親戚が結婚で青森に
以前は大間地区だけでなく周辺の方達も普通にしていた原発建設のお話
それを今すると村八分になってしまうという感じが出てきていると
なので絶対に口にしないよう旦那さんが言うのだと
村八分、という言葉には驚きました
そもそも100%lよこしまな思いをもって関わっている人なんてごく一部で
よくわからないけどあまり深くも考えない
これでいいのかなあとか
つくり始めたから続けるのでしょという方もいらっしゃるでしょうが
大半は地元は潤うと聞き良いことだと思い関わったり
家族の為に真面目にされているような
規模に比例した代償も伴ってしまうとわかってしまったけれど
それはそれで技術革新も進んでいるからと
今もつくったりしている
かつて原発建設に関わった科学者の方技術者の方も
皆を幸せにする夢のエネルギーだと言ってもいたと
つまびらかにせず進められる部分は多いまま
お仕事、生活に直結している人も少なくない
話したくても
何となくそのことは避けないといけない話のような感じがするので
距離感に気を使いつつ
空気を読むというのを美徳としている
日本人ならではということもあるのでしょうか
原発に限ったことでは無いけれど
一人の人が考えついて、その人が最後まで責任を持ちつくりこんでいるわけでは無いモノ
それを数え切れない人数が関わって形作る、使う
人間の傲慢さや あれ!?というおっちょこちょいさなど
計算には入れようも無いモノづくりの行方
集団というものの不可思議さも一緒に
頭で考えてみても私もどうも答えはひとつにはならぬままです
ただ、大間原発建設
お隣さんである函館市はじめ近隣市町村に
ちゃんとした説明も挨拶も無いまま進められていると
材料も無い上、同意もしていないのに
避難計画だけは自分達で作っておいてくださいねと言われているのだと
それはやっぱりどうなんでしょう
何かの工事のときはご近所さんへ挨拶するって普通の事
なのにこの規模になると空気を読み、周辺への気遣いが出せないのでしょうか
函館市は30キロ圏内
どうしても必要なモノであるというなら尚更に
ご挨拶するのは当たり前ではないかなと
四月、致し方なく函館市は(議会の全会一致で)大間原発凍結訴訟に踏み切ったことが
ニュースになっていました→★
立待岬の海と風にはしゃぐ可愛い修学旅行生達を眺めつつ
もう一度海と空を眺めたら
虹が かかっていました