日月神示を繰り返し読む 2024年06月16日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

日月神示 紫金の巻

高天原、オノコロに神祇(かみ)つまります、すめむつカムロギ、カムロミのミコトもちて、千万(ちよろづ)の神祇(かみ)たちを神集(つど)えに集え給い、神はかりにはかり給いて、下津岩根に真理(みや)柱二十敷(ふとしき)建て高天原に千木高知りて、伊都の神宝の大御心(おおみこころ)のまにまに千座(ちくら)の置座(おきくら)におき足らはして、天地祝詞(アメツチのりと)の二十(ふと)祝詞言を宣(の)れ、かく宣らば神祇(かみ)はおのもおのもの岩戸を押し開きて伊頭(いづ)の千別きに千別き給いて聞し召さむ、かく聞し召してば、天(あめ)の国うつし国共に罪と言う罪はあらじと科戸(しなど)の風の吹き放つことの如く、朝風夕風の吹き祓う如く、大つ辺に居る大船を舳(へ)解き放ち艫(とも)解き放ちて大海原に押し放つ事の如く、残る罪も穢もあらじと祓い給え清め給うことを、よしはらえ、あしはらえ給いて弥栄えの御代とこそ幸わい給え幸わい給え、〇一二三四五六七八九十百千万歳万歳、大君の勅(ミコト)にみそぎし今朝の太陽(ひ)を吸う、日々の人民の御用が神の御用と一致するように努力しなければなりません、一致すれば嬉し嬉しとなり、暮し向きも何一つ足りないものが無くなって来るのです、食物が喜んで飛び込んで来るのです、着るものが着てくれと飛び込んで来るのです、住居も出来て来るのです、人の心のそれぞれも同様となるのです、伊豆幣帛(いづぬさ)を都幣帛(とぬさ)に結び岩戸ひらきてし、ウヨウヨしている霊かかりにまだ騙されている人民が多いのです、何と言えば分かるのでしょう、奇跡を求めたり、我よしのお陰を求めたり、下級な動物の入れものとなっているから、囚われているから騙されるのです、霊媒の行いを良く見ればすぐに分かるのです、早く目覚めてください、因縁とは申しながら、可哀そうだからくどく申して聞かせているのです、誠の道に帰ってください、誠とは〇一二三四五六七八九十と申してあるでしょう、その裏は十九八七六五四三二一〇で、合せて二十二です、二二が真理と知らせてあるでしょう、二二が富士(不二、普字)と申してあるでしょう、まだ分からないのですか、豊栄に栄り出でます大地(くに・九二)の太神(おおかみ)、大掃除が激しくなると世界の人民はみな仮死の状態になるのです、掃除が終ってから因縁のミタマだけを神がつまみあげて、息を吹きかえしてミロクの世の人民と致すのです、因縁のミタマには⦿(カミ)の印がつけてあるのです、仏教によるもののみ救われると思ってはならないのです、キリスト教によるもののみ救われると思ってはならないのです、神道によるもののみ救われると思ってはならないのです、アラーの神によるもののみ救われるのではないのです、その他諸々の神、それぞれの神によるもののみ救われるのではないのです、何もかも皆救われるのです、生かすことが救うことになる場合と、殺すことが救うことになる場合があるのです、岩戸開き御祷(みほぎ)の神宝(たから)たてまつらまし、月は赤くなるのです、日は黒くなるのです、空は血の色となるのです、流れも血となるのです、人民は四つん這(ば)いやら、のたうちやら、逆立ちやらに一時はなるのです、大地震、ヒの雨を降らせての大洗濯ですから一人だけ逃れようとしても神でも逃れることは出来ないのです、天地混ぜこぜとなるのです、ひっくり返るのです、白玉や赤玉青玉ささげまつりし、今までは白馬と赤馬と黒馬とであったのですが、岩戸が開けたら、岩戸の中から黄(基)の馬が飛び出して来るのです、キが元であると申してあるでしょう、トドメの馬です、黄金の馬です、救いの馬です、このことは神界の秘密であったのですが時節が来たので人民に伝えるのです、今までは白馬に股がって救世主が現われたのですが、いよいよの救世主は黄金の馬、基(キ)の馬に乗って現われるのです、太祝詞(ふとのりと)宣り宣り祈らば岩戸ひらけん、神は一時は仏とも現われたと申してありましたが、仏ではもう治まらないのです、岩戸が開けたのですから、蓮華(れんげ)ではならないのです、人民も改心しなければ、地の下に沈むことになるのです、神が沈めるのではないのです、人民が自分で沈むのです、人民の心によって明るい天国への道が暗く見え、暗い地の中への道が明るく見えるのです、珍しきことや珍しき人が現われて来るのです、ビックリ、ひっくり返らないように気をつけてください、目の玉が飛び出すのです、たとえではないのです、千引岩今ぞあけたり爽し富士はも、神は宇宙をつくり給わずと申して聞かせてあるでしょう、このことをよく考えて、よく理解してください、大切な別れ道なのです、福祓いも合わせて行わなければならない道理です、光は中からです、岩戸は中から開かれるのです、ウシトラが開かれてウシトラコンジンがお出まになるのです、もうよこしまのものの住む一寸の土地もなくなったのです、新しき御代のはじめのタツの年、あれ出でましぬ隠れいし神、かくり世もうつし御国の一筋の光りの国と咲きそめにけり、この巻は五葉の巻と申してください、四つの花が五つに咲くのです、女松の五葉、男松の五葉、合せて十葉となりなりなりて笑み栄える仕組み、十と一の実り、二二と輝くのです、日本晴れが近づいたのです、とても爽々しい岩戸開けなのです、国土をつくり固める為に、根本大神が何故にヌホコのみを与えたのかを知らなければ、岩戸開きの秘密は解けないのです、千引岩戸を開くことにおいて神は今まで何も申さないでいたのですが、時がめぐり来て、その一端をこの神示で知らすのです、素盞鳴の命の誠の御姿が分からなければ次(通基)の世のことは分からないのです、神示をいくら読んでも肝心要のことが分からなければ何にもならないのです、何もかも前に前に知らせてあるのに、人民は先が見えず、言葉の含みが分からないので、取り違いばかりするのです、国土(九二つち)の上は国土の神が治さめるのです、世界の山も川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に、数で造ったのです、いよいよが来たのです、いよいよとは一四一四です、五と五です、十であるのです、十一であるのです、クニトコタチがクニヒロタチとなるのです、クニは黄であり、真中であり、天は青であり、黄と青と和合して緑、赤と和して橙(だいだい)となり、青と赤と和して紫となる、天上天下地下となり六色となり六変となり六合(クニ)となるのです、更に七となり八となり白黒を加えて十となる仕組み、色霊(たま)を結構に致してください、ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨエルであり、タテの十の動きがウマシアシカビヒコジです、十と十と交わり、和して百となり九十九と動くのです、霊界には過去も未来も無いのです、今があるのみです、これを中今(なかいま)と申すのです、竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の神殿、金神殿の九柱です、総大将は国常立大神です、このことを分かってください、教えは無くなるのです、元の道が光り輝くのです、これを惟神(かんながら)の道と申すのです、少しでも交じり気があったらなら先になって取り返しのつかないことになるのですから今度は一厘の狂いがあってもならないのです、柱になる人民もあれば屋根になる人民もあるのです、天の王と地の王とをゴッチャにしているから分からないことになるのです、その上にまた大王があるのですが、大王は人民には見当取れないのです、無きが如き存在なのです、人民は具体的にと申すのですが、人民の申す具体的とはコリ固った一方的なもので一時的なその時の現われなのです、人民の申す絶対無、絶対空は無の始めであり、空の入口です、そこから無に入ってください、空に生きてください、いよいよの代(よ)となるのです、現実の事のみで処理してはならないのです、常に永遠の立場に立って処理してください、生きることは死に向って進むことです、誠に生きる大道に目覚めてください、神示を始めから読めば何事も明らかなのです、奥山はあってはならない、無くてはならない存在です、善人の住む所は悪人の休む所だと申してあるでしょう、奥山は神、幽、現の三界と通じる所、八尋殿の左と右に宮が建ち、奥にも一つ宮が建つ