こんな、「母の日」.. | 比翼連理 ~執事の愛が重い件~

比翼連理 ~執事の愛が重い件~

当ブログは、年の差11歳の主従が送る日常の風景。ネグレクトの母から赤子の私を引き取り育ててくれた付き人の白侶(ハクロ)は、その美貌と優雅さで見る者を虜にする外面の良い悪魔。そんな彼のドス黒い“本性”を主人ならではの目線で書き綴るノンフィクションです。

昨日、漸く和歌山から帰ってきました。



帰宅したと同時に、実家の母から送られてきた写真です。

あなた・・・
此花、好きだったでしょう?

そう言って送られてきた画像は、ずっと、私の頭の片隅で咲いていたでした。


私はこの花の名前すら知りません。

けれど、いつ頃だったか、母が着けていたイヤリングにこの花がぶら下がっているのを見た記憶があるのです。


なら、きっと間近で見た事があるんだ
自分はきっと、母に抱かれた事があるのだ

そう思う事で、私を育児拒絶した母と、自分の、唯一の“繋がり”を感じていました。


影は、きっと母ですね。^_^

ちょっとドジな所があるんです、あの人。


面と向かって接してくれた事は無かったし、『私の子じゃないみたい』と言って、話をしてくれた事も無かったけど。

いつも、山都を大事そうに可愛がっている姿を遠巻きに見てて、「抜けてんなぁ」とは、ずっと思っていました。



“きっと”という言葉は、母に対する私の“願望”です。


「きっと」という表現でしか、私が母のことを語れることはありません。

生んで下さった事には感謝しきれない程のを感じます。
けれど、それ以外で私と母を繋ぐ繋がりは、殆どありませんでした。


母の言葉に、「自分は両親の子ではないのか?」と思った事もあります。

ま、そんな考えは父の顔を見て一瞬で吹き飛びましたが(笑)w
瓜二つなんですよ、この女顔・・・(+_+;)ヤーネェ




だから、────この花を見る度に・・・

ずっと“孤独”だったこと、
ずっと母を望んでいたこと、

ずっと、母に愛されたいと願っていた幼かった日々を、思い出すのです。



母がどうしてこの写真をくれたのかは解りません。
何を思ったのか、何故、私がこの花を好きだと知っているのかも。


────けれど、ただ一つ。

確実に言えることは・・・・・・



今現在、母の目には「私が映っている」────ということ。

山都が教えてくれました。


あの子に見せるの

そう言って、大事に取っておいてくれた写真だと。



私が帰省した頃には桜は散っていたので、この垂れ桜は見れませんでした。




・・・・・・正直、この歳になって、自分が泣くとは思ってもいませんでした。


「母が私を見てくれている」
そう思った事すら、ひょっとしたら私の願望かも知れません。w


虐待された事はないんですよ。^_^
きちんと接してもらった事がありませんから(笑)



母は、陰陽師の家に生まれた私の宿命を呪い、拒絶し、生まれて直ぐに、私を白侶に預けました。

その後は、まともに母の顔を見た事はありません。



────そんな母が私と接する様になったのは、私が22歳の時です。

原因は今も解りません。
聞こうと思った事もありますが、今まで経緯で、おいそれと聞けるような間柄でもないですし・・・。



でもね?




あの子に見せるの


たった一言のその言葉に・・・・・・


私は今までの分のを、

全て



貰った気がしましたよ、母上...

有り難う、御座います