清里区菅原にある菅原神社を訪問しました。

菅原というと菅原道真を祭る神社と想像するが実は地名が由来の様です。

鳥居を潜ると苔むした急な石段を上ります

菅原神社は延喜式神名帳に登載され古くより菅原天神と崇められています。

明治16年の『神社明細帳』では、天武天皇3年(675)の創祀。『菅原神社取調書』では、文武天皇3年(699)の創祀とされ、いずれにしろ、式内社・菅原神社に比定されている古社。〔Hpから〕

登りきると境内にその奥に本殿が見えます

社務所脇から本殿

古社なのに本殿の造りは現在的と感じていました

今回、疑問が解けました

明治5年3月に炎上し明治38年高田出身の建築家長野宇平治と知り納得しました

長野 宇平治は、日本の建築家。日本建築士会初代会長。辰野金吾の弟子として知られ、数々の銀行建築を残した。越後国高田生まれ。 ウィキペディアより

菅原神社というとやはり学問の神様

絵馬には合格祈願・入学御礼・1級建築士祈願など・・・・

HPジから

元来「菅原神社」と「菅原道真」とは無関係なのだが、御子と伝わる「菅原道雄」が、当社の祝を兼務したことから、菅原天神と称されるようになったという。

本殿に向かって右側に前方後円墳の古墳があります

古墳の形をしていますが・・・杉が生い茂り・・・

県内に2基残る貴重な前方後円墳との事です

それには礎石類は用水に使用されたりしたようです

工房がありました

工房の名前は『折加実』(おりかみ)

 

社殿は小高い丘にあり、古来から人が生活していた場所の様に思われます。また、社殿脇の通りは大昔の高田平野の東縁に沿った街道の様に感じています。

年に何度か通っていますが、今回、大きな疑問が解けました。