誰でも発達障害に当てはまる
精神科の闇について深堀りするのは一旦置いといて、
とりあえず発達障害に限定して書きます
・誰にでもあてはまる特徴をわざと自己診断チェックリストに入れ、不安を煽る
「たしかに、誰にでもたまにはチェックリストに当てはまるけど、発達障害者はその頻度が健常者よりも多い」
これはたしかにそう。
が、その頻度や程度はどこで線引きするのか?
(まあ、線引きなんて出来ないし、だから「広汎性発達障害」という連続型・スペクトラム形の障害として定義されたのだけれど)
「客観的に、常識的に」考えて逸脱していると判断する基準は、チェックリストにどれくらい当てはまるかどうかだけ。
あくまで精神科医または自分自身の肌感覚
「あなたは発達障害です」と診断されても、その同じ発達障害で人によって症状のレベルにかなり差がある(当然、精神科医によっても診断基準は違うし、人によってもリストに当てはまるか判断する基準が違う)
日常の中で普通に存在する「精神症状」をあたかも「発達障害」によるものと定義して、精神科を受診させようとする。
その結果、人々にラベルが貼られ、発達障害と診断される人が増え、精神薬も売れて精神科は大儲け
ホント、こんなの誰にでも当てはまる
これらのチェックリストの特徴は「人間の特徴そのもの」
要するに、人間の普遍的な喜怒哀楽や性格、特徴とは異なる部分をすべて抽出して「疾患」と定義した
「普通になりたい人たち」の願望を利用して、発達障害であるかのように錯覚させている
こういう精神医学の価値観では、精神を完全にコントロールできるロボット人間以外は、すべて精神病患者になる
人間らしい人間は、その「完璧」に近づくために感情を完全コントロールしようと努力し、薬によって不完全な能力を補おうとする
そして、完成するのは感情を消去した機械人間なのである
・広汎性発達障害はただの頑固
多様な性格を個性として重視した時代はすでに過去の物であり、少しでも異質なものはすべて病気として扱われるようになった。
たとえば、自閉症の常同反復行動(同一性保持、現状維持にこだわる、儀式化した行動)は、「頑固」「融通が利かない」という性格に言い換えられる。
ビジネス法則大全にもあるように、現状維持は人間の心理というか本性であり、誰にでも当てはまる
頑固でルーチンにこだわる人間など、そこらじゅうにいる
古い時代では、内気な人は単に「内気な人」であり、性格の範囲内だった
社交的な人は単に「外向的な人」
むしろ、昔は口数が多くてコミュニケーションが上手い女性は「あばずれ」だったのであり、同じく昭和以前の男性も総じて口数は少なかった(たとえば適菜さんと同じく、寿司屋でも会話が上手なところはイヤだ。職人気質であるほど会話は下手だし、別に下手でいい)
教育現場でも、
1.発達障害を見つけるのに躍起になっている
2.向かう先は支援センター、支援学級
3.知能検査、精神科
4.精神薬投与
の流れ
まぁたしかに、重度自閉症や知的障害は「障害」なのだろうけど、それでも昔は精神科も支援センターもなかったので、なんとか職を探して「障害者」は生き延びてきた
診断されたり、薬を飲まされたりして解決する問題ではない
本人がいかに支援なしで社会適応するかが問題
・ADHDはただの子供
子供は元来不注意なもの
それを大人が注意して学習させるから、気をつけるようになる
片付けも整理も勉強の一種で、親が子供に躾として教えるからできるようになる。
生まれつき片付けができる赤ちゃんなどいない