日月神示を繰り返し読む 2024年08月28日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

㉔日月神示 海の巻

海の巻を書いて知らせます、五つに咲いた桜花と五つに咲いた梅の花は始めは皆結構であったのですが段々と時を経るに従って役員が集まってワヤにしたのです、気の毒なことです、神の名を汚しているのです、大日月と現われたら、どんな事もキビシクなって来て、建て替えの守護と建て直しの守護にまわりますから、その覚悟はよいですか、間違った心で信心すれば、信心しないよりも一つキビシクえらい事が満ちるようになるのです、今にここの悪口を申してふれ歩く人が出て来るのです、悪口を言われ出したら結構が近づいたのだと申してあるでしょう、悪口は悪の白旗です、飛んで来て上に止まっている小鳥は風吹く度にビクビクなのです、大嵐が来ない前にねぐらに帰って下さい、大嵐は目の前です、ここは先づ苦労して、その苦労に勝ったら、自分に克ったら身魂が磨けるのです、段々と楽になって嬉し嬉しとなるのです、結構な仕組みです、仕組みを知らせると邪魔が入るのです、仕組みを知らさないので分からないのです、心で受け取ってください、世界の民の会はなせば成るのです、やらなければ後悔するのです、権小道師から上は神の帖面につくのです、参道は仮です、参道は仮だからそのつもりで結構です、神示は一帖、三十帖、二帖、二十九帖という様に読み直して下さい、三十帖を一区切りとして上下を混ぜ混ぜにして上下ひっくり返して読み直してください、火の守護から水の守護に変っているのですから、水の蔭には火、火の蔭には水があるのです、この事を忘れないでください、この中にはバケ物がいるのです、バケ物に化かされない様におかげを落さない様に致して下さい、神はくどく気を付けておくのです、今までは神様も別れ別れで勝手にしていたのですから神様の申された事にも間違いとなることがあったのです、今でも神様はウソは言えないのですが、和合なく離れ離れでいたので自分の目が届く範囲は自分の力の中では誠であっても広い世界へ出ると間違ったことになっていたのです、神のお示しが違ったと申してその神様を悪く言わないでください、今の上に立つ人にも同様です、上に立つ人を悪く言わないでください、今度はいよいよ一致和合して大神様の仕組み結構に相分かって来て、大日月の神となりなされて現われなさるのです、分かりましたか、雨結構、風結構、岩結構、荒結構、地震結構が出て来てから、また同じ様なことを繰り返すのです、今度は魂が抜けているからグニャグニャです、グニャグニャ細工しか出来ないのです、細工に迷わないでください、神示が肚に入って血になると何が起って来ても結構なのですが、はじめの内は少しの事で迷いの雲が出て、悪の虜(とりこ)になって苦しむのです、悪はないのですが、無い悪を人民の心から生むのです、悪の虜となって苦しむのが見えているから、苦も結構なのですが、要らない苦労は要らないのです、神示を良く読んで苦を楽としてください、楽は喜びです、苦のハタラキが楽です、楽は喜びです、光です、神人共のまつりです、楽で岩戸が開けるのです、苦しんで開く岩戸は誠の岩戸ではないのです、今日(こんにち)までの御教えは、悪を殺せば善ばかりとなり輝く御代が来るという、これが悪魔の御教えなのです、この御教えに人民はすっかりだまされて、悪を殺すことは正しいことであると信じる愚かな信仰なのです、三千年の昔から幾千万の人々が、悪を殺して人類の平和を求め願っても、それははかない水の泡です、悪を殺しても殺しても、煮ても焼いてもしゃぶっても、悪はますます増えるだけです、悪を殺すという、そのことが、悪そのものであると知らないのです、神の心は弥栄えです、本来は悪も善も無い、ただみ光が栄えるのみです、八股のオロチも金毛も、ジャキも皆生ける神です、神の光の生みしものです、悪を抱き善も抱き、あななう所に御力の輝く時が来るのです、善だけを求めるのは悪なのです、善悪は不二である言いながら、善と悪を区別して導く教えは悪なのです、ただ御光のその中に喜び迎え、善もなく悪もない天国なのです、皆一筋の大神の働きなのです、悪のない世界一家の大業は、地の上ばかりでなんとかなるのです、三千世界大和して、ただ御光に生きてください、生れ赤児となって、光の神の説き給う誠の道を進んでください、誠の道に弥栄えませ、言答(いわと)が明けた今日はめでたいのです、次の言答(いわと)を開けてください、いくら利口でも今までの人間心では神の仕組みは分からないのです、帰るに帰れず、他を探しても根本の誠を伝える所はないのです、泣く泣くつらい思いをしなければならないのです、くどく気をつけているのです、慢心取り違いの鼻高の人は、路頭に立たなければならないのです、十二月四日の結構な日に生れたのです、この日に生れた仕事は皆良くなるのです、この神示を良く読んでくれたら何を申さなくても、何を聞かなくても良いことになるのです、戦争や天災では人の心は直らないと申してあるでしょう、今迄のどんなやり方でも人の心は直らないのです、心得てください、今度は先づ心の建て直しです、どうしたら建て直るかということを、この神示を読んで覚ってください、今度は悪を無くするのです、悪を無くすには善で抱き参らすことです、悪を無しにすることではないのです、亡ぼすことではないのです、ここが肝腎のところなのですから、良く心にしまっておいてください、この世は一つの神で治めないことには治まらないのです、・でくくるのです、人民の力だけでは治まらないのです、一つの教えとなってそれぞれの枝葉が出て来るのです、今では枝から根が出て大切なミキがなくなっているのです、中つ代からの神では何も出来ないと申してあるのです、神と人と一つになって一つの王となるのです、上下が揃って一つになるのです、善も悪もあななって、一つの新しき善となるのです、王となるのです、せっかく神が与えたお陰も今の人民では荷が重いですから、途中で倒れない様に神示を杖としてください、息が切れないようにしてください、一つでも半分でも神の御用をつとめたなら、つとめ徳なのです、何と申しても神ほど頼りになるものは無いと分からないのですか、お陰は取り徳です、破れるのは内からです、外からはビクともしないのです、天では月の大神様、ミヤカラスが出て来るのです、始末をよくしてください、始末がよく出来れば何事も楽になって来るのです、火の焚き方から水の汲み方まで変るのです、大切なことなのです、ウソは少しも申せないのです、この神示通りに出て来るのです、先の先の先まで見通し出来ないならば、こんなタンカは切れないのです、お陰はその人の心の通りに与えてあるでしょう、下の神が上の神の名を語って来ることがあるのです、ウソが見分けられない様では取り違いとなるのです、十人位は神示をソラで言える人を作っておかなければならないのです、誠の改心はいよいよとならなければ出来ないものですが、出来ないことでも無理もしなければこの峠は越せないこともあるのです、天も近くなるのです、地も近くなるのです、田舎に都、都に田舎が出来ると申してあるでしょう、もう少し人民に分かって来てからでないと、今びっくり箱を開けたら助かる人民は一分もないのです、早く知らせてください、神は急いでいるのですが、人民はなかなか言う事を聞かないので、物事が遅くなるばかりなのです、遅くなればますます苦しむばかりなのです、色は匂えども散るものです、世の乱れは神界のイロからなのです、気をつけておきます、日の本(もと)の国を取ろうとしても、どの様にだましても、御先祖の神は何もかも世の元からの仕組みをしてこの事は分かっているのですから、悪のやり方は止めてしまって早く善にまつろってください、まつろえば悪も善の花が咲くのです、この方は悪神、祟神(たたりがみ)だと人民に言われてトコトン落されていた神なのです、言われるには言われるだけの理由もあるのです、この方でさえ改心したのです、改心のお陰でこの度の御用の立役者となったのです、誰によらずに改心してください、改心とはまつらう事です、中行くことです、分かりましたか、今度は十人並のお陰位では誠の信心とは申せないのです、千人万人のお陰を受け取ってください、千人力を与えると申してあるでしょう、大事な御先祖様の血統をすべて世に落してしまって無きものにしてしまって、途中からの替え身魂を、渡って来た身魂を混ぜこぜの世として、今の有様は何事ですか、まだ分からないのでしょうか、人民もグレンとなるのです、ダマした岩戸からはダマした神が出て、ウソの世となったのです、この道理は分かるでしょう、ニセ神やら、ダマした神やら、次々に五度の岩戸閉め(岩戸閉めとはニセ神のこと)となったのです、タンバとはタニハ、田庭とは日の本の国です、世界の事です、タンバとはタンバイチとは世界の中心と言うことです、日の本と言う事です、キミの国です、扶桑の国です、地場なのです、分かりましたか、地場を固めなければならないのです、五十鈴の川はムツの川、和合の川です、社殿(やしろ)は八方に開く時が来たら誠の八尋殿(やひろどの)を建ててください、何も分からない無茶苦茶者が偉らそうな名の神がかりをして、何も知らない人民をたぶらかしていますが、今に尻尾を出して来るのです、尻尾がつかまらない内に改心して神の道に従って来てください、神は人民には見えないのです、神は頼りないものに見えますが、頼りないのが頼りになるのです、外国行きとは幽界行きの事です、時節は来ているのですが、人間心で焦らないでください、焦るとしくじるのです、あちらに一人、こちらに一人残るくらいにむごい事にしなければならない様になっているのですから一人でも多く助けたい神の親心を汲み取って早く神の言う事を聞くものです、ここまで神示通りに出ていてもまだ分からないのですか、疑い過ぎるのもひどいものです、地に高天原(たかあまはら)が出来るのです、天の神様が地に降りなされて地(くに)の神と御一体と成りなされ大日月の神と現われなさる日となったのです、結構な事であるのです、肉体の事は何とか分かるでしょうが、タマの事は分からないでしょう、永遠(とわ)にタマは生き通しなのですから、タマの因縁の分かる所はこの神示より他にはいくら探しても無いのです、表に出ている神々様に和合していただいて世の建て替えにかかってください、苦労しなくては何事も成就しないのです、苦を楽しんでください、この世を乱したのは神界からです、この世を乱した者が、この世を直さなければならないのです、この道理は分かるでしょう、建て直しの御用に使う身魂はこの世を乱した神々様であるのです、秘密は秘密ではないのです、火水であるのです、明らかな光であるのです、火水(ひみず)のマコトが悪神にたぶらかされて分からなくなったので秘密となったのです、秘密は必ず現われて来るのです、あと七つの集団(まどい)が出来るのです、一には渦の印をつけてください、この世の一切のことを建て替えるのです、神の道も変えるのです、心の置き所も変えるのです、何も分からない枝葉の神に使われていると気の毒になるのです、早くその神と共にここに参って誠の言葉を聞いて早く誠に立ち返ってください、〇九十(マコト)とは〇一二三四五六七八九十のことです、一二三四五六七八が隠れているのです、縁があるからこそあ、そなた達を引き寄せたのです、この度の二度とない大手柄の差し添えとなってください、差し添えになれる因縁の尊い因縁を壊さないでください、良く見てください、建て替えの真っただ中になったら学でも知でも金でもどうにもならない、見当取れない事になるのです、今は神を見下げて人民が上になっているので、建て替えの最中になってから神に助けてくれと申しても、時が過ぎているので時の神様がお許しにならないのです、誠になっていれば何事もすらりすらりとなるのです、学や知恵や金がチラチラと出る様では誠が磨けてはいないのです、今の法律でも教育でも兵隊でも宗教でも、この世は建て直らないのです、新しき光が生まれて世を救うのです、新しき光とはこの神示のことです、この神です、七つの花が八つに咲くのです、この神示は八通りに読めるのです、七通りまでは今の人民でも何とか分かるのですが、八通り目は中々分からないのです、一厘が隠してあるのです、隠したものは現われるのです、現われているのです、何でもない事が中々のことなのです、分かりましたか、今離れてしまった人民はここがやっぱり良くなったと言って帰る事は恥ずかしい事になって、帰っても変なことになるのです、今の内に早く立ち返って御用するのが結構なのです、人民に分からない珍しい事が世界に起きるのです、皆この神の仕組みですから、変わった事や分からない事がいよいよ起きたなら神代が近づいたのです、神示が肚に入った者が役員になるのです、役員のミタマが沢山あっても、神示を読まなければ役員にはなれないのです、役員になってもスコタンばかりなのです、長く世に落ちていた神人や神々様を世にお上げしなければ世は良くならないのです、神示を軽く見るから分からないのです、人も軽く見てはならないのです、天地がひっくり返ると言うことはミタマがひっくり返ると言うことです、神示を読んで聞かせてください、目も鼻も開けていれない事が建て替えの真最中になると出て来るのです、いよいよ信仰の人と無信仰の人と立て別けの時なのです、誠一つで生神様に仕え奉ってください、人民の我では通用しない時となったのです、早く我を捨ててこの方について来てください、素直にすれば楽に行けるのです、大峠越せるのです、時節の仕組みは人民にはなかなか分からないのです、悪を抱き参らせる為には我が子にまで天の咎(とが)を負わせて善の地の先祖まで押し込めなければ抱く事は出来ないのです、ここの秘密を知る者は天の御先祖様と地の御先祖様より他には無いのです、我が我がと早く出世したい様では、人民は心を変えないと御用は難しいのです、神には分け隔ては無いのです、分け隔ては人民の心にあるのです、この道は因縁の無い人には分からない難しい道なのですが、この道を貫かないと世界は一平にならないのです、縁ある人は勇んで行けるのです、神が守るからお陰は万倍です、神の帖面は間違い無いのです、思う様にならない時は我の心に聞いて見るのがよいのです、神の仕組みは変わらないのですが、この世では人民の心次第で良くも悪くも出て来るのです、仕事は変わらないのですが、出て来る事が変るのです、悪く変ると気の毒になるのでくどく申しているのです、三三(みみ)に一二三(ひふみ)を聞かせるのです、いよいよ身実(みみ)に聞かせる時なのです、それぞれの人に応じて時によって、口から耳に肚から肚に知らせてください、あなさやけ、あなすがすがし、言答が開けるのです、二十三巻でこの方の神示は終ります、終りの終りです、後の七巻は他から出してあるのです、いずれは分かって来るのです、合わせて三十の巻、それが一つの節なのです、天明の御身(みみ)に聞かせるのです、良きにはからってください、この行は中々難しいのです