こんばんわー。 さて 日本から招いた療法士の方の診療の旅は まだ続いているんですが 私は 明後日から 仕事なので 最後の一日は 妻に任せて 私は自宅に戻ってきました。

 

いやー しかし なんか トンデモナイ旅になりました。 最終的には NZの北島 上から下まで回り 120人ほどの診療のお手伝いをしてきたんですが 正直 終わってみて思ったのは こういう診療の旅を 通訳という立場で 当に最前列で経験できたことは すごく光栄なことだったと感じました。

 

此の療法士の方の治療は 體にほとんど触れないという まあ 殆どの方が頭で理解できることの外側の世界の話しなんで 正直 それなりの苦労はありました。 ただ そんな治療を 文化の全く違う外国で しかも 全て新患の方々相手に 一度の診察で それなりの結果を常に出さなければいけないという 物凄く大変な状況の中 素晴らしい結果を残され 様々な方々が癒されるお手伝いをされた 青木さんには 素直に 敬意を表しておきたいと思います。

 

まあ この旅すがら いろんな話を青木さん夫妻としたのですが やはり この旅の誘いを受けるのには かなりの覚悟がいったようなんですが (まあ 二度 診療しただけの 赤の他人 しかも NZとかいう まったくなじみのない国に住んでいる人間に 10日間 ご家族全てをゆだねてみませんか? という無茶なお誘いだったわけなんで 当たり前の話ではありますが笑い泣き) やはり ここに至るまで 物凄い努力をし 誠意を見せることで 青木さんを動かそうと試みた 妻の熱意がやはり決め手になったそうでした。 

 

昨日 帰りの車の中で 妻が 今回 青木さんを招くために 尽力した理由として 出来るだけのことをして 其れでだめなら 其れはそれでいいと思っていたんだけど 出来るだけのことをしなければ 絶対に後で 後悔すると分かっていたから と言っていました。 まあ 彼女は 物凄く 家族 友人想いの人なんで 自分に信じられないレベルの効果があった こういう療法士の方が居るのを知っていて 家族 友人に困っている人が居るのに 其れを大変だからとか 難しすぎるから とか そういう言い訳で 自分のベストをぶつけてみることなく 自分をごまかせる人間ではなかったんですよね。

 

今回 私は  通訳という形で お手伝いしてので ほぼすべての診療を 一番間近で経験するという 恵まれた立ち位置で経験させていただいたんですが 今回参加してくれた ほぼすべての方々が 何らかの形で 癒され そして この診療を受けることによって 受ける前よりも 幸せになられたことを その場で感じ 後日あった時の話しなんかで 知りました。 

 

今回 弟が 日本で この旅の実現のため 色々後押しをしてくれたようで この旅に関する記事は 弟への報告も兼ねているんですが 妻や弟が 動くことで 青木さんご夫妻を動かし たくさんの人が参加され そこには まあ 一般通念からすれば 小さな奇跡と恐らく呼ばれるんであろう出来事が何度も起き この旅が実現したことで この国には 間違いなく 幸せになった人がたくさんいるという事を 伝えておきたいと思います。

 

まあ この旅の内容のとんでもなさからして 時系列的に 書き残すことに 正直 意味は感じなくなってしまっているんですが 前回 前半の事書き残してありますし まあ 今回起きた事を 後で思い出すための一助にはなるかと思うんで 後半も書き残しておこうと思います。

 

前回の記事の翌日は 今回の診療の山場 地元タウポでの 35人ほどの診療の日でした。 で 結果的には 朝9時半から6時くらいまで ほぼ休みなしで 掛かり 青木さんにとっても 通訳する私にとっても 正念場の日となりました。

 

此の タウポでの診療は 同じように多めの人数だったハントリーで診た方々とは 肌色の少し違う グループの人達が多かったためか その時とは 違う趣の日となり 少し大変に感じましたが これはこれで 興味深い経験になったように思います。

 

診療に通訳として付き合い 不思議な立場で診療を眺める機会が増えていくたびに感じたのは 同じ診療経験でも 受けての性格というか 性質というか そういうもの次第で まったく違うものになるなーという事でした。

 

診療をみてて思うのは なんか タイプ別に大別すると 開放的な人と 閉鎖的な人と なんかそんな感じで大別すると分かれるように感じました。 で私自身は間違いなく閉鎖的な人間なんですが そういう性質の人間というのはいろんな場面で損をしてるんじゃないかなーと そんな印象を持ちました。

 

まあ そんな感じで ある意味山場だったタウポを無事こなし その夜は今は亡きタウポの隣町ツランギの義父の家にとまりました。 で この夜はシェフをやっている息子が ステーキなどの夕食を用意してくれたので 青木さんたちも楽しんでくれたようです。 

 

次の日は ツランギでの診療だったんですが この日は雨模様で 義父の家よりも 診療がやりやすいだろうという事で 近所の知り合いの好意で彼らの家で 診療をさせていただきました。 ただ そのおかげで 特に 旦那さんの方は 長年苦しんでいた事を好転させる一助が出来たように思うんで めぐり合わせというのはおもしろいものだなーと思いました。

 

この旅行中 青木さんご夫妻とかなり 話し込む時間をとれたんですが 二度 診療をうけただけ という ほぼ 赤の他人に等しい我々が ニュージーランド北島縦断の診療の旅をともにするという まあ ある意味 不思議な経験をするまでに至る 歯車というかめぐり合わせのことを少しずつ 学んだんですが まあ 事実は小説より奇なりとよく申しますが 非常に興味深いモノでした。 この事については また時間があるときに文章にまとめてみたいと思います。

 

此のツランギでの診療は 前日のタウポとは 少し趣が違い 何度も 感動的な思いをしました。 これは この度を通じてかんじたことなんですが NZの先住民族 マオリの方々。 妻は 少し血が入っているんですが すごく情が深いというか そういう方が多いんですよね。 此のツランギでは 青木さんが わざわざ遠路はるばる 人を癒すために 来てくれたという事に 心からの感謝をされている方がたくさんいて そういう方々が 喜ばれている姿をまじかで立ち会えたのは 本当に心打たれる経験でした。

 

此のツランギには 個人的に すごくお世話になっている人が何人もいて そういう方々が まあ 最初は 半信半疑だったんですが 施術を受ける事で いろんなことが起きて いろんな意味で 施術を受ける前より 健康になられているのを間近で 実感できたのも 非常にうれしく思いました。

 

その日の夜は また シェフの息子が パスタの夕食を用意してくれたんですが 青木さん夫妻も すごく喜んでくれて 其のあと 色々 こちらでの食事を経験した後でも また 彼の料理が是非食べたいと 何度も言われていたので 気に入ってくれたようで うれしく思いました。

 

で 次の日は 世界遺産のトンガリロ国立公園のふもとにある 我々が結婚式をした マオリの集会場 マラエ を案内した後 フィールディングという小さな町の 親戚の家で 5人ほどの診療をしたのですが これもすごく 興味深い経験でした。 ここで診療した親戚の内の2人は コロナの後遺症と 医者で どれだけ診療しても 理由がつかめなかった 腸に絡む不調から すごく苦しんでいたんですが 青木さんの治療で その場で はっきりわかる好転があり すごくうれしかったのとともに 此の療法のすばらしさを実地ですごく感じることが出来たように思います。

 

其のあとは 羊の農家をやっている親戚の家に移動し また 5人くらい 親戚の診療をしたのですが ここでも より健康な體という贈り物を青木さんから 親戚にいただき 青木さん家族も まあ NZに来たら 一度は経験していただきたかった 羊のローストを 心から堪能され 牧場犬のトレーナーもやられている叔父さんに 羊の群れを 犬がコントロールする 様子なんかも見せてもらったり 農場でのステイを楽しまれていた様でうれしかったです。

 

次の日は 農場を朝出発して NZの首都であり 北島の最南端にあるウェリントンに向かいました。 で 先ずは ウエリントンの近くの ラワーハットという町の マオリの人達中心にやっている コミュニティサービスセンターで7人くらいの診療だったんですが ここでは マオリの人たちが 訪問者を迎えるマオリの伝統的なしきたりである カラキアで迎えていただき セッションも すごく感動的なものが多く 参加者の方々にも すごく喜んでいただき 帰りにお土産なども頂いたので 青木さん家族にとっても すごくいい経験になったのではないかと思いました。

 

でその後は ウエリントンに向かったんですが この町は ニュージーランドでは かなり特殊な アジアの街のように 狭い土地に 高層ビルが立ち並ぶ すごく都会的な街なので NZについて以来 殆ど なにもない町でばかり過ごしてきていた 青木さん夫妻には かなりインパクトがあったようです。

 

で この町では 診療もできるように ホテルではなく ラウンジのある 一室を取っていたので そこで 南東のネルソンという町から飛行機で来た友人の家族など 7人ほどの診療をしました。 ここでは 特に この友人の家族の抱えている問題を和らげるお手伝いが出来たように思うので すごくうれしかったです。 

 

翌日は また ツランギまでもどり 二度目の診療の人達中心の予定がかなり入っていたんですが 少しだけでも 観光をと思い 朝  丘の上から ウエリントンの街が一望できる ケーブルカーに乗りました。 これは 同行している 幼い息子さんが喜ぶんじゃないかという 奥さんのご希望でもあったんですが 息子さん 目をかがやかせていたので この観光を入れられてよかったと思いました。

 

今回 其れこそ 200キロ 300キロと離れている町を転々としながら かなりぎっしり詰まっている診療をこなしていったんで 結構 ずっと時間的に綱渡り状態でした滝汗 例えば この日は ウエリントンから 一路 300キロ以上離れているツランギの街まで戻っての診療だったんですが 案の定 義父の家についた時には 予定時間の前についていた 二台 診療予定の方々の車がすでに待っている状態でした。 それでも 大体予定通り 診療はこなせたので かなり 当日でも 色々調整しながらという ストレスのかかる状態ではあったものの なんとかなってよかったなーと思いました。

 

今回の旅は 時間的にギリギリの旅程だったため もともと この診療は 受ければ受けるほど より良いものになるとは言われていたものの 時間が足りなかったので 基本 先ず 一度目の診療を 南下しながらこなしていき 折り返して 戻っていくときに 受けられるだけの 再診療を入れるという予定だったので 此のツランギでの診療は 殆ど 二度目の診療にの人たちでした。 

 

で この日は 家族で一度目の診療を受けられた 親戚の家族の方々が また二度目の診療に訪れていたんですが 叔母さんの話によると 前回の診療後 家族みんなで テーブルを囲んで 診療のことを色々話していたそうなんですが 皆 それぞれ 効果があり 叔母さん自身 頭にあった 重しのようなものが取れ 家族皆 すごく幸せな時間を過ごせていると 物凄くうれしそうに話されていて 今回の診療の旅がもたらしたものの意味を 心から感じられる言葉を 叔母さんにかけていただいたように思い すごく心に沁みました。

 

この日の夜は 一応 私がご一緒できる最後の夜だったんですが 義父の家には 外に焚火を出来る場所があり いつもその焚火を囲んで 酒を飲みながらだべるというのが 常なんで この夜も 夜更けまで 話し込みました。 まあ この時や 車の中などで 長々とご夫妻と話し込み いろんなことを学び ここに至る経過の すごく興味深い出来事のことも知ったんですが その辺は後日続けて書き残しておくことになるかと思います。 

 

このとき 奥さんが たった一週間ほどなのに 日本にいたの 3か月以上前とかに感じるといっていたんですが 私も 当にそんな感じに思うほど トンデモナイ密度で まー 得難い経験にあふれた とんでもない旅だったように思います。 この最後の焚火は 息子さんも喜ばれていたようなので この旅の まあ私がお手伝いできる部分でのフィナーレにふさわしい時間が過ごせたように思いますニコニコ

 

今朝 妻と話してた時 思わず口をついた第一声が ”It was a hell of  a trip" (ほんと トンデモナイ旅だったね) だったんですが なんか それ以外に表現のしようがなかったから そういう言葉が口をついたように思います。 なんかこう この旅に行きついた 青木さん側の過程を今回の旅すがら 徐々に教えていただいたんですが なんかこう 運命の歯車というか そういうものに皆突き動かされて実現した そんな旅だった気がしていて 本当に 得難い時間を過ごさせていただいたなーと そんな風に感じています。 まだまだ 書き残しておかなければならないことがたくさんあるので しばらく この旅のことについての記事が続くかと思います。