日月神示を繰り返し読む 2024年06月24日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

⑧日の出の巻

春になれば萌え出でる(もえいでる)のです、草木ばかりではないのです、何もかも萌え出でるのです、この方の申す事は譬(たとえ)ではないのです、少しは分かりましたか、石がものを言う時が来たのです、この道を早く知らせてください、岩戸は五回閉められているのです、イザナギ、イザナミの尊(みこと)の時、天照大神の時、神武天皇の時、仏が来た時と、大切なのはスサナル神様に罪を着せた時、その五度の岩戸閉めですから、この度の岩戸開きはなかなかに大変だと申しているのです、愈々きびしくなって来たのですが、これからが正念場です、否でも応でも裸にならなければならないのです、裸ほど結構なもは無い事が始めて分かって来るのです、九歳は神界の紀(もと)の年です、神始めの年と申してください、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)です、五の歳は子(ね)の歳なのです、取り違いしない様にしてください、月日の巻を十人と十人の役員に見せてやってください、時節が到来したのです、桜咲き神の御国は明けそめにけり、次の世とは通基(月)の世の事です、一二(ひつき)の通基(二)の世です、⦿☽の月の世です、取り違いしない様にしてください、知恵や学があっては邪魔になるのです、知恵や学が無くてもならない難しい仕組みなのです、月の神様を祀ってください、スサナルの神様を祀ってください、今に分かることです、日暮が良くなるのです、日暮(一九れ)に祀ってください、十柱揃ったらお祀りしてくださいと申してあるでしょう、神は急いでいるのです、旧の十月八日、十八日、五月五日、三月三日はいくらでもあるのです、この日は臣民には恐い日でありますが神には結構な日だと申してあるでしょう、神の心になれば神とまつわれば、神とあななえば臣民にも結構な日となるのです、その時は五六七(みろく)の世となるのです、桜花(さくらばな)が一度にどっと開く世となるのです、神が激しくなり臣民は静かな御代となるのです、日日(ひにち)毎日富士晴れるのです、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れです、右に行こうとする者と左に行こうとする者とを結ぶのが渦(うず)の神様です、渦の神様とはスサナルの大神様です、この御用(おんはたらき)によって生命があるのです、力が生れるのです、渦がまつりです、神国のまつりは渦であります、神はその全き姿です、神の姿です、男の魂(たま)は女、女の魂は男と申して知らせてあるでしょう、神界の事は人間には見当取れないのです、学問でいくら極めようとしても分かりはしないのです、学も無くてはならないですが囚われると悪となるのです、下の神々様には神界の事は分かりはしないのです、分からない神々に使われている肉体は気の毒ですから身魂を磨け磨けとくどく申しているのです、三、四月に気をつけてください、どえらい事が起きますから何うしてもミタマを磨いておいてください、それまでに型しておいてください、オロシヤに上がっていた極悪の悪神がいよいよ神の国に攻め寄せて来るのです、北に気をつけてください、北がいよいよのギリギリだと申してくどく気をつけてあった事が近くなったのです、神と縁が深い者には、縁が深いだけに見せしめがあるのです、国々もその通りです、神には依怙(えこ)は無いのです、ロシアの悪神の御活動と申すものは神々様にもこれは到底かなわないと思う様に激しき御力なのです、臣民と言うものは神の言葉は理解出来ないから悪神の事に「御」と付けるのは分からないと申すのですが、御とは力一杯の事、精一杯の事を申すのです、どこから攻めて来ても神の国には悪神には分からない仕組みを致してありますから心配は無いのです、いよいよと成った時には神が誠の神力を出して、天地を揺すぶってトコトン降参だと申すところまでギュウギュウと締めつけて、万劫末代言う事を聞きますと改心するところまで揺すぶるのですから、神の国の神の臣民は心配しないでください、心を大きく持って御用してください、どこに居ても御用している臣民は助けてやるのです、一二三(ひふみ)の食べ物に病は無いと申してあるでしょう、一二三の食べ方は一二三唱えながら噛むのです、四十七回噛んでから飲み込むのです、これが一二三の食べ方頂き方です、神に供えてからこの一二三の食べ方すれば何んな病でも治るのです、皆の者に広く知らせてやってください、心の病は一二三唱える事によって治り、肉体の病は四十七回噛む事によって治るのです、心も身も分け隔て無いのでありますが分かる様に申して聞かせているのです、取り違いしないでください、日本の国はこの方の肉体と申してあるでしょう、何んな宝も隠してあるのです、神の御用なら、何時でもどんなものでも与えるのです、心を大きく持ってどしどしやってください、集団(まどい)を作らないでくださいと申せば、バラバラでいますが裏には裏があると申してあるでしょう、心は配ってください、人は神とまつわれば喜悦(うれ)しうれしです、まつわれば人でなく神となるのです、それが真実(まこと)の神の世です、神は人にまつわるのです、・と〇とまつわると申してあるでしょう、戦争も・と〇と壊しあうのでは無いのです、・と〇とまつり合うことです、岩戸を開く一つの鍵です、和すことです、神国を真中に和すことです、それには〇(外)を掃除しなければならないのです、それが今度の戦です、戦の大将が神を祀らなければならないのです、二四(西)は剣(つるぎ)です、神まつりは神主ばかりがするのではないのです、剣と鏡とまつらなければならないのです、剣と鏡がまつわれば霊(たま)となるのです、今は霊が無くなっていると申して知らせてあるでしょう、政治も経済も教育の大将も神を祀らなければならないのです、天の天照皇大神様は当然として、天の大神様、地(くに)の天照大神様、天照皇太神様、月の神様、特に篤く祀ってください、月の大神様が御出でましになって闇の夜は月の夜となるのです、スサナルの大神様も篤く祀ってください、この神様には毎日毎夜お詑びしなければならないのです、この世の罪穢(つみけがれ)を負われて陰から守護されて御座る尊い御神様です、地(くに)の御神様、土の神様です、祓い清めの御神様です、国々の産土の神様を祀ってください、遅くなればなる程苦しくなるのです、人ばかりでないのです、桜咲き神の御国は明けそめにけり、十月になったらぼつぼつ分かるのです、叩(はたき)をかけてばたばたと叩く所もあるのです、箒(ほうき)で掃く所もあるのです、雑巾がけしたり水流す処もあるのです、掃除が始まったらばたばたに埒(らち)つくと申してあるでしょう、めぐりだけの事は、今度は何うしても借銭無しにするのです、花咲く人もあるのです、花散る人もあるのです、あめのひつ九のかミの御神名を書かせるのです、それを皆の者に分けてやってください、聞きたい事はサニワで聞いてください、何んなことでも聞かせてやると申してあるでしょう、神は急いでいるのです、火吹くのです、火降るのです、江戸に道場を作ってください、先づ一二三(ひふみ)唱えさせてください、神示読んで聞かせてください、鎮魂(みたましずめ)してください、鎮神(かみしずめ)してください、十回で一通り会得(わか)る様にしてください、神を祀ってその前でしてください、神が力添えするのですからどしどしと運ぶのです、誠の益人を作るのです、こんな事は申さなくてもやらなければならない事です、神は一人でも多く救いたさに夜も昼も総活動している事は分かるでしょう、神かかれる人を早く作るのです、身魂の洗濯をするのです、神かかりと申しても狐憑きや天狗憑きや行者の様な神憑りではないのです、誠の神憑りです、役員は早く取りかかってください、日に日に厳しくなって来ると申してあった事が始まっているのです、まだまだ激しくなって何うしたらよいか分からなくなり、あちらへうろうろ、こちらへうろうろ、頼るところも着るものも住む家も食う物も無くなる世が迫って来るのです、それぞれにめぐりだけの事はしなければならないのです、早い改心はその日から持ちきれない程の神徳を与えて、喜悦(うれ)し喜悦(うれ)しにしてやるのです、寂しくなったら訪ねて来てくださいと申してあるでしょう、洗濯次第で何んな神徳でもやるのです、神は御蔭をやりたくてうづうづしているのです、今の世の様子を見ても未だ分からないのですか、神と獣とに別けると申してあるでしょう、早くこの神示(ふで)を読み聞かせて一人でも多く救けてください、これまでの仕組みや信仰は方便のものであったのです、今度は正味(しょうまつ)の信仰なのです、神に真直(まっすぐ)に向うのです、日向(ひむか)と申してあるでしょう、真上(まうえ)に真っすぐに神を戴いてください、斜めに神を戴いても光は戴けるのですが、横からでもお光は戴けるのですが、道は真っすぐに、神は真上に戴くのが神国の誠の御道なのです、方便の世は済んだと申してあるでしょう、理屈は悪だと申して聞かせてあるでしょう、今度は何うしても失敗(しくじる)ことは出来ないのです、神の経綸(しくみ)には狂いは無いのです、臣民愈々苦しまなければならないのです、泥海に臣民のたうち廻らなければならないのです、神も泥海にのたうつのです、甲斐ある御苦労なら幾らでも苦労甲斐はあるのですが、泥海のたうちは臣民には耐えられないのですから早く掃除して神の申す事を真っすぐに肚に入れてください、斜めや横から戴くと光だけ影が射すのです、影が射せば闇となるのです、大きいものには大きい影が射すと臣民は申して、止むを得ぬ事の様に思っていますが、それは誠の神の道を知らないからです、影が射してはならないのです、影はあるが、それは影でない様な影であるのです、悪でない悪なのだと知らせてあるでしょう、真上に真っすぐに神に向えば影はあっても影は無いのです、闇ではないのです、この道理は分かるでしょう、神の真道(まみち)には影は無いのです、いくら大きな樹でも真上に真っすぐに光を戴けば影は無いのです、失敗(しくじり)は無いのです、それで洗濯しなさい、掃除しなさいと申しているのです、神の真道(まみち)は分かりましたか、天にあるものは地にも必ずあるのです、天地合わせ鏡と聞かせてあるでしょう、天に太陽様(おひさま)ある様に地にも太陽様があるのです、天にお月様ある様に地にもお月様があるのです、天にお星様ある様に地にもお星様があるのです、天から息吹けば地からも息吹くのです、天に悪神があれば地にも悪神があるのです、足元に気をつけてくださいと申してあるでしょう、今の臣民は上ばかり見て頭ばかりに登っているから分からなくなるのです、地に足をつけてくださいと申してあるでしょう、地を拝(おろが)めと、地にまつろえと申してあるでしょう、地の神様を忘れているのです、下と申しても位の低い神様のことではないのです、地(くに)の神様です、地にも天照皇太神様、天照大神様、月読大神様、須佐鳴之大神様があるのです、知らせてあること、神示を良く読んでください、国土の事や国土の誠の神を無きものにしているから世が治まらないのです、神々祀れと申してあるでしょう、改心第一と申してあるでしょう、七人に伝えてくださいと申してあるでしょう、吾れよしではいけません、お太陽(ひ)様は円いのでないのです、お月様も円いのではないのです、地球も円いのではないのです、人も円いのが良いのではないのです、息しているから円く見えるのです、活(はたら)いているから円く見えるのです、皆形が無いものを言うのです、息しているものは皆円いのです、神の経済この事から生み出してください、大きくなったり小さくなったり、神の御心通りに活(はたら)くものは円いのです、円い中にも心(しん)があるのです、神の政治はこの事から割り出してください、神は政事(まつりごと)の姿であるのです、神の政治は生きているのです、人の政治は死んでいるのです、十柱の神様を奥山に祀ってください、九柱でよいのです、何れの神々様も世の元からの肉体を持たれた生き通しの神様なのです、この方を合わせて十柱となるのです、御神体の石を集めさせてあるでしょう、篤く祀って、辛酉(かのととり)の日にお祭りしてください、病があるかないか、災難が来るか来ないかは、手が届くか届かないかで分かると申してあるでしょう、届くとは注(そそ)ぐ事です、手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首(せくび)の息と手の息と八所十所の息が合っていれば病は無いのです、災難に遭わないのですから、毎朝神を拝んでからよく合わせてみてください、息が合っていたらその日には災難は無いのです、特に臍の息が一番大切です、もしも息が合っていない時には一二三(ひふみ)唱えてください、唱え唱えて息が合うまで祈ってください、どんな難儀も災難も無くしてやるのです、この方は意富加牟豆美神(オオカムツミノカミ)です、神の息と合わされると災難や病は無くなるのです、大難を小難にしてやるのです、生命を助けてやるのです、この事はこの方を信じる人でないと誤まりますから知らせないください、手二本足二本を加えて十柱です、手足一本として八柱です、この事を早く皆に知らせてどしどしと安心して働く様にしてやってください、飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難がある時には息が乱れるのです、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになっていれば災難は逃れるのです、信ずる者ばかりに知らせてやってください、悪の衣(ころも)を着せられて節分に押込められていた神々様が御出でましです、この節分からはいよいよ神の規則通りになるのですから気をつけておくのです、容赦(ようしゃ)は無いのです、それまでに型をさせておくのです、御苦労ですが型してください、ヤの身魂は御苦労です、石がなぜものを言わないのか、愈々となっているではないですか、春になったら何んな事が起きるか分からないですから今年中に心の洗濯をしてください、身辺(みのまわり)の洗濯をしてください、神の規則は臣民には堪えられないことがあるかも知れないのです、気をつけておくのです、何もかもひっくるめて建て直しするのですから、どこから何が出て来るか分からないのです、御用はそれぞれの役員殿が手分けして努めてください、皆の者に手柄を立てさせたいのです、一ヶ処(ひとところ)の御用は二人づつでやってください、結構な御用なのです、どこの御用も仮であるのです、世が変ったら結構に真通理(まつり)してください、今は型であるのです、祀れと申してあることは忘れないでください、まつわらなければならないのです、神がついているのですから神の申す通りにやれば箱指した様に行くのです、産土神(うぶすなさま)を忘れないでください、富士の御用は奥山に祀ってください、カイの御用も続けてください、江戸に一の宮を作ってください、道場も同じです、渦海の御用とは渦海の鳴門(なると)と渦海の諏訪と渦海のマアカタと三所へ祀ってください、言葉で知らせておいたその前の御用は終わったのです、渦海マアカタとは印幡です、十柱とは火の神、木の神、金の神、日の出の神、竜宮の乙姫、雨の神、風の神、地震の神、荒の神、岩の神です、辛酉の日に祀ってください、しばらくは御神示は出ないのです、皆の者は早く今までの神示を肚に入れてください、神は急いでいるのです、神示を読めば神示が出て来るのです、神祀りを早く済ませてください、海には神の石を鎮めて祀ってください、山には神の石を立てて樹を植えてください、石は神の印をつけて祀る所に置いてあるのです、祀りは結構なのです、富士奥山には十柱の石があるのです、十柱を祀ってください、祀る所に行けば分かる様にしてあるのです、今度は世に落ちておられた神々様を上げなければならないのです、臣民もその通りなのです、神の申す通りにすれば何事も思う通りにスラスラと進むのです、これからは神に逆らう者は一つも埓はあかないのです、やって見てください、九分九厘でぐれんとなるのです、神の国はどうしても助けなければならないので、神が一日一日と延ばしていることが分からないのですか、皆の者が神を軽くしているからお蔭が無くなっているのです、世の元の神であっても御魂となっていたのでは誠の力は出ないのです、今度の経綸(しくみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合わないのです、どこの教会も元は良いのですが、取り次ぎ役員がワヤにしているのです、今の世のザマは何事でしょうか、この方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神なのです、この世をかまう神でも我を出すとしくじるのです、何んな力があったとしても我を出さないでください、この方がよい手本(みせしめ)なのです、世界をかまうこの方でさえ我で失敗ったのです、執念(くど)い様ですが我を出さないでください、慢心と取り違いが一番気ざわりなのです、改心がちぐはぐですから物事が後先になったのです、経綸少しは変わるのです、今の役員は神の道を広めると申して我(われ)を広めているではないですか、そんな事では役員とは言わせないのです、今までは神が世に落ちて人が神になっていたのです、これでは世は治まらないのです、神が上(かみ)で、臣民人民は下にいなければならないのです、自分が苦労して人を救う心でないと今度の岩戸は開けないのです、岩戸開きの御用する身魂は自分の苦労で人を助けなければならないのです、十年先は五六七(みろく)の世です、今の人間は鬼より蛇より邪見なのです、蛇の方が早く改心するのです、早く改心しなければ泥海にしなければなりませんから、神は日夜の苦労なのです、道は一つであると申してあるでしょう、二つ三つ四つあると思ってはならないのです、足元から鳥が立つと申してあるでしょう、臣民は火がついてもまだ気付かないでいるのですが、今に体に火がついてチリチリ舞いしなければならないことになるので、神がくどく気をつけておくのです、三四に気をつけてください、神の国は神の力で何事も思う様に行く様になっているのに、学や知に邪魔されている臣民ばかりなのです、早く気付かないと今度と言う今度は取り返しつかないのです、見事な事を神がして見せるのです、見事な事なのです、人間には恐しい事なのです、大掃除する時は棚の物を下に置く事があるのです、下にあったとしても見下げてはならないのです、この神は神の国の救われることを一番願っているのです、外国人も神の子なのですが性来が違うのです、神の国の臣民が誠の神の子です、今は曇っているのですが元の尊い種を植えつけてあるのです、曇りを取り去ってください、依怙(えこ)の様ですが外国は後廻しなのです、同じ神の子でありながら神の臣民の肩を持つのは公平でないと申す者もありますが、それは昔からの深い経綸ですから臣民には分からないことなのです、一に一を足すと二ばかりではないと申してあるでしょう、何事も神の国から神の臣民からです、洗濯も同様です、今度の御用を外(はず)したならば何時になっても取り返しつかないことになるのですから、心して御用してください、遣り損ない出来ないことになっているのです、天に一柱、地に一柱、火にも焼けず、水にも溺れない元の種を隠しておいての今度の大建て替えです、何んなことが起きても人間心で心配しないでください、細工は隆々なのですから仕上げを見てください、この神はめったに間違いないのです、三千年地に潜っての経綸であり、悪の根まで調べてからの経綸ですから、人間殿は心配しないで神の申す様に素直にしていてください、末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)が無くなっていることです、オロシヤの悪神(あく)と申すのは泥海の頃から生きている悪の親神です、北に気をつけてください、神の国は結構な国であり、世界の真中の国ですから、悪の神が日本を盗んで末代の住家とする計画をしてトコトンの智恵を出して何んなことしても取る積りで、いよいよを始めているのですから、余程しっかりと褌を締めてください、日本の上に立っている守護神に分かりかけたならバタバタに埓があくのです、早く改心してください、神かがりと申しても七つあるのです、その一つ一つがまた七つに分かれているのです、⦿ガカり、かみかかり、か三かかりです、・ガカリです、〇かかり、か三かかり、かみかかりです、神かかっていないと見える神カカリが誠の神カカリなのです、そこらにいる神憑りは五段目六段目の神憑りです、神カカリとは惟神(かんながら)の事です、これが神国の真事(まこと)の臣民の姿です、惟神の国は惟神です、神と人と融け合った真事の姿です、今の臣民の申すのは惟神では無いのです、この道理は分かりましたか、真事の神にまつりあった姿です、悪の大将の神憑りは、神憑りと分からないので気をつけてください、これからは誠の神カカリでないと何も分からない事になるのです、早く神カカリになる様に掃除してください、神の息吹きに合うと神カカリになれるのです、一二三を唱えてください、祓え祝詞を宣ってください、神を称えてください、人を称えてください、神は人を誉め人は神を称えて祀ってください、まつわってください、あなないしてください、左は火であり右は水です、⦿の神と渦の神です、日の神と月の神です、日の神様ばかり拝んで月の神様を忘れてはならないのです、人に直接(じきじき)恵みを下さるのは渦の神様、月神様です、だからと申して日の神様を疎(おろそ)かにしないでください、水は身を護る神様です、火は魂を護る神様です、火と水と組み組みて人なのです、身は水で出来ているのです、火の魂を入れてあるのです、国土も同様です、渦海の御用は大切です、いざとなればこの世の位も宝も富も勲章も役には立たないのです、この世を去って役に立つのは身魂の徳だけです、身についた芸はそのまま役に立つのです、人に知れない様に徳を積んでください、神の国に積む徳のみが光るのです、マアカタ(印旛)の御用は結構でした、富士晴れ、湖(うみ)晴れるのです、この巻は日の出の巻として纒めて役員に読ませて、一二三として皆に知らせてください、神は急ぐのです