こんばんわー。 さて 律動法をベースにした 療法院を営む 青木さんを招いての 今回の診療の旅 個人的に 物凄く勉強になり 得難い経験だったので 此れから 思いだせる限り 書き残しておこうと思います。
まず一つ 今回の旅を振り返ってみて思うのが 言葉は変ですが 無理な旅だったなーという事でした
私 空港でご家族をまっているとき ふと思ったんですが 青木さんの顔は何となくわかるだろうけど 奥さんも 息子さんも初対面だし よく考えてみたら 無事会えるんだろうか?という事だったんですよね 二人ともラインでは繋がっていたんですが 私 その一週間前に携帯が壊れて data移管がうまくいかなくて 青木さんの電話番号も 移し忘れてましたし
これ 先日も書いたんですが 我々よく考えてみると 二度 診療でお会いした だけだったんですよね しかも NZという 日本人にはそんなになじみのない国に住む 風貌の怪しい私と 片言の日本語を話す 外国人の妻 そんな我々から 10日間ほど すべてを任せて 療法院閉めて 妻の親戚の家とかに寝泊まりしながらの診療の旅に飛んでこないか? という提案受けて 乗ってきたわけなんですが これ 実は とんでもなく度胸がいる事だと いまさらながら気づきました
まあ この話題は 旅すがら 会話の中で 出たんですが やはり 決断は すごく大変だったし ここ半年くらい 急に忙しくなってきてるそうなんですが 私らがいったときはえらく暇そうにしてたから 今なら実現の可能性あるかもと思って声かけた訳ですし 生活面からみても 奥さんは最初 絶対に無理といわれてたそうです
因みに その治療の凄さからして すぐどこかで人気に火が着いてnzには簡単には呼べなくなるだろうというのは容易に想像が着いたので 無理を承知で話を急いだわけだったんですが、やっぱ話聞いてみたらここ数ヵ月で急に対応に困るくらい忙しくなってきてるそうなんでギリギリ実現した感じだそうです。
で 青木さんがなぜ踏ん切れたかを教えてくれたんですが やはり 妻の努力と誠意 これに打たれたそうで 青木さんの言葉を借りると これだけ一生懸命やってくれた人に応えられなければ 男ではない。 そういう想いからだったそうです。 (因みに彼若い頃 ハーフマラソン 65分とかの本格的なランナーで体育会系の人です)
ただ いくら妻の誠意は感じるといっても 我々夫婦 ほぼ何も知らない まったくの赤の他人なわけなんで やはり それだけでは無くて 我々よりは 少し彼らが知っている 弟の説得。 そして やはり 彼の人となりからの信用 そういうものがあったようで 其れで今回の ”無理な旅” が実現したようです。
まあ このほかにも もっとずっと前から 運命の歯車のようなものが 回り続けてきて 今回の旅に帰結したようなんですが そんなこと考えてて ふと頭に浮かんだのが 旅の途中で聞いた 青木さんの師匠の師匠 律動法の創始者の茂木さんが言われてたという言葉 ”氣綱” というものでした。 (茂木さんは 普通の”気”という漢字を使われてたかもしれないのですが 恐らくおっしゃりたいことはこちらの漢字で間違いないんじゃないかと思うんで ここでは こちらをあえて使わせていただきます)
此の ”氣綱” まあ 今は”絆”(きずな)と表記されている言葉を茂木さんなりに表現されたモノらしく 氣のあたかも綱のようなつながりこそが きずな すなわち ”氣綱” という事 だそうです。 (ちなみに これ書くために 絆の語源調べてたら 実は 元々は 引き綱から来ているそうで 昔は ”きづな”と表記されてたそうです。 出雲大社なんかで飾られている大きな綱 ああいうのも引き綱と呼ぶみたいですね)
青木さんが学ばれた 律動法というのは 體に触れずとも効果のある まあ 今の世界の一般常識から見ちゃうと 完全にその外にある世界の話に思います。 なので 私今回 100人以上の診療を ある意味 参加者としてみる 幸運に恵まれたわけなんですが 妻が 事前に 手を尽くして説明していたとはいえ ほとんどの人が ”なんじゃこりゃ” という顔をして 座ってましたし
ただ 私 今回 診察中 痛くてろくに腕があげられなかった友人が 診療後 まったく痛みもなく 自由自在に上げられるようになって 彼 元々 サイエンス系の学位持ってる人なんで 余りにも仕組みが分からず おったまげてる姿見てますし そのほかにも 杖ついて診療に来た人が 杖なしで帰っていく姿や 腰痛がひどくて 腰のギブスはめてきた人が もうこれいらないわねと言って 痛みも何もなく帰られていった姿なんかもこの目で見てるんで 彼の 體にすら触らない施術 効果があるのは これただ単に ”事実”なんですよね。
でまあ 診療後にあった知人なんかに話聞いてても よく聞く言葉が まあ 私もそうだったんですが ”Unbelievable” 要するに 信じられない世界 だったんですが ただ 私先日 ”水平線の向こう側” という記事を書いてるんですが 要するに 青木さんに見えている世界が ほとんどの人の 水平線の向こう側の世界だから 信じられない世界となるだけの話で 人に説明しようとすると どうしても どこかのカルト宗教かなんかのことのように感じてしまうのも ただ単に 私が常識とか現実とか感じでいるものが ものすごく 狭い 私の頭のなかにしか存在しない妄想に過ぎないから ただの事実を事実として 中々認められない。 ただそれだけの話しだったように 今は思っています。
今回 そんな感じで 私の目の前で 私が持っていた 物凄くちっぽけな現実とか常識という妄想からは ”信じられない世界”が何度も起き続けていたわけだったんですが そういうものを眺めていて 考え始めていたのが 結局 診療に来れれた方の "氣”とでもいうものが 青木さんの “氣” に何らかの影響を受けることで こういう現象が起きるのかなーという事だったんですよね。
私 自分のアイアンマンの取り組みの中で やたら 合気道の事ばかり調べるようになってきてることは ここ何年も ずっと書き続けてきたことなんですが その中で 藤平光一という方が 千代の富士関の肩の脱臼癖の治療に“氣の治療”で当たられた事を学びました。
でこのことを学んだ時には 既に青木さんの體に触れない治療のすさまじい効果を 妻の実例として 目の当たりにした後だったんで もしかしたら 合気道家の方々が言われているのと 青木さんの世界 塩田剛三師が ご友人の ”木村の前に木村無し 木村の後に木村無し”と呼ばれた 柔道家の木村政彦さんに掛けられてた 登る道は違えど 頂上はひとつ。 これなのかと勘繰ってたんですが 実際に自分の眼で見 その後 青木さんの説明を受けて やはりそういう事のように思いました。
ただ 正確を期すために これだけは書き残しておかなければならないのですが 青木さん 以前日本で診療受けた時に “気” という言葉使うのためらられてて 今はその理由分っているんですが 巷で 気功とか 霊気とか そういう世界で 気を入れるとか 出すとか そういう言葉が使われているように思いますが 律動法の創始者の 茂木昭さんは "氣”かと思いますが この言葉はよく使われているようなんですが この ”入れる”とか ’出す” ではない ”氣” の世界の話をされてるんで そこを混同されたくなかったんで 気という言葉を避けていたようです。
今回の診療中 青木さんが何度も言っていたのが 治療家が直しているんじゃなくて 全ては その人の持つ 治癒力。それが體を直しているんだという事で この考えが律動法の核になるメッセージのようなのですが 其れを 診療に来られた方に 伝え続けながら 診療を眺めていて ふと思ったのが 実は 今回 妻の体験談を聞き 妻が送った資料なんかを読んだりしながら この治療を受けてみようと決心したときから 既に治癒が始まっていたのかなーという事なんですよね。
今回の診療中青木さんが何度か ”この人すごい。 既に體の方がどんどん直していっている” とつぶやいてて 後で 何人かの人は 実は何もせず ご自分の體が どんどん直していっているのを眺めていただけ と聞いたんですが 結局 こういう話聞いてて こういう事思ったようです。
で 今日 走りながら 色々考えてて ふと思ったのが 実は 青木さんと 律動法という世界を知り 自分自身のほぼ奇跡とでもいうべき効果を経験して こういうものの存在を知ってしまい 親戚 友人たちに 健康で困っている人がたくさんいるというのに そういう人たちを引き合わせるためにベストをつくさなければ 絶対に後悔することになるを言う想いにつき動かされ この旅の実現に尽力した妻の想い これが 今回診療に訪れた人達の心を動かしたわけなんで 実は こういう“想い”の持つ”力” も 私がこの目で見た たくさんの感動的なシーンを生み出す一助となっていたなかなーと思い 実は こういうものすべてが “氣” というものであり 律動法の創始者の茂木さんが ”氣綱”と表現されていた 氣の ”つながり” とはもしかしてこういう事なのかなーと思い さらには ”合気” というものも そういう事なのかなーと ふと思いました。
で この事書くと 個人的な話なんですが 書き残しておかなければならないことがあって 其れが 青木さん夫妻と 車の中で 話し込んでるときに ふと話題に出た事でした。
私の母は 洋服やジュエリーなどを扱う小さなお店を晩年やっていて ここを始めるにあたり ”Belle Katena" という店名を付けました。
で当時は私日本に住んでて 時々手伝いをしてた時に聞かされたのが 此の名前は 以前から 母がずっと心の中で 温めてきたコンセプトを今回 言葉にしたもので “Katena” という言葉には 五輪のマークのような 輪のつながりのように 人と人とがつながっていく。 母がずっと思い描き お店という形で続けてきたコンセプトというか "想い”がこめられているという事でした。
で 青木さんが今回の旅の決断をするとき 弟が 日本で青木さんの背中を押し続けてくれたようなんですが 実は 弟が今は亡きその母の想いとともに この ”Belle Katena” という屋号を引き継いでいて さらに 奥さんの方が このお店のお客さんで 青木さんは 奥さん経由で 弟と知り合ったそうなんですが そんなこともあり青木さんの口から 今回の旅は”Belle Katena” の診療部門のようなものなのかなーという言葉が出たんで この話を思い出して青木さん夫妻に伝えたんですよね。 なのでどうも 此の “氣綱” という茂木さんの言葉 母の思い描いていたこともそういうことだったのかなーと ふと思いました。
絆という言葉 良く ”親子の絆” のように使われますが 今回の診療の旅で 我が子の健康を願う 親の想い 痛いほど感じ続けていました。 まあ こんな 正直 それなりに東洋の世界観に理解のある 日本の人たちにだってカルト宗教の世界かなんかにしか聞こえないかと思ってしまう治療法に まったく世界観のちがう この国で生まれ育った人達が試してみようと思うくらいなんで すごく 一般的な方法では 効果的な方法が無い症状とかに困っていた人たちがたくさんおられたわけだったんですが 青木さんの 本当に心から人を癒すという事に向き合った行いのおかげで
そういう すごく困られ 心を痛めていた方々の 心の重みが目の前で降りていき 其の事を心から青木さんに感謝され喜ばれている姿を見て 何度も胸が詰まる程 心を打たれました。
結局 私が今回目の当たりにしたのは こういう 様々な方々の “想い” が触れあい より 大きな力として 人を癒していくという事象だったような気がしていて こういうのが ”合気”であり "氣綱” そういう事なのかなーと思いました。