聖書を理解する 88号 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

●疑問点➡罪を許してもらえるか

●考察➡イエス様を信じることを連日書いています、イエス様を信じるとは自分の判断ではなく、イエス様の判断に任せることだと結論しています、イエス様にすべての判断を任せると自分の善悪の知恵は消えるのです、アダムとエバが犯した最初の罪が消えるのです、生命の木つまりイエス様を食べると善悪の知恵の木を食べることは出来ませんから生命の木であるイエス様だけを食べるので永遠に生きるということです、このことが理解出来るか出来ないかでその人の運命は決まります、イエス様を信じて善悪の判断はイエス様に任せる、自分で善悪の判断はしない、自分の中の善悪判断はイエス様にゆだねて生きる、ずっと生きる、永遠に生きるとなります、イエス様の言う通りに生きることになります、他の神様ではありません、あくまでイエス様です、日月神示のてんし様を日本の天皇陛下にしている方もいますが、聖書ではあり得ないことです、聖書を理解するならイエス様を食べて、自分の善悪はもうやめることです、良いことが起きるか悪いことが起きるかイエス様に任せてください、あらゆる権威を持っているのはイエス様なのです、聖書を超えているのはイエス様だけなのです、イエス様の判断ですべてが決まる、だからイエス様を信じていればそれでいいのです、クリスチャンはダメですよ、イエス様が身代わりになって十字架で自分の罪を背負ってくれたという信仰では救われないのです、イエス様の判断で決まるのです、その人を救うか救わないかイエス様の判断なのです、イエス様の審判無しでは何も決まらないのです、あなたの罪は許されたと言われない限り、あなたの罪はそのままです、イエス様の言葉が無い限りそのままです、誰もがイエス様の判断、審判待ちなのです、本日の内容が理解出来た方はもう自分の善悪はやめることです、イエス様にすべての判断を任せることです、それが信仰です、イエス様信仰です、全能神イエス様ですよ。