こんばんわー。 さて 今日もお休み そして 今日も快晴ラブ となれば 当然 三種目まんべんなく より深い脱力の世界の探求 満喫してまいりましたニコニコ

 

ちなみに 私の膝の状態 思いのほか悪かったようで 今日はまず ランからだったんですが 走り始めて見たら 予想以上に 膝に痛みがあったんで すぐやめとこうかと思いましたショボーン

 

ただ 今 試してみたい事がたくさんありすぎるんで 其れで つい走り続けていました笑い泣き ただ これ ただ無鉄砲にこういう事やってたというより 脱力がうまくいくと 痛みが無く走れるんで 其れでつい 走り続けちゃってたんですよねショボーン どうせ今私 トライアスロンの練習してるというより ただ単に トライアスロン三種目使って 脱力で動くという事がどういうことなのかの研究をしているという方が正しい状態なんで 脱力がうまくいけば 膝に痛みが出ない状況というのは 実は一歩一歩 脱力を真剣に探るのに 最高のモチベを与えてくれるわけなんで爆  笑

 

なので そんな感じで 走り続けてたんですが 2キロくらいいったところで さすがに これは無茶かなーと思い 実は一度家に向かって引っ返したんですが その帰り道試行錯誤シテタラ どうも 今迄とは違う走り方というものが見えてきたんで 結局また折り返して 都合6キロくらいは 今日もランでの脱力の研鑽を積むことになりました笑い泣き

 

まあ 本来 膝の痛みをおしてまで 走るべきではないんでしょうが 今 研鑽を積めば積むほど まったく新しい ”なにか”が見えてくる状態なんで どうも その誘惑から 逃げきれないようですね笑い泣き ただ これ以上痛めて 全く走れないとかになると 困るので 気を付けないといけないなーと思いましたショボーン

 

ただ そんなリスク冒してまで笑い泣き 探求積んだだけの成果はあったようで 今日 最後の方に 坂登ってる時に 心拍チェックしてみて びっくりしました。 こちらが今日の心拍のデータなんですが

 

 

今日 走ってたのは 昔 山のガイドとかやってた頃 天候不順で 山は入れなかった時 日本からの山登りのお客さん連れて歩いて 一度も 不満は出なかったほど アップダウンだらけの私のホームトレイルなんですが そこ登ってるときでも 一度も 心拍130超えてないようなんですよねびっくり 

 

昔 マークアレン氏が  マフェトンメソッド試された時 確か心拍の 指定が155BPMとかだった記憶があるんですが 当時世界戦勝てるくらいの力はもう会った アレン氏ですら 最初上り坂は 心拍を収めきれないんで 歩いて登ってたらしいんですが 恐らく アレン選手当時25才とかかと思うんで 220-年齢の 理論値に当てはめると 最大心拍数195とかあったころなんじゃないかと思うんですよね。

 

で 私いま52才なんですが 相変わらず 最大心拍数 190以上ある人間何で (因みに これは 私 30年近く チェインスモーカーだった 超不健康な人間なんで 最大心拍数だけでなく 心拍数が全てのゾーンで 同年代の健康な人より 20-30くらい高いようなんですがショボーン) 実際には マフェトン博士の 180ルールそのまま適用すると 健康な人より かなりハンデがあるんですが それでも まあ 所謂マフェトンゾーンに収めたまま 坂を登れる走り方は 見え始めてきてるようなんで これはうれしく思いましたお祝い

 

ちなみに この数値 昨日より全体的に10とか低い数値なんですよねびっくり これ 以前バイクでも起こったことがあるんで あり得るのは知ってたんですが ただ 私のように持久系苦手にしてる人間が持つ 動き方を変える事での伸びしろのすごさには いつも驚かされていますびっくり

 

今日 数値が一気に変わったのは 其れなりに理由がありまして 其れは 今日一気に 全く新しい ”走り方”というものが ちらっと見えたからだったようなんですよね。 (因みに これ 読んでてよく分からないと思いますが こうとしか表現のしようがない事なので 構わず書いておきます)

 

でまあ そこまで 例えば今日の私がそれまで走ってた走り方と 劇的に違うものなわけなんで 明日もできるかというと そういう保証はどこにもないとか そういう世界の話なんですが笑い泣き 一応再現性を上げるためにも 今日気づいたことがあったので 其れを書き残しておこうと思います。

 

これ私の年代で スキーで所謂 “基礎系’取組んでた人にしか分からない話かと思いますが 90年代にスキーの世界で SAJのデモンストレーターという人たちがいまして その人たちが ”技術選”という大会で 技能を争っていました。

 

で その中に アルペン競技出身だったかと思いますが 我満選手という人が居て この人が 技術選の一種目出会った コブ斜での滑走で 当時伝説となった コブ斜の急斜面をひたすら まっすぐ降りてくるという異色の滑走をしたことがあったんですよね。

 

で この時 我満選手が使っていたのが スキーの世界でいう ”吸収動作” というもので 私スキーやってた頃この吸収系が苦手で コブ斜苦手にしていて いったいどういう仕組みになっているのか さっぱり見当がついていなかったんですよね。

 

ただ 此処7年くらい 脱力というもの二取り組んできて さらに今日 膝の痛みで 体が自慢とぶつかっている場合ではない中 脱力で痛みが出ないように試行錯誤してたからなのかと思うんですが ようやくあの我満選手の伝説のコブ斜の滑走の仕組みが分かった気がしたんですよね。で これ 結局 ”脱力”つまり 全身が完全に弛緩した状態で頭のてっぺんだけ空間上固定して ある意味 為すがままの自由落下していたのがその仕組みなんじゃないかとおもいます。 

 

まあでも 実は脱力で動こうとすると スキーだろうがランだろうが 実は同じことのようなんですよね。 特に下りは全く同じ仕組みで動けるわけで 今日はンその動きをいかに登りで同じものにするかを研鑽してたようなんですが そしたら 昨日より 心拍が一気に10くらい下がった。 そういう仕組みだったようです。

 

まあ そんな感じで これまで 必死に追いかけてきた物に対しての 話の進展が ここんとこ大分進んできてるなーと 気を良くしてそのあと バイクの研鑽をしてたんですが なんかこちらも 私が探し続けてきた ”漕がないという漕ぎ方’ 大分 沿うう呼ぶにふさわしいペダリングがちらついてきてるなーと 今日はすごく感じました。

 

今日は 先ず近所のVelodrome で 自分で何もせず ペダリングを成立させる研鑽をしっかり積んだうえで 昨日と同じく  自分で何もしない完全他力ペダリングで 坂を上る研究を たち漕ぎに逃げない シッティングポジション縛りで 積んできました。 

 

で これ そこそこの斜度の坂でやってるんで 登りはじめとか ほぼ止まりそうなスピードの時もあるんですが どうやら そういう状況でも 自分の筋力を使って ”漕ぐ”という動作をせずに 坂を上り続ける 完全に”技”のペダリングみたいな物が 存在するようなんですよねびっくり

 

まあ こんなの 今日ようやく見え始めたとか そんな世界なんで まだまだ不安定で 自分の筋力が混ざってしまう事がたびたびあるんですが これの精度が上がってくると 恐らく スピード気にしないなら 息すら乱さず 汗もかかず 完全に他力で坂を上る方法って どうやらあるように今日感じました。 

 

まあ 然し 元々 そういう方法がありそうだという事を 宮塚さんのブログの 実際の生徒さんたちの前でのデモの数値を見て 思ったから あれ以来 7年以上かけてずっと追いかけ続けてきたわけなんですが それにしても まさか こんなトンデモナイ話だとは どうやら想像はしてなかったようなんで 世のなかにはほんとえぐいものを探し出す人が居るもんなんだなーと 今日は感慨深く思いました。

 

まあ でも 塩田剛三師の動画とか見てると 70過ぎたおじいさんが 息すら乱さず 屈強な武道家たちを まるで 赤子の手をひねるかのように 地面に転がしまくるわけなんで まあ 自分の力を全く使わず 坂をバイクで登る その程度のことは 踊らくには値しないことなんでしょうね。 ただ スポーツの世界に育ち すっかり自分の筋力の方からしか モノが見れなくなった私には 全く新しい世界。 そういう事なのかと思います。 

 

まあでも 今日 時には 止まりそうなスピードになりながらも 此の 自分は何もしないで 坂を上っていくペダリングの研鑽を積んでいて まあ すくなくとも この国には こんな研鑽積んでるサイクリスト いないだろうなーとふと思ったんですよね。 良く考えてみると 宮塚さんのいう ”筋力は無いものと思って”とか 塩田師の ”合気道では 体によどみを作らない為に 筋肉を鍛えてはいけないんだ” とか 此の辺になると どう考えても こちらのアスリートたちには 意味がさっぱり分からないんだろうなーとは思いますし。

 

ただ 世界のアスリートの誰にも分からないとしても 宮塚さんや 塩田師が こういう言葉を残されてて しかも意味がほぼ同じという事実。 元論 これにはそれなりの意味があるようなんですよね。 恐らく このお二人に見えていたのは 今のスポーツ界の水平線の向こう側の世界 ただそれだけの話なんじゃないかと思いはじめています。

 

私の取組み 特にバイクなんかでは もう こんな取り組み方してるの世界でも私だけなんじゃないかと良く感じる取り組み方になってきてるんで 以前そのことに関しての不安とか さすがに感じてたようなんですが 最近そういう情けない思い大分吹っ切れてきてるように思います。

 

私 去年のIMNZのレースレポにこう書いてたようなんですが

 

” あそこを超えたら 周りの人間が全て歩いていようが 自分は意地でも走り出す”

 

私要するに ほかの人が何してようが そんなの全く関係ない人間のようなんですよね爆  笑 そういえば レースの終盤の描写には こんなことも書いていたようなんですが

 

”今回ゴールが悲惨なほど遅かったんで 最後2周くらい は私以外ずっと走り続けている人間はみかけませんでした。

 

特に折り返しのエイドの後のこのセクションは エイド出てすぐ登りでその後も断続的に登りが続き ここを走ってる人も私以外みかけませんでした。”

 

 

どうも そうい状況の中 一人だけ 走り続けていたようですし笑い泣き  だから 肝心のレースの時に 周りがどうとか まったく関係ないのに 普段の研鑽で そんなの気にしたって 意味ないですよね。

 

そういう事二気付いてきてるのもあるのか 最近よく思うのは もし 私が勘ぐっているように 世界のアスリートたちのほとんどが 脱力が極意だと知らなくて 私はたまたま 日本語が母国語なんで 調べていたら そういう情報に巡り合ったのだとしたら まだ 世界が気づいていない 今が勝負所 当に ”千載一遇のチャンス”って こういう事を云うんじゃないかと思ったんですよね。 なので 明日も 自分が突き詰めてきたことを信じて さらにその先を突き詰めていこうと思っていますニコニコ