2006・6・7付け記事からの続きです・・・だいぶ間があいてしまいましたが^^;t続きです
”m-c-r”を作り上げるに至るまでの経緯には
学生時代からさかのぼりたく
長くなりそうですがじわじわ書いていきたいな と。^^気が向いたらお読みになってください(〃∇〃)
・・・とにかく楽しい大学生活に恵まれたと思います
入試に手間取り 入学時期が通常よりだいぶ遅れた経緯もあり・・・^^;
尚更嬉しく 楽しい大学生活でした
やりたいことを我慢しつづけの美術予備校時代
器用であれば その時期にはその時期なりにバランスをとって楽しめたのかも・・・
でも やっぱり”いっぱいいっぱい”でしたので
(その点 今ととかわらずかもです・・・状況は違いますが^^;)
楽しむ とはとてもいきませんでした
かなりつらかったー^^;まさに修行という感じで・・・
今となってはその つらかったともいえる時期が
実は自分が本当に好きなこと やりたいことがなんなのかという事を
じわじわ洗い出す為に 必要でとても大事な時間だったと思えるのですが
(それが許されたということそのものが有難いことでもありますしね^^)
そんなこんなの間に予想外に長くなってしまった受験時代^^;
ぎりぎりに来た受験最後の年はそれまでとは違った心境
大げさな言い方をするとある意味本当の覚悟の日々でした・・・
美大は浪人あたりまえ、現役で受かるのはまず難しいと聞かされていました為か
現役時の受験は 全く本腰を入れずに挑むという恥ずかしい状態・・・
その後の浪人生時代はかなり深刻に 受験 にどっぷりつかっていました
しかも受験に対しての周囲の情報に ほんとに自ら勝手に惑わされてぐるぐるしていました(^・^;)
一日も休まず予備校通い
何故か 楽しそうな事 好きなことをしたらまずいと思い ものすごい勢いで封印してました^^;
それが全てだと思い込むあまり 息が詰まりかけ自分を見失う→自信をもつための作業がおろそかに→
自分を信じられない→力がつかないし出せない の堂々巡り・・・
でもあるとき それは美術大学に行くということだけがゴールのように思ってしまっていたからだと
そこから先が漠然としすぎていると はっ としたのです
実はその後のほうがずっとある意味大変でもあるということに
遅ればせながら気づいたとでもいう感じでしょうか
美術系の学校に入学、卒業できる ということは
いくら自由といわれる美術の世界とはいえ
同じような道を志す仲間や先生がそばにいてくれたり
学生という”時間”そのものも含めてとても魅力的でした
その学校の”下駄”をはかせてもらえる という点で少なくとも私にとっては
(社会に出たら)やりやすいことは確かなような気がしていました(それほど甘い訳ではないにせよ)
とにかく それまで(高校まで)の”学校”に対してのイメージとは全然違ったものを感じていました
勿論 自分の目に本当の自信を持っている人
=自分に対しゆるぎない自信を持っている人 には
当事者であっても または 発掘する側であったとしても
その下駄や時間 環境すらも余り関係ないのかもしれないのですが・・・
それも考え合わせ じゃあ自分は?ともう一度よく問うてみたところ
やっぱり私はその下駄を一度は履いてみたいいう思いがはっきりし
けれども同時に 一年後にもし、その下駄がはけなければ
もうその下駄はあきらめねば
厳しいけれど下駄なしでやっていけるように本当の実力をつけておかなければ
何の後ろ盾もなしで やっていけるように・・・と覚悟も決まったという感じでした
その為にも最後の一年を使おうと
お金の問題は両親に頼み込みました
両親とは多少問題もあったりで さすがにすんなりとはいきませんでしたが最後には何とか許されました
両親は言い出したらやめない私の性格を知っていて(ひとりっこ B型^^;)))
ある意味 あきらめの部分も大きかったのかもしれませんが^^;
この頃のことは後になった今
思った以上に自分自身を助けてくれる何かになった気がしてますし
いまだ性懲りも無く ごつごつとつまづきつつも 何とか悔いなき道を歩んではいられることで
かかわってきてくれた方々や両親にも多少はお返しできているのでは・・・
と 勝手に思ってもいます(ここはかなり自分に甘いかも)
あらら・・・このエピソードは何故だかいつにも増してさらっとはかけません・・・^^ひょっとして
この頃が私にとってのあつい青春だったのかなあ~^^;
あつい時期にあつ苦しいですね・・すみません(;^ω^Aお読み下さってありがとうございます(///∇//)・・・ といいながら まだつづく・・・のですが(^・^;)// どうかおゆるしを!今日はこのへんまでにしておきます。。。