聖書を理解する 112号 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

⦿疑問点➡片手を失っても天国に入れ

⦿考察➡イエス様の教えは神様の言葉です、イエス様の発した言葉は絶対です、つまりイエス様の言葉は真実であると信じることが聖書の信仰です、パウロの手紙を信じるのが信仰ではありません、神様であるイエス様の言葉を信じる信仰が信仰だと繰り返し書いています、何度説明してもパウロは正しいと言って来る人がいます、AIに質問したらパウロに間違いは無いと回答が来たそうです、AIの解答を信じるのも聖書的ではありません、聖書の解答は終始一貫してイエス様は正しい、他は正しくないという構造です、99%正しくても一部に間違いがあれば、それは間違いです、イエス様は絶対ですから100%正しいとなります、イエス様の弟子は嵐を静めることが出来ませんでした、イエス様助けてくださいとお願いしました、イエス様は嵐を静めてくれました、信仰の薄い弟子だとイエス様に言われました、イエス様の弟子は信仰が薄いのです、信仰が薄くても問題はありません、イエス様より信仰の強い方はいません、信仰を強くしようと頑張る必要はありません、イエス様の信仰は強く本物だと信じることが信仰なのですから、やっぱりイエス様はスゴイとますます信じることです、自分を強くする信仰は危険です、自分はスゴイと思うのは危険な信仰です、イエス様はスゴイとますます信じる信仰が主を讃美する信仰です、パウロはスゴイなどという信仰は超危険です、自分だけのミスなら自滅だけで良いのですが、多くの人にパウロの福音を伝道して死んでしまったら無差別殺人となります、天国に入るどころか皆に毒を食べさせた犯人となります、安全な信仰をすることです、イエス様だけが正しい聖なる方だと言えば問題は無いのです、自分は正しいと主張する人とパウロは正しいと信仰する人は聖書の基本が理解出来ていません、神学校を出ても無駄です、いくらパウロを研究してもパウロは正しい人だとはなりません、イエス様だけが正しいのです、多くの災害が起きないようにおだやかに過ごせるように主イエス様にお願いすることは間違いではありません、むしろ信仰が薄いので平安にならないとも言えます、世界が穏やかになるようにイエス様に日々願うことは正しいことです、死んでしまうパウロの福音を伝えるより、世界平和をイエス様に願う、平和を愛する人は天国に入る可能性は高くなります、死んで絶対に天国に入れない人は毒の入った福音を伝道する人です、毒は1gでも入れてはいけません、安全な信仰はイエス様だけだと伝える信仰です、毒入り伝道は聖書的ではありません、毒を食べたら死ぬに決まっているのです、安全な食べ物は「わたしを食べなさい」というイエス様の言葉です。