皆さん、お初にお目にかかります。

05,n=1,クズ宅浪生の南です。

 

さて、先日、共通テストの成績が返ってきましたね。(文部科学省の怠惰か否か。採点の人件費削減のためか否か。遅すぎる返却であるが)

そこで、私の成績を振り返りがてら、自己紹介や、浪人を決めた理由などを語っていきたく思います。

 

では、よろしく。

 

 

まず初めに、私はいわゆる偏差値60程度の田舎の自称進学校に通っていました。

 

入ってみてから分かることですが、田舎の自称進は、ピンキリであります。

成績が飛び抜けた子達におんぶに抱っこで、何とか進路実績を作っているという感じです。

なのに、何故か教育に対し自信を持っている……。いわばお山の大将ですね。

 

そんな学校に入った齢15歳の南少女ですが、彼女、当時は大学受験のことをあまり分かっておりませんでした。

それもそのはず。父親は高専中退、母親は専門卒で、9つ離れた姉は地元の国立大学卒。

しかも、親戚で大学へ進学したのは姉くらいで。その姉とは9つ離れているので、全くと言っていいほど、受験の情報が入ってこなかったし、受験の苦労も露知らずな高校生でした。

 

 

そんなこんなで過ごす高校生活。

模試の数学で学年ワースト5位に入ったり、高一の時の担任に鬼ほど嫌われて病んだり、上辺だけの会話しかない友達しかできなかったり、修学旅行のイチオシイベントは雨で潰れたり(とっても悲しかった🥲)と……想像していた青春とはかけ離れた日々でしたが、まぁ何とか楽しく過ごしていました。(勉学に励むことを除き)

 

 

高校の2年間はあれよあれよという間に過ぎ去り、高校3年生。受験シーズン到来。

当時の私は広島大学法学部を目指していました。

 

なぜ法学部?

その理由はかんたーん。卒論がないから!!!

同じく卒論がない学部である経済学部も考えましたが、入学してから数学を使うとのことで、数学アレルギーの私には無理だと。しかも、広大法学部は共通テストで数ⅠAしか使わないでいいといった、私にとってとっても好都合(しかも私が受験する前年にキャンパスが市内の中心地になった)すぎる大学だったんですよね〜。

 

 

しかし、南少女──大学受験を舐めまくっていますから、文化祭が忙しい、運動会が忙しい、眠い、なんて色々言い訳して、遂に勉強を始めたのが、共通テスト2ヶ月前。

振り返ってみればなんて馬鹿なことしたんだろうと呆れるんですが、当時は余裕だと思ってたんですよね〜笑笑。

 

 

そして迎えた当日。

手応えは確かにあっのですが、結果はご存知の通り、5教科9科目の合計514点。

5教科8科目で650点くらいを目指していた私にとって、自業自得ですが、それはあまりに辛すぎる点数でした。しかも、これも自称進学校あるあるかと思いますが、共テ終わって次の日にクラスで自己採点をやるんですよね。もう、私はどんどん冷や汗が止まらなくなって、涙がちょっと零れちゃいましたからね。メルタルに来るこんな取り組みは即刻廃止しろ!!笑

 

それから、リサーチを沢山かけて、第三志望の公立大学がB判定だったので、そこへ出願することにしました。中期と後期の大学も、同じくB判定の公立大学を。

 

 

そしてそこから1ヶ月、前期はなんと小論文だけだったので、ほとんど毎日学校へ行き、書いては添削。書き直しては添削。を繰り返す日々を送り、元々小論文は得意だったこともあり、(小論文模試では学年7位を記録したことや、全国偏差値62と平均偏差値を15くらい上回って取れたことがあったので🤭)自信を持って挑んだのですが、不合格。

 

敗因は恐らく、小論文もあると思いますが、共通テストでした。

B判定と言っても、C判定との境目のBでしたし、倍率が5倍でしたから、恐らくほとんど共通テストの得点順に並んだのではないかと。

 

もう私はショックで、ものすごく落ち込みました。

 

一日中泣いて泣いて。

友達からの慰めや、小論文でお世話になった担任の先生からの励ましで、また泣いて。

気を抜くと勝手にポロポロ涙がこぼれて。

勉強を頑張れなかった自分に腹が立って。

理想と現実のギャップに打ちひしがれて、心がボロボロに。

 

 

幸い、滑り止めの私大は共テ利用で受かっていて、中期後期も受かったので、ある程度心に余裕はありましたが、私大も、中期後期の大学も、私より成績の低かったはずの友達が推薦で合格した私大より見劣りしていて、(受験期は嫌でも学歴厨になるんですね🥲)私のプライドが、それら大学への進学を許しませんでした。

また、そんなプライドに雁字搦めにされていたり、学歴厨な自分だったり、もっと勉強すればもっといいとこに行けたのかもなんて、たられば語る自分が、本当に本当にダサすぎて、自己肯定感爆下げだし、そんな自分に絶対になりたくないと思って、あと1年間だけ頑張ろうと思い始めるようになりました。

 

 

実は、浪人のことは受験期は全く考えていませんでした。

勉強しなかったやつが浪人したとしても、また同じことの繰り返しになるだけだと思っていたので。

 

でも、私の夢ではなく、人生を考えた時に、

宙ぶらりんで、中途半端で、ろくに努力もせず、妥協して、妥協したのは自分なのに、それに納得せずにたられば語ったり、自分を誤魔化したり……

そんな大人になりそうだなって。流されて生きてる、心が子どものままの大人になりそうだなって。

 

そんな大人になるのは嫌でした。

 

 

たかが、受験。

たかが、勉強。

たかが、大学。

 

 

いくらでも言い訳はできるし、別に高学歴、高収入であることが幸せではない。

ではないけれど……

 

 

私は私のことを格好いい人間だと自負したい。

 

 

そう思いました。

私のことを私が認めてあげられなくて、誰が認めてくれるんだって。

 

 

長々言いましたが、つまり、「自分の限界を知り、自分の能力を過信してものを言わない、自分できちんと考えて納得した道を進める」そんな格好いい大人になりたいと思って、私は浪人しました。

 

 

母親は、私がしたいことならしなさいと、すんなり受け入れてくれましたが、父親はそうではなかったです。父には絶縁したくなるような酷いことを言われて、連絡先も全部消しましたが、まぁ、今は我慢して一緒に生活しています。絶縁したいと思った程の言動についてはおいおい話していこうかなと思います。

 

そして、なぜ宅浪を選んだのか。

 

宅浪の成功率は、ものすごく低いと言われているのに。

担任からもめちゃめちゃ止められたのに。

 

それは家にお金がなかったからです。

家は貧乏で、予備校は大手や、準大手(?)も県外にしかないし、めちゃくちゃ高くつくじゃないですか。1年で200万くらい。それって大学に行くのと変わらないじゃんってくらいしますよね。母は、無理したらいけるよと言ってくれましたが、やはり既に浪人したいという意志を汲み取ってもらっている時点で無理をさせていますし、流石に借金までさせるわけにはいなないと思って、宅浪を決意しました。

 

そんな子、多いのではないでしょうか。

 

 

そして、志望校は大阪大学法学部なのですが…。

志望校を決める時も色々あって…ここで話すと長くなるので、それもおいおい語っていこうかなと。

 

 

はー!!!長文過ぎたね。

ごめんね。

 

迷える子羊や寂しくて死にそうなうさぎちゃんに向けて、これからもゆっくりゆっくり、色々と綴っていきますから、どうぞ、よろしく。

 

 

あなたの数分、数時間にラブヒットエンドラン

今夜の夕飯はずばり、酢豚ですね?

南でした。