聖書を理解する 05号 | イエス様と生きる

イエス様と生きる

神様を褒めたたえることは
人としてとても大事です
死んだ者はそれが出来ません
死んだ人は神様を崇拝出来ない
生きるならば
本当の神様を崇拝することです

●疑問点➡人は神様に似せて造られた

●考察➡人であるアダムは神様に似せて造られたとあります、ところが神様を見た者は一人もいないのです、多くの人は自分の姿を基準に考えてしまうのです、それが自己中心という発想です、神様の姿が分からないので、アダムの最初の姿は不明なのです、つまり不明な姿をしていたのです、善悪の知恵の実を食べたらアダムとエバは隠れたのです、それまでは隠れる必要が無かったのです、つまり見えない存在だったのです、半透明のような存在だった、日月神示ではこれから人類は半霊半物の姿になると示していますので最初の人は「見えない存在だった」と考察されます、善悪の知恵の実を食べて「見えるようになった」だから隠れたのです、悪い事をすると人は見えるようになるのです、聖書の構造は良いことは見えないようにしなさい、悪いことは見えるぞとなります、警察の仕事は悪いことを見つけることです、パトカーの中から警察官は不審な人を探しているのです、不審な動きをしていると職務質問をするのです、アダムとエバも不審な動きをしたので神様から職務質問されたのです「食べるなと言っていたものを食べたのか」「何てことをしたんだ」と質問されたのです、動きが不審だったのです、隠れたりしたから逆に見つかったのです、聖書を自分中心に読むと理解出来ません、聖書は神様の立場で書いたテキストですからいつも神様の視点で見ることです、それで結論は昨日と同じ、アダムとエバは楽園では塵が舞うような存在だった、悪いことをしたのでハッキリ見えるようになった、楽園を追われる時は毛ものを着せられて楽園を出た、まるでゴリラかチンパンジーのような姿で楽園を追われた、類人猿みたいな姿になってしまった、最初の時は姿は見えなかった、悪い事をすれば「見つかる」のです、アベルを殺したカインも印を付けられたとあります、それは悪い事をしたという「印」です、だれが見ても悪いことをしているのは見つかるのです、政治家の裏金とか騒いでいますが、裏でやっていることは見つかるのです、神様は良いことは見つからないように、悪いことは見つかるように世界を造られたのです、だから隠しても無駄なのです、悪いことをすればどんどん目立つ姿になるのです、良い人は目立たないのです、これから最後の審判が近づくとどんどん悪い人が表面に出て「捕らえられる」のです、悪い人が目立つようになるのです、世紀末は派手な人が増えるのです、だから透明になりましょう