こんばんわー。 さて 今日も今回の診療の旅のお手伝いをしていて学んだことの記事になります。

 

昨日 "氣” の事考えてて 日本語には やたら 気の付く言葉が多い事に気付きました。 (また 気 ですね爆  笑

で そういう言葉のほとんどが 今まで私が使ってた ごく一般的な ”気” ではなく 古代中国から伝わる 英語表記での Chi とか Qi と呼ばれる方 “氣” の方にしたほうが意味が通ると感じたんですが  例に挙げた言葉のひとつが ”気のせい”  この言葉の意味を調べようと思って検索かけた時に 実は 気のせい というのは 元々 ”気の所為” と書くものだと 初めて知りました笑い泣き で どうも この  気のせい” を “氣の所為” つまり 氣の為せる所 と考えると いろんなことが腑に落ちてくるように思いました。

 

昨日 青木さんの奥さんが 写真の共有やこれからの連絡用に ラインにグループを立ち上げてくれて そこに ”TEAM 氣綱”という名前を付けられたこと そして 確かに我々4人は ひとつのチームとして お互いを助け合う事で 今回の旅を成功に導けた感じがしていて そこには お互いがお互いの事を想う気持 そこから生まれる”力”が働いているように感じた事を書きましたが 実はこういう力みたいな物が よく言われる "氣”の一例なんじゃないかと思いはじめていて とすると こういう旅がうまくいくことなんかは そういう 氣の為せる業 要するに “氣の所為” というものなんじゃないかと思いました。

 

先日 皆がアップロードした今回の旅の写真を眺めていて そんなに時間が経っていないというのに えらく 懐かしく感じて そうコメントを入れたんですが なんていうか 物凄く密度の濃い時間を過ごした旅で 本当に素晴らしい時間を 素晴らしい仲間と過ごせた そんな風に感じています。

 

で この旅を振り返ってみたら 我々4人だけでなく ホストとして 本当に我々に良くしてくれた 親戚の方々や友人たち ケータリングや その他のサポートを 心良く引き受けてれた友人たちなど 本当にたくさんの人が 素晴らしい 善意の気持ちを持ち込んでくれてたことに気づいたんですよね。 おそらく こういう善意の心なんかも “氣” であり それが織りなさったのが ”氣綱” 今回の旅は こういう力に支えられていたのは明らかなんで こういうものを “氣の所為” というのかと思いました。

 

そういえば昔 兄が 当時所属していたサークルの人たちに 心持ちがよく パワーのある人たちが多いんで このサークルで活動するときは ほんといつも天候に恵まれるとか言ってたの覚えていて 我々の結婚式の時も ほんといろんな人たちが善意をもって集ってくれたおかげで 例年天候の安定しない 年末年始の時期だったというのに あの年だけ 一週間以上 雲一つない晴天の日が続いて いまだに 親戚の間では ”Wedding Of The Century” と呼ばれているほど 素晴らしい式当日 そして その前後一週間ほど こちらと私の家族 友人たちを巻き込んで ほんと素晴らしい休日の日々を過ごせたんですよね。

 

で 妻は いつも この時の現象を 参加する皆が持ち込んでくれた ”Good Will” つまり 善意の心のおかげといっていて いつも上の兄の言葉を思い出していたんですが どうもこういうのも ”氣綱”が為す ”氣の所為” そういうことなのかと思いはじめています。

ここ数日 すごく思うのが 今回の旅で この “氣” というものへの認識が自分の中で すごく変ったように思います。 ここ数年 合気道の世界にすごく興味を持つようになり 去年 藤平光一さんが 千代の富士関の肩の脱臼癖の治療に 氣の治療で当たられたことを知って 青木さんの治療も 恐らく 塩田師のいってた ”山の登りにはいろいろあっても 頂上は同じ” の世界なんだろうなーと思ってたんですが まあ 実際に 體に触れずとも これだけの数の効果を目の当たりにすると “氣” の世界 疑いようがなくなるんですよね。

 

で よく考えてみると 中国では 公園とかで “気功”を磨くグループって いまだに当たり前のようにいたるところで行われているそうですし 第一 この考え 古代から ずっと語り継がれ 残ってきたことなんで こういう咳って 実はあって当然とか そういう話かと思うんですよね。

 

ところが 今 まるで 金科玉条のようにとらえられている 所謂 エビデンスベースの サイエンスによる学説なんかは 今 真実といわれている説のほとんどが 10年もしないうちに 覆されるそうなんで どうも そんな あやふやなまがい物にばかり振り回され 人類に 長い事 語り継がれてきた 先人たちの ”英知”の方を 逆にまがい物のように感じていた 私の頭の中が間違っていただけだと 漸く気付いてきてるように思います。
 

まあ なんにしろ 先日 ”一枚のワンピース” という記事に書いたように 今回の旅に至る ”運命の歯車” を 其れにかかわった 者たちの それぞれの視点で知る機会に恵まれたことで こういう人生に起きる出来事すべてが 実は “氣の所為” その様に感じるようになってきています。 そして 実は人生に起きる様々な出来事って この “氣”の持ちよう次第で いくらでも変えていけるように思うんで 人生って 面白いものなんだなーと すごく感じ始めていますニコニコ