日月神示を繰り返し読む 2024年06月13日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

日月神示 極めの巻

宇都志(うつし)水に天津(あまつ)水添え奉(たてまつ)らむを、夕陽(ゆうひ)より朝日照るまでふと祝詞せむ、火結神(ほむすび)の実秀答(みほと)焼かれて岩戸(言答・一八十)閉ざしき、青玉の水江の玉ゆいよよ栄えむ、天地咲(え)む神の礼白臣(いやしろおみ)の礼白(いやしろ)、天(あま)つ神の寿言(よごと)のままに八十(やそ)岩明けぬ、世界を一つにするのですから王は一人でよいのです、動きは二つ三つとなるのです、キはキの動き、ミはミの動き、動いて和してキミと動くのです、三が道であると知らせてあるでしょう、自他の境界をつくらないでください、おのづから自他の別と和が生まれてお互いに折り重なって栄えるのです、世界一家への歩み方、やり方を間違えないでください、九分九厘まで進まなければ後の一厘は分かりません、今が九分九厘なのです、日本は日本、世界は世界、日本は世界のカタの国、おのづから相違があるのです、守護神を良くすれば肉体も良くなるのです、神の道は一本道ですから、多くに見えても終りには一つになるのです、今が終りの一本道に入るところです、この道に入れば新しき世は目の前です、神も今まではテンデンバラバラであったのですが、今に一つにならねばならないことに天が命じているのです、人民の中と外も同様です、今の人民は誠が足りないので、誠を申しても耳に入らないのですが、今度は神が人民にうつって、また人民となって誠の花を咲かせる仕組みです、同じことを百年も続けてくどく申すと人民は申すのですが、分からないから申しているのです、わが身を捨てて三千世界に生きてください、わが身を捨てると申すことは我(が)を捨てること、学を捨てることです、捨てると真理がつかめて大層な御用が出来るのです、それぞれの言葉はあってもミコトは一つだと申してあるでしょう、ミコトに生きてください、言葉の裏には虫がついているのです、英語を学ぶと英語の虫に、支那語を学ぶと支那語の虫に犯されやすいのです、どうしても理解しなければならないのですから苦労をしてください、大難を小難にすることは出来るのですが無くすることは出来ないのです、不足を申すと不足の虫が湧くのです、怒ると怒りの虫が湧くのです、一生懸命に自分の信じるように神を小さくして自分で割り切れるように引きづり降ろしているのです、困ったものです、長くゆったりとした気持ちで神を求めてください、大空に向って腹の底から大きく呼吸してゴモクを吐き出し、大空を腹一杯吸い込んでください、そなたの神を一応捨てて心の洗濯をしてください、神示が腹に入ったら神示を捨ててください、神を信じつつ迷信に落ちているのです、日本が秘の本の国、艮(宇詞答裸、ウシトラ)のかための国、⦿ヒ出づる国、国常立大神がウシトラの扉を開けて出づる国と言うことが分かって来ないと、今度の岩戸開きは分からないのです、こんなことを申せば今の偉い人々は、古臭い迷信であると鼻にもかけないのですが、国常立命がウシトラからお出ましになることが岩戸(言答)開きです、今の学では分からないことばかりです、善と悪とに自分が勝手に別けて、善をやろうと言うのが今の世界のあり方です、天の王、地(智、千)の王のこと、・のことがハッキリと分からなければ足場がないのです、足場もめあても無くメクラメッポーに歩んでも目的地には着けない道理です、つまらぬことに心を残すのは、つまらぬ霊界との縁(えにし)が残っているのです、早く岩戸を開いて富み栄えてください、人民が富み栄えることは、神が富み栄えることです、何事も祓い清めてください、清めるとは和すことです、違う者同士が和すのが誠の和なのです、8迄と9、10とは性が違うのです、和すには5と5でなくてはならないですが、陽が中、陰が外なのです、天が主で地が従です、男が上で女が下、これが正しき和です、逆様ではならないのです、これが公平と申すものです、陰と陰と、陽と陽と和しても陰です、陽と陰と和して始めて新しき陽が生まれるのです、陽が本質的なもの、この和し方が祓い清めです、今まで世に落ちていた神も、世に出ていた神も皆一つ目です、一方しか見えないので、世界のこと、逆の世界のことは分からないですから、今度の岩戸開きの御用は中々難しいのです、早く改心して九、光の神について来るのが一番なのです、外国の方が早く改心するのです、外(幽)国人とは逆の世界の人民のことです、神の目からは世界の人民はみな我が子です、世界中が皆この神の肉体です、この神には何一つ分からない、出来ないと申すことはないのです、どんなことでも致して見せるのです、元は5で固めたのです、天のあり方、天なる父は5です、それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組み、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰って世界の難渋となったのです、手や足の指は何故に5本であるのか誰にも分からないでしょう、天の5を地にうつすと地の五則となるのです、天の大神は指を折って数えられたのです、天の大神の指も五本であるから、それを五度折って二十五有法となされ、五十を元とされたのです、神々、神心、神理、神気、神境です、この交叉弥栄えは限りなく、これを五鎮と申すのです、上天、下地、照日、輝月、光星、これを五極と申すのです、東木、南火、中土、西金、北水、これを五行と申すのです、裸物、毛物、羽物、鱗物、甲物を五生と申し、文則、武則、楽則、稼則、用則を五法と申すのですが、それだけでは足りないのです、その中に⦿があるのです、大神が座しますのです、人民の頭では中々に理解は出来ませんが分ってください、これが妙であり奇であるのです、天の父の教えであり、地にうつした姿です、神示に出したら天明に書かせるのです、神示はいくらでも神界に出してあるのです、神が想念したならば、神界ではそれが神示となっているのです、それを人民に分かるように書かせるのです、父と母との文字で書かせるのです、天明は神示をうつす役、書かせる御役です、陽当たりのことと、日陰のことと一時に出て来るのです、タテコワシとタテナホシが一時に来るのです、神の申した通りになっているでしょう、学で説くと学の鬼に囚われるのです、智で説くと智の、理で解くと理の鬼に囚われるのです、このままに伝えてください、天の世界も潰してはならない、地の世界も潰すわけには行かないですが、地上の事は潰さなければ建て直しは難しいのですが、見ていてください、一厘(理云、リン)の火水でデングリ返して、見事なことをお目にかけるのです、口先ばかりやその場限りでうまい事申しているのですが、それは悪の花です、心と行が伴わないからです、自分自身の戦いが終っていないからです、そなたの持っている悪い癖を直してください、それが御神業です、神々様も自分の癖を直すために御苦労なさっているのです、そのために生長するのです、昨日の自分であってはならないのです、六十の手習いで止まってはならないのです、死ぬまで、死んでも手習いです、お互に拝んでください、拝むと総てが自分となるのです、拝むところに集まって来て弥栄えです、ここまで申して聞かせても言うことを聞かない人民が多いのです、聞く耳が無いならば思うようにやって見てください、グルグル廻ってまた最初からです、人民は神の中にいるのですからいくら頑張っても神の外には出られないのです、死んでも神の中にいるのです、思うようにやって得心改心してください、我が我で苦しむのも薬と申すものです、正しくないものが正しい方に従わなければならないと人民は申していますが、正とか不正とか申す平面的衣を早く脱いでください、誠を衣としてください、誠を衣にするには心が誠になって、誠の肉体とならなければならないのです、誠とは数(かず)です、言(こと)です、色です、その配列、順序、法則です、右の頬を打たれたら左の頬を出しなさい、それが無抵抗で平和の元だと申していますが、その心根をよく洗って見つめてください、それは無抵抗ではないのです、打たれるようなものを心の中に持っているから打たれるのです、誠でいれば相手が手を振り上げても打つことは出来ないのです、よく聞きわけてください、笑って来る赤子の無邪気は打たれないでしょう、これが無抵抗です、世界一家天下泰平です、左の頬を出す愚かさをやめてください、頭を下げて低くなって見てください、必ず高い所から流れて来るのです、高い所にいるから流れて来ないのです、神の恵みは水のように淡々として低きに流れて来るのです、自分が自分にだまされないように心してください、自分で善悪を決めて苦しんでいるのです、世界の片端浜辺からいよいよが起きて来たのです、夜明けが近づいたのです、今までの逃れ場所はヤマであったのですが、今度はヤマに逃げても駄目なのです、神の御旨の中に入ってください、山に移って海に入れと申してあるのは今度のことです、この神示は神と龍神と天人天使と人民達に与えてあるのです、天界での出来事は必ず地上に移って来るのですが、それを受け入れる、その時の地上の状態によって早くもなれば遅くもなり、時によっては順序も違うのです、人民は近目ですから色々と申すのですが、広い高い立場で永遠の目で良く見極めてください、寸分の間違いも無いのです、これが間違ったら宇宙は粉みじんとなり、神はないと言うことになるのです、天人天使の行為が人民にうつるのですが、人民の自由、能力の範囲に於ける行為は又逆に、天界に反影するのです、日本とカラ(支那、中国)と土地が違う様に、日本人と唐人とは違うのです、天界のうつり方も違うのです、同じ日本人でも時と所によって違うのです、肌の細かい絹と荒壁にうつる映画は同じでも少しづつ違う様なもので、違って映るのが誠なのです、同じ数でも123と一二三は違うのですから分かってください、新しき世界に進む大切なことです、今の学者には今の学しか分からないのです、それでは今度の岩戸開きの役には立たないのです、三千世界の岩戸開きですから、少しでもフトマニを違えてはならないのです、まわりくどいようでも嫁ぎ(とつぎ)の道から改めてください、出舟の港は夫婦からであると申してあるでしょう、ミトノマグワイでなければ正しき秩序は生まれないのです、素盞鳴命が、荒ぶる神、悪神ではなく、人民の罪を背負って下さる救い主の大神であることが分からなければ、岩戸は開けないのです、新しい世界の宮は土地(神智、十千)であり、住所(数真意、すまい)なのです、永遠に在(おわ)す神は住む(澄む、数務)土地(十千)であり、下には永遠の腕(宇丁・うで)があるのです