日月神示を繰り返し読む 2024年05月03日 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

この世には 聖なる人は 一人もいない

我こそは 偉いと思う それがつまずき

はしためと 気づいて生きる ふつつかものは

ふつつかな 自分を認め 頭を下げる

イエス様 どうかわたしを 導きください

地獄でも イエスと一緒 離れてダメよ

自分から 離れた人は 裏切り者ね

⑤日月神示 地つ巻(くにつまき)

地つ巻を書いて知らせます、世界は一つの実言(みこと)になるのです、それぞれの言葉はあるのですが、実言(みこと)は一つになるのです、てん詞様の実言(みこと)に従うのです、命(みこと)の世が近づいて来たのです、今は闇の世ですから夜が明けたことを申しても誰にも分からないのですが、夜が明けたらなるほどそうであったのかと驚くのですが、その時では間に合わないのです、夜が明ける前までに心を改めておいてください、この道を信じればすぐに良くなると思っている臣民もありますが、それは自分の心の我がままなのです、道に外れた者は誰れかれの別はないのです、これまでのやり方をスッカリと変えなければ世は治まらないと申してありますが、上の人は苦しくなるのです、途中の人も苦しくなるのです、お上(かみ)の言うことを聞かない世になるのです、人間同士の戦争ではとても勝てないのですが、いよいよとなったならば神がうっつて手柄をさせるのですから、それまでに身魂を磨いておいてください、世界中が攻め寄せて来たと申しても、誠には勝てないのです、誠ほど結構なものは無いのです、誠が神風です、臣民に誠が無くなっていると、どんな気の毒が起きるか分かりませんので、くどく気をつけておくのです、腹を掃除してください、この神示はいくらでも出て来るのです、今の事と先の事と、三千世界の事も何もかも分かるのですから、この神示を良く読んで腹に入れておいてください、この神示を盗まれない様にしてください、神示を盗みに来る人がいますので気をつけておきます、この道は中を行く道です、左にも右にも偏ってはならないのです、いつも心にてんし様を拝んでいれば何もかも楽に行ける様になっているのです、我れが我れがと思っていると、鼻がポキンと折れるのです、片輪車でトンテントンテン、骨折損のくたびれ儲けばかりをいつまでしているのですか、神にまつろえ、神に従えと申しているでしょう、臣民の智恵で何が出来たのですか、早く改心してください、三月三日、五月五日は結構な日です、神の国を八つ裂きと申してあることのいよいよが近づいたのです、八つの国、八方の国が一つになって神の国に攻めて来るのです、目が覚めたらその日の生命(いのち)をお預かりしたのです、神の肉体、神の生命を大切にしてください、神の国は神の力でないと治まったことが無いのです、神が第一、神が一番なのです、いつまで仏や基(キリスト)や色々なものにこだわっているのですか、出雲の神様を大切にして有難くお祀りしてください、尊い神様なのです、天つ神、国つ神、皆の神々様に御礼申してください、まつろいをしてください、結構な恐い世となって来たのです、上下にグレンです、神に従う者には生も死もないのです、死ぬことはまかると申してあるでしょう、生き通しなのです、亡き骸(遺骨)は臣民は残さなければならないのですが、昔は臣民でも残さないで死(まか)ったのです、それが誠の神国の臣民です、ミコトです、世の元と申すものは天も地も泥の海であったのです、その時からこの世始まってからの生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのです、腹が出来ていると、腹に神が鎮座するのです、高天原です、神漏岐、神漏美(かむろぎ、かむろみ)のミコトを忘れないでください、そこから分かって来るのです、海をすべて船で埋めねばならないのです、海を断たれて苦しまない様にしてください、海をめぐらせてある神の国、清めに清めておいた神の国に、幽国(がいこく)の悪が渡って来て神は残念なのです、見ていてください、神の力を現わす時が来たのです、お祓いしなさいと申してあることは何もかも借銭なしにする事です、借銭無しとはめぐりをなくすることです、昔からの借銭は誰にもあるのです、それを払ってしまうまではどんな人も苦しむのです、人ばかりでなく、家ばかりでもなく、国には国の借銭があるのです、どうしても世界中の借銭清算が大望(たいもう)されるのです、今度の世界中の戦は世界の借銭清算なのです、世界の大祓いです、神主がお祓いの祝詞(のりと)をあげても何もならないのです、お祓い祝詞は宣(の)るのです、今の神主は宣っていないのです、口先ばかりです、祝詞も抜けているのです、あはなち、しきまき、国つ罪、みな抜けて詠んでいるのです、臣民の心には汚く聞こえるのですが、それは心の鏡が雲っているからです、悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしているではないですか、これでは世界は清まらないのです、祝詞は読むものではないのです、神前で読めばそれで良いと思っていますが、それだけでは何もならないのです、宣(の)るのです、祈るのです、なりきるのです、融け切るのです、神主ばかりではないのです、皆さん心得ておいてください、神のことは神主に、仏のことは坊主にと申していることが根本の大間違いです、ひつくの神にひと時拝してください、神の恵みを身にも受けてください、身体が甦るのです、神の光を着てください、み光を頂いてください、食べてください、神ほど結構なものはないのです、今の臣民は日を頂かないから病になるのです、神の子は日の子と申してあるでしょう、何事も方便と申して自分勝手なことばかり申していますが、方便と申すものは神の国には無いのです、誠がコトです、マの事です、ことだま(言霊)です、これまでは方便(宗教)と申して逃げられたのですが、もう逃げることは出来ないのです、方便の人々は早く心を洗ってください、方便の世は終わったのです、いまでも仏の世と思っているとびっくりが出るのです、神の国に元の神がスッカリ現われて富士の高嶺から天地(あめつち)へ祝詞するのです、岩戸を閉めるお役にならないでください、世界を丸めて一つの国にするのです、国はそれぞれに色の違う臣民によって一つ一つの国を作らせるのです、その心々によりそれぞれの教えを作らせるのです、古いものは死んでまた新しくなるのです、その心々の国と言うのは心々の国です、一つの王で治めるのです、天つ日嗣(ひつぎ)の御子様が世界中を照らすのです、国のひつきのお役も大切なお役です、道とは三つの道が一つになることです、満ち満ちることです、元の昔に返すのです、修理固成(つくりかため)の終わりの仕組みです、終りは始めです、始めは霊(ひ)です、富士が都となるのです、幽界(がいこく)行きは外国行きです、神の国が光って目をあけて見れないことになるのです、臣民の身体からも光が出るのです、その光によってその御役や位が分かるのですから、ミロクの世となったら何もかもハッキリしてうれしうれしの世となるのです、今の文明が無くなるのではないのです、タマを入れていよいよ光って来るのです、手を握って草木も四つ足もみな歌うことになるのです、み光にみなが集まって来るのです、てんし様の御光は神の光です、この道は道なき道です、天理も金光も黒住も今は魂が抜けていますが、この道を入れて生き返るのです、日蓮も親鸞も耶蘇(やそ)も何もかもみな脱け殻なのです、この道でタマを入れてください、この道は・です、〇の中に・を入れてくださいと申してあるのです、臣民も世界中の臣民も国々もみな同じことです、・を入れてください、〇を掃除していないと・は入らないのです、今度の戦は〇の掃除だと申してあるでしょう、まつりとは調和(まつり)合わせることだと申してあるでしょう、この道は教えではないと申してあるでしょう、教会や他の集いではないと申してあるでしょう、人を集めてくれるなと申してあるでしょう、世界の臣民はみな信者であると申してあるでしょう、この道は道なき道、時なき道です、光です、この道で皆が生き返るのです、岡本天明はアホになってください、我(が)を捨ててください、神かかるのに苦しいのです、赤い眼鏡をかければ赤く見えると思っているのですが、それは相手が白い時ばかりです、青いものは紫にうつるのです、今の世は色とりどり眼鏡とりどりですから見当取れないことになるのです、眼鏡を外すに限るのです、眼鏡を外すということは洗濯することです、上ばかり良くてもならないし、下ばかりよくてもならないのです、上も下も天地揃って良くなって世界中の臣民、ケモノまで安心して暮らせる新しい世界に致すのです、取り違いしないでください、この道が分かった人から一柱でも早く出て来て神の御用をしてください、どこにいても御用はいくらでもあるのです、神の御用と申して稲荷(いなり)下げや狐つきの真似はさせないのです、この道は厳しいき行(みち)ですが楽な道なのです、上にも下(しも)にも花咲く世になるのです、後悔は要らないのです、カミは見通しでないとカミではないのです、今のカミは見通しどころか目を塞いでいるのです、カエルがいくら鳴いても夜は明けないのです、赤児になってください、ゴモク(汚いもの)を捨ててください、その日その時から顔まで変わるのです、神が烈しくなって結構な世となったのです、神の国のカミの役員に分かりかけたならバタバタに埒(らち)が開くのですが、学や智恵が邪魔してなかなかに分からないので、くどく申しているのです、臣民は物を言わなくなるのです、この世の終りが近づいた時です、石が物言う時です、神の目には外国も大和もないのです、皆が神の国です、七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせないのです、一つの王で治めさせるのです、てん詞様が世界をみそなわすのです、世界中の罪を負われている素盞雄の大神様に気づかないのですか、盲つんぼばかりと申してもあまりではないですか、神が臣民の心の中に宝を埋めておいたのに、悪に負けて汚してしまって、それで不足申していることに気づかないのですか、一にも金、二にも金と申して、人が難儀しても我さえ良ければよいと申しているではないですか、それはまだよい方で、神の面(めん)をかぶって口先ばかりで神様神様、てんし様てんし様と申したり、頭を下げたりしているが、こんな臣民は一人も要らないのです、いざという時は尻に帆をかけて逃げ出す者ばかりなのです、犬や猫は正直で良いです、上辺だけの臣民は今度は気の毒ですがお出直しです、神の申したことは一分一厘違わないのです、その通りになるのです、上に唾(つば)を吐けばその顔に落ちるのです、時節ほど結構でこわいものはないのです、時節が来たのです、慌てないで急いでください、世界中が唸(うな)るのです、陸が海となる所があるのです、今に病神(やまいがみ)の仕組みにかかっている臣民が苦しむ時が近づいたのです、病が流行るのです、この病は見当とれない病です、病になっていても、人も分からない、自分でも分からない病です、今に重くなって来ると分かって来るのですが、その時では間に合わないのです、手遅れです、この方の神示を良く腹に入れて病を追い出してください、早くしなければフニャフニャ腰になって四つん這いで回らなければならないことになると申してあるでしょう、神の入れものをワヤにしているのです、誠の善は悪に似ているのです、誠の悪は善に似ているのです、よく見別けなければならないのです、悪の大将は光り輝いているのです、悪人はおとなしく見えるものです、日本の国は世界のヒナ形なのです、ヒナ形でない所は真の神の国ではないですから、よほど気を付けていてください、一時は敵となるのですから少しも気を許せないのです、神から特に気をつけておくのです、今は日本の国となっていても神の元の国でない所もあるのですから、ヒナ型を見てよく腹に入れておいてください、後悔しても間に合わないのです、我よしの政治ではならないのです、今の政治経済は我よしなのです、臣民のソロバンで政治や経済をしてはならないのです、神の光のやり方でないと治まらないのです、与える政治が誠の政治です、臣民が勇む政治とは上下をまつろい合わす政治のことです、日の光ある時は、いくら曇っても闇ではないのです、いくら曇っても悪が妨げても昼は昼です、いくら明かりをつけても夜は夜です、神のやり方は日の光であると申してくどく気をつけてあるのです、これは政治、これは経済だと分けることは、まつりごとではないのです、神の臣民には魂と肉体の区別は無いと申してあるのです、神のやり方は人の身魂(からたま)です、人のはたらきを見れは直ぐに分かるのです、腹にしっかりと神が鎮まっていれば何事も箱差した様に動くのです、いくら頭が偉いと言っても胃袋は頭の言う通りには動かないのです、この道理は分かりましたか、だからと申して味噌も糞も一つにしてはならないのです、神の政治は優しくて難しいやり方です、高い所から低い所に流れる水のやり方です、神の印(しるし)を付けた悪が来るのです、悪の顔をした神があるのです、飛行機も船も臣民もみな同じです、足元に気をつけてください、向こうの国は少しも急いではいないのです、自分で目的が出来なければ子の代、子で出来なければ孫の代と、気長くかかっているのです、神の国の今の臣民は気が短いからしくじるのです、しびれが切れると立ち上がれないのです、急いではならないのですが急がなければならないのです、神の申すことを取り違いしない様にしてください、良くこの神示(ふで)を読んでください、元の二八基(邪気)が光理(こり)て湧いて出た現空(悪)の種は二八基(邪気)と大老智(オロチ)と世通足(四つ足)となって、邪気には二本の角、オロチには八ツ頭、八ツ尾、四つ足は金毛ですから気をつけておきます、四つ足はお実名に付いて別けてありますから、守護神殿、臣民殿はだまされない様にしてください、世成り、神国の太陽足り満ちて、皆満ち足り、神国の月神、世をひらき足り、弥栄えにひらき、月光、総ては満ち、結び出づ、道は極みに極む、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)、弥栄え弥栄えぞ、神、仏、耶ことごとく和し、和して足り、太道ひらく永遠(とわ)、富士は晴れたり、太神は光り出づ、神国のはじめ、世界に変わった事が起きたら、それは神々様の渡られる橋です、本を清めなければ末は清まらないのです、根を絶っては葉は繁らないのです、元の田根(たね)が大切なのです、種は元から選り分けてあるのです、センブリは苦(にが)いのです、神界の事は現界ではなかなか分かるものではないと言うことが分かったならば、神界の事が分かるのです、一に一を足すと二になると言うソロバンや物差しでは見当は取れないのです、今までの戦争でも、神が陰から守っていることは分かるでしょう、あんな者がこんな手柄を立てたと申すことがあるでしょう、臣民からはアホに見えても、素直な人には神がかりやすいのですから、早く素直になってください、海の津波に気をつけてください、津波が来る前に知らせてやります、自分が助かろうと思ったら助からないのです、自分が助かろうする心は我よしです、身魂磨けた人から救ってやるのです、神がうつるのです、⦿のうつった人と〇のかかった人との大戦です、・と〇とが戦して、やがては・を中にして〇がおさまるのです、その時は〇ではなく、・も・ではないのです、⦿となるのです、・と〇のまつりであると申してあるでしょう、どちらの国も潰れるところまで行くのです、臣民同士でもう戦争はかなわないと申しても、この仕組みが成就するまでは神が戦争をやめさせないのです、神が戦争をやめる訳に行かないのです、今やめたらまだまだ悪くなるのです、〇の世となるのです、〇の世界となるのです、今の臣民は九分通り〇になっているのです、早く戦争を終わらせてくださいと申していますが、今(いま)夜が明けてしまったら、臣民は九分通り無くなるのです、お洗濯が一番なのです、この神示を心で読んでください、声を出して読んでください、病気も直るのです、草木もこの神示を読んでやれば花が咲くのです、この道を広めるには教会のようなものにしないでください、集団を作らないでください、心から心、声から声、身体(からだ)から身体へと広めてください、世界中の臣民は皆この方の民ですから、早く伝えてください、神も人も一つなのです、考えているだけでは何も出来ないのです、考えないで思う通りに行うのが神のやり方なのです、考えは人の迷いです、今の臣民は身魂が曇っているので考えなければならないのですが、考えればさらに曇ったものになる道理なのです、日暮れに気をつけてください、日暮れが良くなるのです、日暮れに始めたことは何でも成就するようになるのです、一九(ひく)れを日の暮れとばかり思って、臣民の狭い心で受け取っていると間違うのです、⦿のくれのことを申すのです、この方は明神(みょうじん)とも現われているのです、臣民の守護の為に現われているのです、衣(ころも)はくるむものです、くるむとは、まつらうものです、神の衣は人であるのです、汚れ破れた衣では神は嫌なのです、衣なら何でもよいと申すようなものではないのです、暑さ寒さを防げばそれでよいと申す様な簡単なものではないのです、今は神の衣が無くなっているのです、九分九厘の臣民は神の衣になれないのです、悪神の衣ばかりです、今に臣民の衣も九分九厘無くなるのです、⦿の国、霊の国とこの世とは合わせ鏡ですから、この世に映って来るのです、臣民は身魂を洗濯してくださいとくどく申してあるのです、この道理は良く分かりましたか、十月とは十(かみ)の月ぞ、━と┃と組んだ月です、新しくその日その日の生まれ来るのです、三日は三日、十日は十日の神殿が守るのです、時の神ほど結構な恐い神は無いのです、この方であっても時節にはかなわないことがあるのです、今日であれば九月の二十八日ですが、旧の八月十一日殿を拝んでください、二十八日殿もあるのです、何事も時を待ってください、炒豆(いりまめ)にも花が咲くのです、この世では時の神様、時節を忘れてはならないのです、時は神なりなのです、何事もその時節が来たのです、時過ぎて種を蒔いても役に立たないのです、草が物を言うのです、雨の日は傘は要ると申しても晴れたら傘は要らないのです、その時その時の御用があるのです、晴れた日であっても傘が要らないのではないのです、今日御用ある臣民と、明日御用ある臣民とあるのです、二歳(ふたつ)の時は二歳の着物、五歳(いつつ)は五歳、十歳(とう)は十歳の着物があるのです、十柱の御役もその通りです、役が変るのです、天地には天地の国には国のびっくり箱が開くのです、びっくり箱が開けたら臣民はみな思いが違っていることが分かるのです、早く洗濯した人から分かるのです、びっくり箱が開くと、神の規則通りに何もかもしなければならないのです、目をあけていれない人が出て来るのです、神の規則は日本も支那も印度もアメリカもイギリスもオロシヤもないのです、世界を一つにして規則通りが出て来るのですから、今に敵か味方か分からないことになって来るのです、学の世はもう終わったのです、日に日に神力が現われるのです、一息入れる間も無いのです、ドシドシと事を運ぶので遅れないように、取違いしないように、慌わて無いようにしてください、神々様でもえらく心配されている神様がいるのですが、仕組みはりゅうりゅうと出来ているのですから仕上げを見てください、旧九月になればこの神示(ふで)に変って天(アメ)の日つくの神の御神示を出すのです、初めの役員をそれまでに引き寄せるのです、八分通りは引き寄せたのですが、あと二分通りの御役の者を引き寄せるのです、遅し早しはありますが、神の申したことは一厘も違わないのです、富士は晴れたり日本晴れです、神の国には神の国のやり方があり外国には外国のやり方があると申してあるでしょう、戦もその通りです、神の国は神の国のやり方をしなければならないのです、外国のやり方を真似しては外国が強いのです、戦するにも身魂磨きが第一です、一度に始末することは簡単なのですが、それでは神の国を一度丸潰しにしなければならないので、待てるだけ待っているのです、仲裁する国は無く、出かけた船はどちらも後に引けない苦しいことになって来るのです、神は気をつけておくのです、天明は神示を書かせる御役です、蔭の役です、この神示はアとヤとワのつく役員から出すのです、表の御用です、旧九月までにはその御方がお揃いです、カのつく役員は裏でタのつく役員は表です、裏表があると申してあるでしょう、言葉が大切です、言葉によって伝えるのが神にはうれしいことです、文字は次なのです、このことは良く心得えてください、天の異変は人の異変です、一時は神示も出ないことがあるのです、神示を読んでください、神示を読まないで臣民が勝手に智恵を絞っても何にもならないと申してあるでしょう、神にくどく申させることは神国の臣民の恥です、神示は要らないのが誠の臣民です、それぞれに神が宿ったら神示は要らないのです、それが神世の姿です、上に立つ人にこの神示が分かるようにしてください、国は国の団体は団体の上の人に早く知らせてください、アとヤとワから表に出すと上の人も耳を傾けるのです、アとはアイウエオ、ヤもワも同様です、カは裏です、タは表です、サとナとハとマとまつわってください、ラは別の御役です、御役に上下は無いです、みなそれぞれ貴い御役です、この神示の上つ巻と下つ巻を先づ読んでください、腹に入れてから神が集うのです、神は急いでいるのです、山の津波に気をつけてください、一度に立て替えすると世界に大変が起きるので延ばし延ばしにしているのです、目覚めないと末代の気の毒が起きるのです、国取られた臣民はどんなにむごいことになっても何も言うこと出来ずに同じ神の子でありながら余りにもひどいやり方ではケモノよりもむごいことになるのがよく分かっているから神が表に出て世界中を救うのです、この神示を腹に入れると神力が出るのです、疑う臣民が沢山いるのですが気の毒になります、一通りは嫌がる臣民にもこの神示を一二三(ひふみ)として読むように上の人はしてやってください、生命(いのち)あるうちに神の国のことを知らずに死んでから神の国に行くことは出来ないのです、神の力でないともう世の中はどうにも動かないようになっていることを上の番頭殿は分かっているでしょう、どうにもならないと知りつつまだ学や知にすがっているようでは人の上に立つ人とは言えないのです、学や知を越えて神の力に従ってください、お土を拝んで米作る百姓さんが神の誠の民です、神を拝んで神示を受け入れてください、神の無い世とだんだんなって来ているでしょう、真通(まつ)ることは生かす事です、生かす事は能(はたら)かす事です、神の国には何でもないものは無いのです、神の御用なら何でも出て来る結構な国なのです、何も無くなるのはやり方が悪いのです、神の心に添わないのです、この神示を読ませるようにするのが役員の務めではないですか、役員さえ読んでいないではないですか、神示に一二三(ひふみ)つけたものを先づ大番頭、中番頭、小番頭殿に読ませてください、道さえつければ読むのです、腹に入るものと入らないものがあるのですが、読ませるだけは読ませてやるのが役員の勤めではありませんか、旧九月になったら忙しくなるので、それまでに用意しておかないと悔しさが出るのです、いざとなってから地団太を踏んでも間に合わないのです、餅搗(もちま)くには搗く時があるのです、それで縁ある人を引き寄せているのです、神は急いでいるのです、仕組み通りに出て来るのですが、大難を小難にすることは出来るのです、神も泥海は真っ平なのです、臣民が喜ぶことほど神にはうれしきことはないのです、曇っていても元は神の息を入れた臣民です、渦であるのです、番頭殿、役員殿はフンドシを締めてください、江戸の仕組みが終わったならオワリの仕組みにかからせるのです、その前に仕組む所があるのですが、今では成就しないので、その時は言葉で知らせるのです、宝の持ち腐れにしないでください、猫に小判とならないようにしてください、天地一度に変ると申してあることが近づいたのです、世はこのまま持ちきりにはさせないのです、息吹きを祓って議論(ろん)を無くするのです、人の言葉は無くするのです、物を言えない時が来るのです、臣民は見当とれないことになるのです、上の人はつらくなるのです、頑張ってください、神は言波(言葉)です、言波とは誠です、息吹きです、道です、誠とはまつり合わせた息吹きです、言葉で天地が濁るのです、言波で天地が澄むのです、戦が無くなり、神国になるのです、言波ほど結構な恐いものは無いのです、日本の国はこの方の肉体であるのです、国土を拝んでください、日本は国が小さいから一握りに握り潰して食べるつもりで攻めて来ているのですが、この小さい国が、喉につかえてどうにも苦しくて勘忍してくださいと言うようになって、とことんの時になったら改心しなければならないことになるのです、外国人もみな神の子なのですから一人残らずに助けたいのがこの方の願いと申してあるでしょう、今に日本の国の光が出るのです、その時になって改心出来ていないと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れないようになるのです、南の島に埋めてある宝を御用に使う時が近づいたのです、お土の上り下りになる時が近づいたのです、人の手柄で栄耀している臣民には借銭清算の時となったのです、改心が第一です、世界に変った出来事は皆この方の仕組みの節々です、身魂を磨いたら分かりますから、早く身魂を磨いてください、身魂を磨くにはまつりをしなければならないのです、まつりはまつらうことであると申して聞かせると、神祭りはしないでいる臣民もいますが、神祭りが元です、神を迎えなければならないのです、取り違いと天狗が一番恐いのです、千匁(せんじん)の谷へドボンと落ちるのです、神の規則は恐いのです、隠し立ては出来ないのです、何もかも帳面に書きとめてあるのです、神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむのです、家は家の国は国の借銭清算が始まっているのです、清算したら気楽な世になるのです、世界の大晦日なのです、晦日は闇と決まっているのです、借銭(かり)を返す時はつらいのですが、返した後の晴れた気持は良いでしょう、昔からの借銭ですから素直に苦しみを堪えて神の申すこと、させることに従って、日本は日本のやり方に返してください、番頭殿も下にいる臣民殿も国々の守護神殿も外国の神々様、人民殿、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒も皆聞いてください、その国その民のやり方を伝えてあるでしょう、九十に気をつけて用意してください、二二は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士(二二)から世界中に出る時が近づいたのです、富士は火の山、火の元の山で、汚してはならない御山ですから臣民は登れないようになるのです、神の臣民とケモノと立て別けると申してあるでしょう、世界の様子を見て早く改心して身魂を洗濯して神の御用をつとめてください、大き声を出さなくても静かに一言を言えば分かる臣民、一(いち)言えば十知る臣民でないと誠の御用はつとまらないのです、今に段々と迫って来て、この方の神示はあてにならない、だまされていたと申す人も出て来るのです、良くこの神示を読んで神の仕組みを心に入れて、息吹きとして言葉として世界を清めてください、分からないと申すのは神示を読んでいない証拠なのです、身魂が芯から光り出したら人も神も同じことになるのです、それが誠の臣民であると申してあるでしょう、山から野から川から海から何が起っても神は知りません、みな臣民の心から起こるのです、改心してください、掃除洗濯してください、雲霧をはらってください、み光が出ない様にしていてそれで良いのですか、早く気づかないと痛い目にあうのです、誰れかれの別は無いと申してあるでしょう、いづれは天の日つくの神様が御かかりになるのです、遅し早しはあるのです、この神様の御神示は烈しいのです、早く身魂を磨かなければ御かかりが遅いのです、とことん掃除しなければ御かかりは難しいのです、役員も気をつけてください、御役はご苦労なのですがその代り御役が終わった二二が晴れるのです