大瀬良選手というピッチャーがいらっしゃいます
今回はその選手をご紹介したいと思います。
弟の元気さんのことや、
奇跡的なドラフト会議のこととか、長々とスミマセンが、
大瀬良選手の人柄が分かるエピソードかと思いますので、
良ければどうぞ。
◆大瀬良選手とご家族のドキュメンタリー番組◆
2013年10月24日(木)放送
「お母さんありがとう 夢を追う親子の壮絶人生ドキュメント」より
(以下、転載します)
http://blog.livedoor.jp/livejupiter2/archives/6893803.html
1991年に兄の大瀬良大地が生まれた。
2年後に弟・元気くんが誕生したが、元気くんはダウン症だった。
弟の元気くんも野球の応援に行くようになり、野球に興味を示した。
弟が応援に来ることで、「元気を喜ばせたい」と大瀬良大地は
負けん気の強い男の子に成長した。
元気くんの宝物は兄のウイニングボール。
兄・大地はゲン担ぎに元気くんとハイタッチしていた。
しかし、ダウン症の弟、元気くんを連れて応援に行く事を
悩んでいたお母さんは、大瀬良選手に、思い切って尋ねたそうです。
「元気が試合見に来るの、嫌じゃない?」
大瀬良選手「なんで?だってオレの弟じゃん」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140527/21/minami73ameblo/dd/9c/j/o0600033712954879328.jpg?caw=800)
甲子園に出場した大瀬良大地は九州共立大学に進学。
弟が寂しがらないように毎日電話をしている。
「話している途中で元気はいつも泣く、寂しいのかな」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140527/21/minami73ameblo/3f/48/j/o0600033712954879336.jpg?caw=800)
両親は兄弟について
「あの子が生まれて家族が変わった。
大変だったけど生まれてきてくれてよかった」と話した。
ドラフト会議で広島から1位指名された
九州共立大学の大瀬良大地にインタビュー。
指名された瞬間は「元気の顔が思い浮かんで…ホッとしました」と話した。
弟がウイニングボールを宝物にしていることについて
「できるだけ早く、何個でもウイニングボールをあげられたら嬉しいです」
と話した。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140527/21/minami73ameblo/ba/ac/j/o0600033712954879353.jpg?caw=800)
(以上、転載しました)
![チューリップ赤](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/061.gif)
![チューリップ黄](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/060.gif)
![チューリップ赤](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/061.gif)
そして、ドラフト会議の日。
この、ドラフト会議も本当に感動しました。
普通、ドラフト1位の選手のくじ引きは、監督や会長などなど、
そうそうたるメンバーが引くのですが、
大瀬良選手の場合は、何と、スカウトマンが引きました。
なぜ、スカウトマンがくじ引きしたのか。
こちらをご覧ください。
「絶対に当たると信じて臨みました」
http://full-count.jp/2013/10/27/post433/
2013年のドラフト会議は、何ともいえない清々しさを持って幕を閉じた。
九州共立大の大瀬良大地投手(22)を引き当てた広島・田村恵(けい)スカウト(37)の力強い拳と震えた声が、ファンの感動を呼んだ。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140527/19/minami73ameblo/59/62/j/o0500028112954755774.jpg?caw=800)
広島は指名で重複した場合、担当スカウトがクジを引くことを決めていた。
1巡目指名の大瀬良がヤクルト、阪神と競合すると、広島は球団史上初めて、
九州担当の田村スカウトが壇上に上がった。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140527/19/minami73ameblo/da/d4/j/o0500028212954755794.jpg?caw=800)
対するヤクルトは小川淳司監督(56)、
阪神は和田豊監督(51)が運命の瞬間に立ち会う。
一人のスカウトが迫力のある両監督に挟まれる光景は異様だった。
その中で見事、交渉権獲得の判が押された紙を引き当てたのが、
37歳のスカウト。声が震えた。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140527/19/minami73ameblo/49/3d/j/o0500028212954755806.jpg?caw=800)
「ありがとうございます。本当にうれしいです。
やっぱり、自分が一番、見続けてきたので、
絶対に当たると信じて、臨みました」
インタビュアーから「どんな選手に育ってほしいか」と問われると、「えっ…、頭真っ白で、何も答えられません」と
思考すらままならない様子。
最後に「野村監督のもとで一生懸命がんばって
素晴らしい投手になってくれると思います」と絞り出すのが精一杯だった。
その目はかすかに潤んでいた。
そこまで感情が高ぶるのも無理はない。田村スカウトと大瀬良はこの瞬間まで約5年もの間、お互いを意識してきたのだ。
「大瀬良にも熱意は十分伝わっていた」
広島は2009年のドラフトで、
田村スカウトがマークしていた長崎・清峰高校の今村猛を1位で指名。
その年の夏の長崎県大会の準々決勝で、その清峰を破り、
甲子園に出場したのが大瀬良を擁する長崎日大高校だった。
田村氏はこの頃から常に大瀬良を気にかけていた。
その5年分の思いは本人にもしっかりと伝わっていた。
大瀬良はドラフト前まで12球団OKの姿勢を打ち出し、
意中の球団名を挙げることはしなかった。
だが、行き先が決まった後で、実は広島を希望していたことを明かしている。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140527/21/minami73ameblo/a5/f7/j/o0417045012954879369.jpg?caw=800)
プロ野球のスカウトの世界では、どれだけ強い思いを持って
選手を獲りにいっても、本人に届かないケースが多い。
それが大瀬良の場合は広島に気持ちが傾いていた。
つまり、それだけ田村スカウトの熱意が並はずれていたということだ。
ドラフトで田村氏が壇上に立った瞬間、大瀬良自身、
「引き当ててくれるかもしれない」と感じていたという。
(以上、転載しました)
大瀬良選手、カッコ良すぎます。
野球チームを越えて、一選手として、
本当に心から応援したい選手だなぁと思いました。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20140527/21/minami73ameblo/f6/41/j/o0600033112954879377.jpg?caw=800)