日月神示を繰り返し読む 2024年05月23日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

㉕日月神示 黄金の巻①

元の元の元の神は何もかも終っているのです、終わりなく始めなく弥栄えているのです、友を作ってください、友を作ることは自分を作ることです、広めることです、自分を友の心の中に入れることです、皆自分の目的をたてに来ているのです、それでは思惑は立たないのです、御光が愛です、真です、愛はマです、真は言です、これを誠と言うのです、誠は生きているのです、三千世界の生命です、和してください、和はむすびです、何もかも生まれるのです、息するのです、自分で勝手なことをしておいて親神様を怨んでいるのです、この巻からは人民の道しるべであります、近いことから知らせるのです、この神示が出たならすぐに血としておいて下さい、そなたの為なのです、そなたの為は人の為、世の為、三千世界の為でもあるのです、この巻は黄金の巻です、心の目を開いてください、日本が日本がと、まだ小さい島国日本に捉(とら)われているのです、世界の日本だと口で申しているのですが囚われているのです、生き返る者は八分です、八分の中の八分は又生き返るのです、生き返っても日本に捉われるのです、おわり(尾張)の仕組みはみのおはり(身の終わり、美濃尾張)、骨なし日本をまだ日本だと思って目が覚めないのです、九十九十(コトコト)と申してカラスになっているのです、古いことばかり守っているのです、古いことが新しいことと思っているのですが、新しいことが古いのです、取り違いしないでください、神は生命です、秩序です、秩序は法則です、為してください、行じてください、考えてください、考えたらよいのです、為すには先づ求めてください、神を求めてください、自分に求めてください、求めて理解した後に為してください、為して顧みてください、神の命はそこに弥栄えるのです、今までの日本の宗教は日本だけの宗教なのです、この度は世界の元の三千世界の大道なのです、教えではないのです、八分の二分はマコトの日本人です、日本人とは世界の民のことです、一度日本を捨ててください、捨てると日本が掴めるのです、日本を掴むことは三千世界を掴むことです、悪の大将もそのことをよく知っていて、天地がデングリ返るのです、物の食べ方に気をつけてください、皆の者は物ばかり食べているのです、二分の人民は結構に生きて下さい、喜びは神なのです、神は神の中に宇宙を生んだのです、善の祈りには善、悪の祈りには悪、祈りの通りに何もかも出て来ることがまだ分からないのですか、時節には時節のことだと申してあるでしょう、これだけ世界に荒事(あらごと)をさせて見せて、神示通りに出て来ても、まだ目が覚めないのですか、まだまだ改心は難しいのです、悔い改めてください、顧みてください、恥じ畏れてください、慎んでください、その日その時から良くなるのです、人間には神は知れないものです、神のはたらきのみやっと知れるのです、神の能(ハタラ)きは千変万化、能(ハタラ)きを見て神そのものと思うのは人間心です、この神示は針の穴ほども違わないのです、書かせた事はそのまま出て来るのです、神は人となりたいのです、人は神となりたいのです、霊は形を形は霊を求めているのです、人は神のいれもの、神は人のいのちです、ものを生む始めは女です、目的をたてるとスコタンです、種から生えたものは渋柿です、接木(つぎき)をしなければ甘柿とはならないのです、己のためにすることは人のためにすることです、思いは力、実在です、天地が混ぜこぜになったら、まだまだなるのです、どれもこれも何が何だか分からないことになるのです、早く神示を肚に入れておいてください、己に逆うことは神に逆うことです、己を拝むことは神を拝むことです、キリキリ舞が目の前です、今はまだなるようにしていてください、悪いことを通して善くなる仕組みです、よく心得てください、神体や神殿が神ではないのです、神でもあるのです、取り違いは禁物です、鼻高にはとても困るのです、他の教会は病を治して一人でも多く信者を集めて立派に教会を作ればそれで良いようにしていますが、この道はそんな所でまごまごさせてはおけないのです、高く光るのです、遠くから拝むようになるのです、一切の未来も一切の過去もすべてが現在です、中今です、このことを分かることが善です、神は総てを知っているのです、現在は永遠です、どこからともなく感じて来るものを尊んでください、取り次ぎ役員は信者より曇りがひどいのです、外にあるものは内にあるのです、この神示に縁ある者には天使の働き位のことがすぐに分かるミタマを授けてあるのに今の姿は何事ですか、ボタンを押してください、燈台元に来て明るくなると思うのは思い違いなのです、元に来て自分があかりとなってください、光となってくださいもう化けてはいれないのです、化けの世は終わったのですから人民はウソを行ってはならないのです、嘘を見分ける鏡を与えてあるのです、早く改心してください、仏教の取り次ぎ、キリスト教の取り次ぎ、天理、金光、大本教の取り次ぎさんは早い改心が良いのです、アラーの取り次ぎさんも道教の取り次ぎさんも同様なのです、人間はいつも造られつつあるものなのです、これでもう良いと言うことはないのです、ゴッドも仏も神も皆その通りです、世の中も、大千世界もまた同様です、造られつつあるのです、愛と言うのも真と言うのも皆方便です、何れも誠の現われであるのです、方便の世は終わってハウベンの世となるのです、そのハウベンの世も終わって誠の世となるのです、善悪無い世となるのです、分かりましたか、今度の岩戸開きは神と人との九十運動です、建て替えの守護が大切です、先づ一筋の天地の道から変えるのです、次に人の道をつくるのです、経(たて)と緯(よこ)を造るのです、人の道と天地の道とを間違えているのです、人の道は花が色々と咲き乱れ、織り交ぜて楽し楽しのそれぞれなのです、自分で自分のことをしているのですが、またさせられているのです、大きな自分に融け入ったとしても小さい自分が無くなってしまうのではないのです、神人、天地だと申してあるでしょう、善も仮です、悪も仮です、良く心得てください、守護神守護神と申していますが、魂の守護神は肉体です、肉体の守護神は魂です、くるくる廻ってまた始めからです、前の始めと始めが違うのです、皆が相談し合って良きに弥栄えるのです、為さねば後悔するのです、始めからの神示を読めば分かるように示してあるのです、神示を読まないから迷うのです、神は人民の気を引くのです、神示を読んでください、読むと神示が出るのです、神示は少しも違わないのです、違うと思うことがあれば己の心を顧みてください、その心が曇っているのです、めぐりあるだけ神がうらめしくなるのです、めぐりが無くなれば神が有難いのです、人間がいなくて神ばかりではこの世のことは出来はしないのです、神が人間になって働くのです、分かりましたか、新しい神国が生れるまではメグリばかりがうようよして昔のしたことばかり恋しがっているのですが、そんなことは何時までも続かないのです、三年苦しみ、五年もがき、七年でやっと気の付く人民が多いのです、皆で仲良く相談し合って力を合わせて進んでください、弥栄えるのです、二つに別れるのです、三つに別れるのです、別れて元に納まる仕組みなのです、結構結構です、理解大切、理解結構です、これからは思考しなければ何も出来ないのです、拝み合うことは理解し合うことです、手を合わせて拝むばかりでは何も分からないのです、なぜ心の手を合わせないのですか、心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことです、サトルことです、苦しんで苦しんで苦しみ抜いて得たことは楽に得たことなのです、その楽に得たことだけが自分の身につくのです、血となり肉となるのです、印は⦿と申してあるでしょう、なかなか⦿になるのは出来ないのです、為して為して為せば成る時です、為さねば後悔するのです、元を立ててください、人から見てあれならばと言う様になればこの方の光が出るのです、行が出来なければお出直しです、お出直しが多いのです、独断は役には立たないのです、イワト開きの九分九厘でひっくり返り、また九分九厘でひっくり返るのです、天明九十六才七ヵ月のかのととりで開くのです、羹(あつもの)に懲(こ)りて膾(なます)吹いている人民は欲を捨てると分かって来るのです、誠の欲深になってください、イロハの勉強とは日々の生活を神示に合わせることです、この中から神示通りの型を出してください、出さなければならないのです、分かった人ほど口が静かになるのです、天狗が出て来ても三日天下です、三日天下も御役です、御役も御苦労なことです、良ければ立ち寄り、悪くなれば立ち去る様な人民は早く退いて見物していてください、日和見ばかりしていると気の毒になるのです、神に使われるには一通りや二通りの苦労では出来ないのです、宗教によるものだけが天国に行くと考える者、自分の教会だけが天国に通じると思う者、すべて悪の眷族ばかりです、迷わないでください、迷うのは欲からです、体験と理解のみが財産です、神示が肚に入ったら、もうそれで良いのです、去って花を咲かせてください、神示が肚に入るまでは去ってはならないのです、しっかりと心得てください、神を拝しても筋が違うと水の泡です、まだ迷っていますが、それでは仕組みは成就しないのです、褌を締めて一本道の真心が結構なのです、金がよければ金を拝んでください、人がよければ人を拝んでください、神がよければ神を拝んでください祈れば祈るほど悪くなることがあるのです、この道は結構な道と分からないのですか、心をしっかりして迷わないでください、天国の門は貧者富者の区別は無いのです、区別する境界は作らないでください、世界中を一度に揺すぶると申してあるでしょう、ボタン一つで世界がでんぐり返ると申してあることが未だ分からないのですか、神罰は無いのです、道は一つ二つでは無く無数なのです、ただし内容は一つなのです、新しき道を拓いてあるのになぜその道を進まないのですか、下腹からの怒りは怒ってください、胸からの怒りは怒らないでください、昔から無かったことをするのですから、取り違いするのはもっともなことですが、選り分けるミタマを授けてあるのです、高い天狗の鼻を曲げて自分の臭いを嗅いでみてください、鼻もちならないのです、今までの世界とは少しも交わらない新しい世になるのですから守護神殿にも分からないことをするのです、世界の民が皆一度に改心するようにどん詰りにはなるのです、それまでに一人でも多く、一時も早く改心させたいのです、気をゆるめたら肉体がゆるむのです、後戻りばかりとなるのです、霊人と語るのは危ないです、気をつけてください、人は人と語ってください、自分の行が出来ていないと人の悪口を言うのです、自分の心は日々夜々改めなければなりません、心とは身と心のことです、元の生き神が直接、直々の守護をする時が来たのです、気をつけておくのです、国国所々、村村、家家、すべてどんなことでもめぐりだけの借銭清算をしてください、大峠なのです、早合点しないでください、小さい入れ物では間に合わないのです、動かぬ富士の仕組みの鳴門の仕組み、ことだま、かずたま、ひふみ、いろたま、いろは