだした 残り一キロ切ったあたりで 涼しい顔して追いついてきて 並走し始めたのが彼だったんですが その時 目の前走る 彼のフォームが今迄見た事が無いほど 無駄も無理もないフォームで 私らしくもなく ”何時かこんなフォームで走れるようになりたいなー” なんて 殊勝なことを想わせるほど インパクトがあったんですよね爆  笑

 

ただ 私 昔サッカー部のころの癖で 最終ストレートに入った時に 肩が並んでいる人間相手には 死ぬ気のラストスパート合戦に入る癖があるんで あの日も 限界超えた ラストスパートで 彼振り切って 結構自信になったんですが このレースが 彼との出会いでした。 

 

で その後 マラソンは サブ4狙ったものの  2分届かずショボーン なんとか完走して 次戦として 地元のハーフマラソンに出たんですが ( 私は 初ハーフマラソンの前に初フルマラソン走ってる 大バカ者なんですが爆  笑) このレースの途中で なんか 見覚えがあるウエア着た 見覚えのあるフォームのランナーに 後ろから ぶち抜かれたんですよねプンプン で彼でてたのかなーと思って 前回のレース結果調べた時 彼の名前知ってたんで 調べてみたら やっぱ彼で 4分くらい 先着されていましたショボーン

 

このレースの後 彼をライバル視するようになったんですが 翌年 私にとって トライアスロンの初レースになった IM70.3で 再び 相まみえ バイクで私彼抜いてたようなんですが 私 この時まだ トランジッションは タイムに入らないとか勘違いしてたほど ずぶの素人で笑い泣き ランへのトランジでもたもたしてる時 後から来た彼が先にランに入るのは目に入ってたんですが ランで離され 10分近く先着を許しましたショボーン

 

で この日レース後 バイク取りに行った時に 彼と鉢合わせて 私が ”いいレースだったね” と 声を掛けたところ 帰ってきた彼の第一声が ”お前バイク速いな” だったんですよね爆  笑 でまあ 彼と話しするの初めてだったんで そんな答え 全く予期してなかったんで ” 良いバイク乗ってんね。 俺もそんなの欲しいよ”とかいうわけ分らない答えになっちゃったんですが 

”それでも お前には抜かれたじゃないか” と返してきたんで ”でも ランは俺の完敗だったみたいだね”と返したところ アイアンマンには出てくるのかという話になり じゃあ コースで また会おうといって その日は別れました。 

 

でこの辺の経緯は 2017のIMNZ の 一週間くらい前に ブログに書いていたくらいだったんで このレース 彼に勝って 今までの借り 全て返すつもりで 出ていて しかも スイムアップした時 彼のバイクもうトランジに無かったんで ”どれくらいっ先行されたのかなー” と思ってたら トランジのとこにいた 妻が ただ一言 ”ロリーに15分先行されてるよー” と頼んでもいないのに声を掛けられ さらに火がついてしまい 思い切り 彼を意識しながらだったレースでした爆  笑

 

で二週目にバイクで何とか抜き返して その後 17分くらい 差をつけてランに入り 私そこそこ良く走れたと思ってたんで 彼は振り切れたものだとばかり思ってたんですが 残り三キロくらいのとこで 追いつかれてしまったんですよね笑い泣き

 

ただ あの日は不思議と 悔しいという想いは全く浮かばず あんなに苦しい アイアンマンのランパート しっかり自分のペースを守り 最後の最後に 見事差し切った 彼二 敬意の想いしか浮かばす がっちり握手を交わしたんですが その時に彼が ”Let's get this one done, together" (一緒に このレース やっつけてやろうぜ) と声をかけてきて その後 ゴール近くまで ずっとレースの感想など話しながら並走してました。 ただ 私 このレース 自由な気持ちで ゴールを迎えてみたいと思っていて 私の場合 ゴールまで並走してしまうと 初対決の時のように 死に物狂いのスプリント勝負に入ってしまう恐れがありありだったんで 爆  笑 彼に先行してもらったことがありました。 

 

で その日以来 会うたびに ”アイアンマンのレッスンをしてやった” と 一年いじられまくってたんで笑い泣き 二度目のアイアンマンでの対決では ボコボコにしてやろうと思って 2018年のレースやってて スイムは17分差と 一年目より余計に離されてたんですが バイクの1ラップ目でとっとと抜き返していました。 

 

で 今回は 前回よりも ラン入る前に離せてる自信はあったんですが ただ 彼の方が ランナーとしては格上なんで 私がつぶれて歩いてしまえば そんなリードなんて 簡単に吹き飛んでしまうものだったんで あの日 アイアンマンでのサブ4を狙うつもりで 1年間努力積んでたモノの 序盤すぐさま 断念して つぶれず 走りきることに 頭を切り替えられたのは また奴に追いつかれ  もう一年 ”またレッスンしてやった” とほざかれるのだけは 我慢できん。 そういう想いからだったんですよね爆  笑 それもあって 彼にまで 感謝の気持ちでいっぱいだったようですグラサン  
 
で そうやって 辿り着いた 二度目のフィニッシュシュートは あのときの言葉借りると 

 

” 去年を上回る苦しみに耐え たどり着いた今年のゴール 去年とは違ったものでした。 そこに待っていたのは非常に温かい達成感と満足感 そして この素晴らしいアイアンマンにかかわったすべての人に対する感謝の気持ち こういう思いにあふれた至高の幸福感でした。”

 

という感じだったようです

 

 

で翌年 2019年のIMNZは 前年8月のハーフマラソンに向け スピ練を繰り返しているうちに ひざを痛め その後 半年くらい この痛みが抜けませんでしたショボーン (因みに 此の右膝 今でも 完全に直ったわけではありません) なので 膝に痛みが出たら 練習打ち止めというマイルールを作り ほんと ギリギリのところで研鑽積んでたんで 例年の半分もトレーニングは積めず エントリーするべきかどうか ずーっと迷っていて 実は エントリーする三日前くらいに 妻に この週末に 膝の状態に好転が無かったら 今年はエントリー回避しようと思っていると 伝えていました。

 

で 実際には 特に好転は無かったんですが笑い泣き やっぱりあきらめきれず爆  笑 かなり 見切り発車で エントリーしたんですが まあ 天候の コンディションが 前年よりタフだったこともあり バイクのタイムをかなり落としたものの なにげに スイムとランは 前年より タイムを上げることが出来 特に ランは 今のところPBとなっていて しかも 私 これまで走ったすべてのマラソンで 最後3キロというのは どこまで ペースの下がりを 抑えられるかという忍耐の勝負になるんですが このレースだけ アイアンマンだというのに 最後の3キロ 全てを絞りつくし そこまでのペースより あげることができましたびっくり

 

このレース いまだに覚えてるんですが その年積んだ研鑽の答えは このランパートの最終ラップ次第と思ってたので 気合入りまくってて このラップ入った時 自分にびんたかまして ”掛かってこいや こらームキー” と 喝を入れたんですが 実はこれが失敗だったようで 直後に両脚 おもいきり攣ってしまいました笑い泣き アイアンマンというレースでは 実は ”頑張らない”という事が一番大事なんで こういう 日本の体育会のノリの ”気合と根性”モードが 一番だめなんで 私の場合 DNAレベルまでしみ込んでる 人格から変えていかなければいけないようなんですが ただ この年に ”昔の自分”で アイアンマンに真っ向勝負を挑んで ねじ伏せた感があったので これは実は その後の自分の自信にはなっているのかなーと 振り返ってみて思います。

 

で このレースは ランの最後 ずーっと ”No Regret” (悔いだけは残すな) という想いが頭を離れず ほんと最後の一滴まで絞りつくしたレースだったんですが そうしてたどり着いた 3度目のIMNZのフィニッシュシュートは さらに感動的で至福な空間でしたラブ で その時の感じは レースレポに書き残してあったんで コピペしとくと こんな感じでした。

 

”その後もしばらく 次々出されてくる手とハイタッチを続けていて 去年はそのままゴールまではハイタッチの嵐だったんですが 今年はなぜか自然とコースの真ん中に脚が向かいました。 これなぜこうなったのかその時はわからなかったのですが 後から振り返ってみると ここまでずーっと熱心な応援で 励まし続けてくれた 観衆の方々や家族たち、 我々アスリートを献身的にサポートしながら 大声の声援で ずっとハッピーな気持ちにしてくれたボラの方々、 こんな素晴らしいレースを可能にしてくれている運営にかかわる方々、お互いに励ましあいながらここまで一緒に戦ってきた他の参加者たち、そして アイアンマンという素晴らしいレースそのものに どうしても感謝の意を表しておきたかったからなのかなーと思いました。 なので ここからゴールまで 長々と頭上で 大きな拍手をしながらゴールにたどり着きましたニコニコ

 

 

ちなみに このレース 前年 40分差つけて 其れまでの借りを まとめて利子付けて 返し てっきり 引導渡していたと思った ロリーのやろうは 前年の惨敗で 火が付き この年はコーチつけて 凄い量のトレーニング積んで 前年の私のタイム上回る PBたたき出してきて 前年より 少しタイム落とした私は してやられました笑い泣き

 

ただ 面白かったのは 私ゴールついた時 ロリーを探して 彼に完敗を認め おめでとうを伝えることしか頭になかったようなんですが しかも 彼にタイム聞いて 自分のPBすら破られての完敗だと知った時 なんか うれしかったんですよねびっくり 今思うと 彼が先輩の意地見せて しっかり 結果を出してきたこと。 それが ライバルとして 素直にうれしかっただけだったようなんですが 私 超負けず嫌いなんで 自分がそんな殊勝な事感じる人間だとは 知らなかったんで 非常に興味深く思ったことを今でも覚えています。

 

で まあ その後 奴とは 我々の間で お決まりになっている ”次は ぶちのめしてやるから 覚悟しとけ” というセリフを交換して別れ 家族と対面したんですが 声を掛けようとしたら 突然 感極まってしまい 声が出ませんでした爆  笑 で レース後振り返ってみて 其の直前に ”今日自分にできる事は かけ寝なくすべてやりつくした” という想いが頭をよぎっていて それで家族の姿見て 緊張が切れて 感極まっちゃったんじゃないかと思うんですが まあ こういう体験は人生初めてだったんで まさに この年のレース速報のタイトルに自然となったように ”魂のレース” この年の IMNZはそんな感じだったように 今でも思っています。

 

で よく2020年は 今年に延期になった 地元タウポでのIM70.3の世界選手権が良く根に予定されてたんで 万が一のスロットゲットを目標に 大好きなIMNZではなく 同時開催のIM70.3NZの方に出た年でした。 で スロットには全然届かなかったものの 一応 この距離のPBを三種目とも更新し 自信をもって もう一年 研鑽を積み 2021年は 二年ぶりに再び IMNZに挑みました。

 

このレース 一度 コロナのロックダウンで 延期となり 主催者側が 意地見せて この規模のレースを 三週間後にずらすという離れ業やってのけてくれたレースだったんですが そのせいか ボラや観衆の方々も 物凄い熱気で 例年にも増して 素晴らしい経験でした。

 

レース的には 一応スイムは順調にPBだったんですが バイクのコンディション すごくタフだったこともあり かなりタイム落とし このレースには ロリーは出てなかったんですが もう一人の地元のライバル デービットさんに ラン入る前に 30分くらい 遅れて ランパートに入ったレースでした。

 

で ロリーは この年 着替えのテントでボラしてて 私の着替え手伝ってくれてたんですが その時に デービットさんが 20分前くらい前に通り過ぎていったと いま考えると ガセネタ掴まされ爆  笑 ” 20分差なら 追いついてやらー” と いったら 奴が ”ランはお前の方が上だから いけるんじゃないか。 4時間ちょいで 帰ってくるつもりか?” と聞いてきたんで ” いや 4時間切って 帰ってきてやっから 良くみとけ” と 高らかに宣言して スタートしたランパートでした爆  笑

 

まあ ライバルに そんなの大見得切ってスタートしたんで アイアンマンのレースだというのに このマラソン 撃沈上等で イケイケムードで最初からずっと走ってたんですが そんな状態だったんで 案の定 30キロ過ぎてから エイドの間隔が 遠くなってきているように感じ始め ”あちゃー 疲れてきてるな まじいな” という想いが頭をよぎり始めました。

 

で その後 此の年から 4ラップに変更になっていた 最終ラップへの折り返しの手前で 折り返してきた そこまで 10時間以上 ずーっと 目の敵のように追いかけ続けてきた デービットさんを ついに発見したんですが 思い返してみると 既にこの辺で 体が限界に入り始めていた様で 其のあと 5キロくらい 一歩ずつ 脚が攣りそうになるのを ごまかしごまかし 走り続けていたものの それが 一歩ずつ 足が攣ってしまう状態になり 打つ手がなくなり ついに歩き始めてしまいました。

 

で すごく不本意だったんで 回復させて また走るつもりで 何度も何度も 試したんですが どうしてもだめで しかも 219年以来 軽い痛みを常に抱えている右膝が 使い物にならなくなってきてる感覚があって あのまま 走ってしまうと 下手すると再起不能になる恐れを感じたので 無理をせず そこから 全歩きでゴールまで 帰ってきました。

 

ただ あの年のレース 結果だけ見たら 悲惨なレースだったんですが 自分自身は 以前よりも この アイアンマンというレースを恐れず 勝負に行って 最後まで 体がもたず その結果になっただけだったんで ある程度 納得はしていたようだったんですよね。(実際 ランパートは 恐らく どこかで 走れなくなることは 覚悟のうえで それでも どこまで あの年の自分が 通用するのか それを試してみたかったから ああいうレースをしていたようなんで)

 

で IMNZでは 毎年 レースパックに 地元の子供たちが 参加者宛に メッセージを書いてくれたのが入ってるんですが 此の年のパックには やたら ぎっしりgと書かれた メッセージが入ってて その中に ”Do the best you can do, Be the best you can be"という一文があったんですよね。

 

でこのレースの日 きつくなるたびに この言葉思い出して ”自分のベストを尽くし 今日なれる ベストの自分で いられるのなら それ以上 望むことなんてあるのか?” という心境になり あの日の私を支えてくれていたんですが この年のレース速報が ”自分史最高の一日” というタイトルだったのは 伊達ではなく アスリートとして そして 人として 自分のベストを尽くせた一日だったと 今振り返ってみて思います。

 

 

そして 翌2022は 残念ながら コロナで 中止に追いこまれ 2023が 再び私にとって二年ぶりのIMNZとなりました。 で 振り返ってみると これ 2019の 膝の故障で ぞれ迄の半分以下しかトレーニングできなかったのに それまでで体感的にベストのレースが出来た事。 その流れから あまり トレーニングは以前ほど積まずに より楽に動く技を磨き続けていたら 2020年にアイアンマンより 速いペースでのレースになる 70.3の方で 三種目ともPB出せたこと。 こういう大きな流れの中で トレーニングの量ではなく より楽に動くの研鑽の質にこだわって研鑽積むようになり どんどん 距離や時間が 年を追うごとに落ちていっていて この年は アイアンマンへ向かうというのに 三種目とも ほぼ全く 距離 時間を積まずにレースを迎えました。

 

で まあ さすがに これは自分でも ”大いなる実験”と感じていたんでしょう レース前に そんなタイトルの記事を書いてたんですが爆  笑 実は 本人 自信満々でレース入ったところ 最初のスイム半分もいかないところで 既に 全身に攣りの兆候が出始め ”あれ これスイムですら 最後まで行くの 無理なんじゃないの?” という想いが頭をかすめ始めるという 間抜けなレースになっていしまいました笑い泣き

 

まあ このレース 伊達に ”アイアンマン”なんて 名前がついてるわけでは無いんで スイムからすでにそんな状況だと バイクはさらに惨たらしく なんとか 命からがら こなして 帰ってはきたものの バイクの終わりに 次のマラソンの事考えたら なんか そびえたつ エベレストのような バカでかい山のイメージが目に浮かんだほど ”ここからマラソンだけはあり得んだろう滝汗” という状況に追い込まれていましたえーん

 

で テントで着替え終わって 走り出そうとしたら 此れまでで初めて 走り出すことすらできす滝汗 仕方なく 出口に向けて歩いていたんですが そこにエイドがあったんで 補給して 出口のところで 意を決して 走り始めたんですが 案の定 最初の一歩からすでに 走り続ける事すらきつい状況で 結局 其のまま 最後一キロくらいまで 全歩きつかったものの滝汗 なんとか最後まで 脚攣りの回収以外は一歩も歩かず 走り続けた おぞましいレースになりました笑い泣き

 

私 ゴールについて 妻にあった時の 第一声が ”今日は間違いなく 此れまでの人生で 一番きついものを乗り切ってきた” だったくらいなんで きつかったのはきつかったようなんですが その分 正直生まれて初めて あの日自分がしてきたことに 誇りというものを感じて 最後の方レースしてたレースでもあったようなんですよね。 なので レースレポに書いたように あの日の最終ラップの復路の最後のほうは私にとって ビクトリーランのように感じながら走ってたんで このレースのフィニッシュシュートは これまでより さらに感動的で レースレポに書ていたように ”物凄く大きな感謝の気持ちと 幸福感に一瞬にして包まれ” たゴールだったようです。

 

 

しかしまあ アイアンマンとかやり続けてると 人に ”なんで?”と聞かれることが 多いんですが こうやって振り返ってみると 毎年レースが 私にとって 想い出の詰まった 宝物のようなもののようなんで 通りで 夢中になっているわけだよなーと つくづく思いました。 さらに 一年の 想いの丈 自分に出来るだけの努力が加わった 今年のレース どんな経験になるのか。 今から非常に楽しみにしていますニコニコ