こんばんわー。 さて 今日はレース前最後の 4連休の最終日だったんですが あいにくの雨模様 しかも 妻の叔母が 急遽泊まりに来てたりした割に なんとか 三種目そろい踏みでの より深い脱力の世界の探求 ねじ込んでまいりましたグラサン

 

私最近すごくこれをかんじはじめているんですが 今日 三種目終わって 正直な感想は いま レースのたびに 自分に出来るだけの努力は常に積んで レースに臨めてるという事だったんですよね。

 

私 ここ二年くらい PBではなく ワーストの方を 豪快に更新していくという状況が続いているわけなんで これ 一般的に見ると 物凄く変な話に聞こえるのかなーとは思うんですが爆  笑(そういえば 妻が昨日 叔母相手に PBではなく PWなんていう 造語を作って使ってましたが笑い泣き) なんていうか そういう 無残な状況すら厭わず 追いかけ続けてきたこと どうも そういう 悔しい想いをくぐるだけの価値は十分あるものを追いかけ続けてきたんだなーという実感がどんどんでてきてるんですよねびっくり

 

この事に関しては 何度も書いてきましたが 7年ほど前 宮塚さんのブログを初めて読んだ時に ひとつ全く意味が分からないことがあって 其れはこういう記述でした

 

”スイム、バイク、ランの3種目とも指導している内容は、リラックスすること、力を抜くこと、力まないことです。
逆にそれ以外のことは教えていない様なものです。
リラックスさえ出来れば、その以外の動きはどんどん良くなります。しかしいくら他のことを教えても、リラックスができなければ、他の事は身に付かないものです。”

 

これ読んで 私すごくびっくりしたんですよね。 というのも 正直 やたら パワーだ 筋力だという話ばかりになってきている 今のスポーツ界で ここまで 力を抜くことだけにこだわっている プロのコーチがいるなんて 夢にも 思っていなかったようなんで。

 

只’ 今日 思ったのは これ 実は当たり前のことだという事なんですよね。 というのも 日本でよく言われているように ”脱力”というものが 極意だとしたら 宮塚さんのいってることって 極意を追いかけろ つまり 極意を極めていけ ただそれだけのことになるかと思うんで。

 

私が 今年の日本への旅行で知り合い NZに招くことになった 律動法というものをベースにした 療法院を営む 青木さんという方とのラインでのやりとりを 先日 引用させていただきました。 

 

私が 日本で伺った話によると 青木さんが 師匠につまされた訓練が どうみて脱力で立ち 脱力で歩く訓練としか思えないもので この方は 学生のころ 箱根は出れなかったそうなんですが 駅伝とかやられてた方だったそうなんで そういう ちゃんとしたランナーの方から見て 脱力で動くというものがどう見えるのか 興味があったんで 

 

”恐らく、師匠にやらされた 立ち方 歩き方の訓練 あれ つまるところ 脱力でたち 歩く訓練かと見てるんですが 青木さんのようなランナーでも 脱力で立ち 歩くって それまで やられてた立つ 歩くとは かなり違うものだったんですか?” 

 

と質問したところ 返信は

 

”そうですね まったく違うものでした。  各種スポーツと武道では 重心軸の使い方が違いました。 正中が鋭く通す感覚を身に着けると 自然と力みが取れて 本来のパフォーマンスが発揮できる事です。  スポーツ医学は 筋肉優位になってしまうので そこは全然違いましたね!!” 

 

というものだったんですよね。

 

 

私が思うに 脱力の世界って 其のまま 武道が突き詰めているものの世界なのかと思うんですが これって 今のスポーツ界がいる位置から見える 水平線の向こう側の世界なんで ここの話しがスポーツ界では 余り見えてこないんじゃないかという事なんですよね。

 

ちなみに 今日も 親戚の人たちに 青木さんという方の施術の世界の説明をしていたんですが これ自体が 今の 西洋医学とか サイエンスとかの”水平線”の 向こう側の世界の話のようなんで 全て 実際に起こった 事実だけを話しているというのに カルト宗教のような 其れこそ ”奇跡”系の話になってしまうんで すごく話しにくいんですよね笑い泣き

 

実は 先日 弟のブログで 弟が フォークリフトから飛び降りた時に 段差かなんかに足突っこんで ひどい捻挫をしたことが書かれてました。 で 私 お大事にとコメント入れたんですが 翌日 弟から メッセージが入っていて それによると あの後 足首ひどくなり 歩けなかったんで 青木さんに見てもらいに行ったそうなんですが 弟の言葉引用すると

 

”右足首の状態がひどく 歩けなかったので 青木さんへ行きました。 どうやら骨は5本折れていたようで、 また触れずに修復、歩けます (汗) 改めてすごいです” 

 

だったそうですキョロキョロ

 

 

まあ 骨が折れてたかどうかは レントゲン取ったわけではないんで 確証はないですが ただ  

弟は高校で主将でエース 地区選クラスのサッカー選手だったんで その彼が歩けない状態だったのを 触れない施術で 歩けるようになったことだけは 間違似ないようなんですよねびっくり

 

で これなんかも 上の 青木さんの言葉にあるように 今の 西洋医学の範疇では 全く説明がつかない世界の話しじゃないですか?  ただ 実際に起きた事というのは 否定のしようがないわけなんdえ ただ単に 今の西洋医学の水平線の向こう側の話 ただそれだけのことなのかと最近思っています。 

 

まあ 以前の私には こういう話をすること自体が 昔の自分の水平線の向こう側だったのかお思うんですが ただ こういう実写を目の当たりにすると

 

 

この人の存在事態が 今の世の中の 常識の完全に向こう側の世界にしか見えないわけなんで まあ これだけ圧倒的な ”現実”を見せつけられると 世のなかには 常識なんてものからはるか先の世界が存在する事 否定のしようがないと思うんですよね。 

 

そういえば 私の世代の人間なら 殆どの人間が知っているであろう 相撲の千代の富士関んの脱臼癖 これも 千代の富士関 最後に頼ったの 藤平光一という  合気道の達人による ‶氣の治療”だったそうなんですよね。 まあ 千代の富士関のような 角界の至宝のような方だったら 勿論 普通の治療も全て試されたうえでのことだったんじゃないかと思うんで どうも私の認識が狭すぎただけで 世の常識レベルでは説明のつかないことなんて世のなかにはいくらでも転がっているように今は思っています。

 

まあ 何にしろ 上の動画の中で 塩田剛三師が ”自分でやろうとするのではなく 皆に協力してもらわねばならん’ と ご自身の研鑽の末たどり着いたことを表現されてましたが 脱力の行きつくところがまさにこの ”自分でやらない” 之そのものなんだろうと 思いはじめています。

 

で この脱力の世界 上の 青木さんの言葉の様に 筋肉優位になっている今のスポーツの世界の常識とは 全く異なる世界のようで そのスポーツの世界から物を見ていた私にとって 余りにも異質な運動のやり方なんで まあとりあえず 果てしなく遠い世界。そのように感じています。 

 

ただ 同時に 今のスポーツの世界 武道という伝統を持つ 日本ですら 武道レベルでスポーツに取り組んでいる人って あまりいない様に思いましすし 世界的に見れば ほぼ皆無とか そんな状況の様に私には見えているんですよね。 

 

で 最近の私  この状況こそが 私がついていくべき 世界の隙 その様に感じ始めているようなんですよね。 今日なんかも ある意味 世界のスポーツ界が 脱力が極意なんだと気付くまでが 実は私の勝負どころなのかなーと ふと思っていたようなんで。 

 

これまで なんどか 紹介させていただいてきたこちらの記事で

 

 

塩田師が ”今の柔道の連中では 木村にはかなわない。 今やらしたら 山下や斎藤あたりは ころんころんやられるよ” ト書かれてるんですが 此の ”山下や斎藤あたりは” のくだり 若い人ならともかく 私らの世代なら 山下さんや斎藤さんは当時世界最強と呼ばれてた柔道家の方々だったことは知っていることなんで 塩田師の意味するところは わかるかと思うんですよね。 

 

塩田師は ”今の柔道には 崩しが無い。 だから階級制になって 小さいものが 大きいものを倒すことが出来なくても 良くなっている”とも書かれてるんですが まあ 要するに スポーツの世界ト武道の世界では それだけ モノの 突き詰めかたの深さが違うんで、勝負にもならない。 そうおっしゃりたいんだろうと思っていて 恐らく 塩田師が 今のスポーツの世界を見れば ”隙だらけ” と不敵な笑みを浮かべるんじゃないかと個人的に感じています。 

 

まあ 私自身は 余りにも 持久系の競技レベルが低すぎるんで 時間がどれだけかかるのかは 想像もつかないんですが 此の スポーツの世界の隙をついて 武道レベルの取り組みを積んでいくことが出来れば、将来的に勝負にならない道理はない。 そうい感じ始めているようです。

 

ただ そのためにも スポーツの世界の常識にとらわれず 自分に取って やるべきだと感じる事。 これを妥協なくやり続けていくことが ものすごく大事なことの様に感じています。 

 

最近すごく感じてるのは どうも私 色々な方々や 自分の潜在意識かなんかに導かれ これまで 自分のやるべきことをそれなりにやりつづけてこように思うんですよね。 ただ 此れまでは 余りにも迷いがありすぎて 其れでここまで来るのにえらく時間がかかったような気がしています。 

 

なので  その迷いが吹き飛んできたここからこそが本当の勝負のように思うんですよね。 なので 此れから レースまで そして レースの最初の一掻き空 最後の一歩まで 自分のやるべきことをやり続けていこうと思っていますニコニコ