日月神示を繰り返し読む 2024年05月18日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

日月神示 梅の巻

今度の建て替えは敵と手を握らなければならないのです、敵役の神々様、人民様早く尋ねて来てください、この方は待ちに待っているのです、無理に引っ張ったのでは役に立たないのです、心からの立て替えでないと役に立たないのです、この神示の十三の巻からは臣民の肚の中の奥まで見抜かないで、見届けないで見せてはならないのです、今にいろいろなミタマの人が集まって来ますから十二の巻も申してある様にしっかりとしておいてください、御剣(みつるぎ)の大神、黄金(こがね)の大神、白銀(しろがね)の大神と唱えてのまつりは結構結構です、結構に致して祀ってください、しっかりとおまつりしてください、オロチ、九火(キュウビ)、ジャキ、の三大将殿の御力を祀って、弥栄えしてより良く動くのです、ひらけ輝くのです、光の御代となるのです、替え身魂(ミタマ)はいくらでも作ってあるのです、心して取り違いしない様に神の心を早く汲みとってください、この方の仕組みは人民には分からないですから、どうなることかと役員も心配されるのですが、仕上げをりゅうりゅう見てください、めったに間違いはないのです、うまい話には乗らないでください、うまい話を今に持って来ますから、うまい話には誠がないです、この方の三千世界の御道は誠より他にないと申してあるでしょう、真実の誠は神示を読まなければ分からないのです、ひつぐの民の家には御神名か御神石か御神体として代表の大神様として、天の日月の大神様、地の日月の大神様と称え斎(いつ)き祀り結構に致してください、一の宮二の宮などの祀りの仕方は天明に知らせてあるのです、道院殿、老祖様は中の宮に、他は道院の神々様として次の宮に結構に祀ってよいのです、いづれも弥栄え弥栄えなのです、皆の者御苦労様です、世界の民の会を作ってください、人民は拝み合うのです、すべてにまつり合えと申してあるでしょう、まどい(集団)はどしどし作ってください、皆で拝み合ってください、まどい(集団)の印(しるし)は⦿です、拝み合うだけの集団(まどい)で良いのです、理屈は悪なのです、そんな事は言わなくても分かっているでしょう、神示を良く読んでください、この神示を食物(くいもの)にしようとして出て来る者がだんだんに出て来るのですが、どれもあてが外れてしまうのです、アテが外れて神の目的が成るのです、役員殿は失礼の無いように気をつけてください、まつりは結構です、神が預けてあるものは、預かった人民はよきに取りはからってください、大きい小さいの区別はないのです、塵一本でも神のものだと申してあるでしょう、塵一個動かすのに一々神の心を聞いてやっているとは言わせないのです、預けるには預けるだけの因縁があるのです、預かった人民は良くしてください、奥山はどこに移ってもよいと申してあるでしょう、神の道は弥栄え弥栄えです、ニニギの命(みこと)がお出ましになるのです、ニニギとは二二(ふじ)のキの御役であります、神がかりになって世界中のこと何でも分かる様に思っていると、とんでもないことになるのです、このままにして放っておくと戦済んだでもなく、とどめもさせないで世界中の大難となるので早い改心が結構なのです、悪の上の守護神、中の守護神、下の守護神の改心が出来ない者はいくら可愛い子であると言っても容赦は出来ないのです、いよいよ天の大神様の御命令通りに神々様が総掛かりです、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、百々八百万の神々様の御活動が激しくなったのです、人民は目を開けておれない事になるのです、出来るだけおだやかにしたいのですが、分かった臣民は日々お詫び、お祈り結構にしてください、大峠となってからではいくら改心致しますと申しても、許してくださいと申しても、許すことは出来ないのです、日本には日本の守護の神、支那には支那、外国には外国のそれぞれの守護の神がいることを忘れないでください、神々様は持ち場持ち場を清めてください、御役は結構なことです、四十七と四十八で世を新しくするのです、三人を使って三人を世の元とするのです、三人を掘り出すのです、世に落ちています神々様、人民様を世にお上げしなければならないのです、悪神の国(ロシア)から始まって世界の大戦(おおいくさ)がいよいよ激しくなって来るのです、何事も清めてください、清めるとはまつらうことです、口と心と行と三つ揃ったら今度は次に・を入れてください、・は神です、神示です、神示が元ですと申してあるでしょう、口と心と行いの三つが揃っても肝腎の神示が肚に入っていないと何もならない事になるのです、九分九分九厘となっている事も分かるでしょう、御用は勇んで仕え祀ってください、目が覚めたらその日の生命を頂いたのだと申してあるでしょう、新しき生命が弥栄えに生まれるのです、今日の一日を神に仕え祀ってください、与えられた仕事が御用なのです、生命なのです、取り違いしないでください、七月になると上の人民や番頭殿の顔色が悪くなって来るのです、八、九月となればいよいよ変って来るのです、秋の紅葉の色が変るのです、いくら因縁があってもミタマが曇っていると今度は気の毒が起きますので、今度引き寄せられた人民であっても、役員であると言っても少しも気は許せないのです、澄んだ言霊(ことだま)で神示を読み上げてください、三千世界に聞かせるのです、そんな事で世界が良くなるかと人民は申すでしょうが、神の申す通りに分からなくても神の申す通りにやってください、三千世界に響き渡って神々様も臣民人民様が心の中から改心する様になるのです、世が迫っていることは、どの神々様人民にもよく分かっていて誠を求めているのです、誠を知らせてやってください、何もかも一度に出て来るのです、日増しに激しくなって来るのです、どうすることも出来ない様になって、悪神、悪の人民は手も足も出せない事に、何から何まで何が何だか分からない事に折り重なって来るのです、キリキリ舞いしなければならない事になって来るのです、キリキリ舞いにも良いものと悪いものとあるのです、良いキリキリ舞いは結構ですが、中々出来ないのです、肉体はこの世では大切ですから肉体を傷つけたり苦しめたりしたら、その守護神は、それだけのめぐりを負うのです、霊であると申して肉体を苦しめてはなりません、今の人民はとっておきの誠の知恵が無いので、持っている知恵を皆出してしまうので、上面(うわつら)ばかり飾って立派に見せようとしているので、いざと言う時には間に合わないのです、上面しか見えないので、誠の事が分からないから、神の申す事が分からないのも道理なのです、建て直しの仕組みは立派に出来ているので心配しないでください、建て替えを延ばしに延ばしている神の心が分からないから、あまり延ばしては丸つぶれになって、悪の罠(わな)に落ちるから艮(とど)めの一厘の蓋を開けますから、人民は目を開けておれない事になるのです、早く知らせる人民には知らせてやってください、先づ七人に知らせてくださいと申してあるでしょう、悪い事は陰口しないで親切に気を付け合って仲良くするのが結構なのです、陰口は世を汚し自分を汚すのです、聞かない人民は時を待って気を付けてください、縁のある人民は皆親兄弟なのです、慢心、取違い、疑いと我(が)がこの道の大きな邪魔となるのです、くどい様ですが繰り返し繰り返し気を付けておきます、時が来たら説き出すのです、親の心を察して子から進んで行うのです、その心が良きに幸(さき)わうのです、もの聞くのも良いのですが、聞かなくては分からない様では幽国(がいこく)身魂です、神の臣民とは親の心がうつって言われない先に出来るものなのです、世は神界から乱れたのです、人間界から世を建て直して、地(くに)の岩戸は人間が開いて見せるという程の気魄がなくてはならないのです、その気魄が幸(さき)わうのです、岩戸が開けるのです、日本の上に立つ者に外国の教えを伝えて外国魂にしてしまったのは今に始まった事ではないのです、外国の性根を入れたのが岩戸閉めなのです、五度の岩戸閉めです、分かりますか、五度の岩戸閉めを元に戻すのですから今度の御用は中々に難しいのです、中つ枝からの神々様には分からない事だと申してあることも納得出来るでしょう、この神示を肚に入れていればどんなことが起きても先に知らせてあるから心配ないのです、ソレ出たとすぐに分かりますから、胴が座っているので何事も結構なお陰をいただくのです、死ぬ時は死んだ方が良く、遊ぶ時には遊ぶことです、嬉し嬉しなのです、万物の長とは神の臣民の事なのです、世界の人民も皆万物の長なのですが、この世の神は臣民なのです、神の次に良き身魂(みたま)なのです、臣民は地(くに)の日月の神様なのです、火の粉でヤケドしないでください、気を付けておきます、世に出ている守護神のする事はたかが知れているのです、元の生神様の御一方(おんひとかた)が御力を出されたら手も足も出ないことになるのです、神力と学力とのいよいよの力比べなのです、元の生神様の御息吹きがどんなにお力があるか、今度は目にもの見せなければならないことになったのです、肉体ばかりか魂まで無くなるようになるかも知れないのです、震え上がるのです、理(みち)が神です、理が神の御用だと申しているのです