私が勤行をするようになったのは小学4生の頃だったと思います、母親がやっていたのでやるようになりました。

それから毎日勤行をやり覚えてないですが高校生になってから入信したと思います、その頃は会館もなく人の家に曼荼羅がありそこで入信勤行や座談会をやっていました。

 

子供のころから勤行はやっていたのでいろいろ守られていましたがいつしか形だけになっていました。

それから20年たち身近に悩みをもった人もいたのに折伏さえしませんでした。家に顕正新聞もあったのに読もうともせず、近くに会館も建ったのに参詣も行かなかったのです。

そして信心が弱くなっていました、アルバイトで行っていた店に邪教の神棚があり経営者が「ここしか置くとこないのよね」と言ったのでエアコンの下じゃ駄目だろうななんて思ったり(邪教だと教えないといけないのに)雑誌のおまけでついていたおまじないのイラストを化粧ポーチに貼ったりしていたんです。

 

そしてついに罰があたりました。顔がステロイド皮膚症になりひどいことになったのです。

アイボンという目を洗うものを使っていたらまぶたが荒れて近所の皮膚科に行きました。ステロイドの塗り薬をもらい塗ったら治ったので荒れるたびに塗っていました。

(今考えると薬塗らなくてもアイボンはやめたのだから時間はかかっても自然と治っていたはずですが・・)

そのうち塗ってもまた荒れる、また塗って荒れる間隔が短くなり何かおかしいとネットで調べるとステロイドは基本的には顔には塗ってはいけない薬だと知りました。特に皮膚が薄いまぶたには。

そして塗るほどに皮膚が薄くなり荒れていきそれを止めるには薬を止めるしかないと知りました。本来は徐々に薬を減らしていき止めればいいらしいですが私は塗るのが怖くなり薬を止めました。するとリバウンドで塗っていない顔全体が赤く地図状になり荒れて腫れところどころリンパ液が出てかゆくて酷い顔になりました。

悲しくて泣くと腫れるので泣くこともできない、寝てる時に無意識にかいてしまい朝になるともっとひどくなっていて落ち込みました。

 

そんな私を見て姉が会館へ連れて行ってくれました。初めて仏間に入った瞬間に涙が止まらなくなり私が悪かったのだと分かりました。ずっと泣いていたので畳を濡らしてしまいました。命が大聖人様を求めていたのと分かりました。

それから折伏するようになったんです。一人では勇気がなくて姉と一緒にしてもらいました。友達が何人か入信してくれました。

それからは顔の状態も落ち着いてきましたが、薬を貰う気はないが医者の意見を聞きたいと思い荒れた顔のまま病院へ行きました。

そしたら医者が「3日塗ったら止めるようにと言ったんですけどね」と言ったのです。耳を疑いました。私はそんなこと聞いてません。医者のいうことは守るので・・薬の説明書にも書いてません。そして貰った薬は大きい容器のものです、もっと小さい容器もあるのに。少量で済むなら小さい容器で出せばいいのに。

ああこんな医者なんだ、逃げようとしているんだと悲しくなりそこで泣いてしまいその日は帰りました。

そこは内科で皮膚科もやっているところで、皮膚科専門ではありません。

悔しくて医者を訴えたいと思いました。3日で止めていたらこうはならなかったと思うからです。そして簡易裁判所に相談したら正しい名称を書いてと言われ(病院が何会なのか)分からないと言うと病院に聞けば分かると言うので電話して聞くと、なぜ知りたいのかというので私は3日塗ったら止めるようにとは聞いていないので訴えたいからと言いました。話を聞きたいから今から病院へ来てくれと言われ先生は弁護士に相談しますということでした。

医者を訴えたところで裁判しても負けると思ってました、こうゆう裁判はまず勝てないと。言った言わないの証拠もありませんし。裁判は長くかかるしストレスだろうなとも思いましたが私は泣き寝入りはしたくなかったのです。

 

その後弁護士から手紙が届き私は逆に名誉棄損とかで訴えられたのかとビクビクしながら読んだら和解したいとのことでした。和解金も貰え裁判もしないで済み一番良い方へ解決したのです。裁判していたら疲れ切ったことでしょう。もう二度と同じ被害者は出ないでしょう。泣き寝入りせずに済んだのです。ありがたいです。

 

それからは薬が大嫌いになり病院も嫌いになりどんどん健康になりました。風邪ひいても薬も飲まず寝れば治るようになったんです。顔の症状も時間はかかりましたがすっかり元に戻りました。

会館へ参詣も行くようになり折伏も一人でできるようになりました。罰で気付づかせていただいたのです。あのままだったら信心もなく宿命も変わらず不幸も続いたでしょう。

 

それでも20年間いろいろ守られました。

自転車で調子にのって飛ばしてたことあり、信号待ちしてて青になったのですぐ発進しようとしたら右隣に男の人の自転車が来てピタっと止まったのでアレっと思い私も止まったら目の前を大きなトラックが通り過ぎたんです。
片方が異常に長い交差点で途中で赤になって渡りきれなかったトラックでした。
その自転車いなかったら確実に轢かれてます、死んでたかもしれません。

 

寝ぼけていて2階のベランダから竿を道へ落としてしまい(すごい音がしました) 取りに行ったら自転車が通ったこと。1分遅れたらその人にあたって怪我させてしまったでしょう。守られました。

 

その時付き合っていた彼氏と温泉旅館予約していて風邪ひいたので私は行くのやめましたが彼はもったいないからと友達と行ったら彼の車が車上荒らしに遭い警察に時間がかかって大変だと知らされたこと。

 

バイト先の人と韓国人がやっている焼き肉屋に4人で行き注文の時みんなビビンバを頼んでいたので私も頼みたかったのですがなぜか上の人に〇〇ちゃんはご飯でいいのよねと言われ、はいと答え、あービビンバいいななんて思っていたらそのうち順番にトイレに行きだし帰りのタクシーでなんかビビンバ悪くなっていたよねと話していたこと。食べなくて良かったです。

 

小学生の時はタンスの引き出しを開けようとしたら建付けが悪くガタガタやっていたら
なぜか手が上にいったのです、タンスの上に飾ってあった表彰状の額縁が頭に落ちてきたのを手で払うことができたのです。手で除けなかったら頭にあたってました。
落ちてくるのは全く気付かなかったので子供ながらに守られたと分かりました。

その他たくさんいろいろ守られたのです。

 

最初は母は創価学会に入っていました。でもあまり変わりなく顕正会へ入ったのです。

顕正会へ入ってからも学会の時にもらった曼荼羅が家にありました。罰があたった何年か後に返納し富士大石寺に向かい勤行する遥拝勤行に変わりました。

 

勤行やっていても信心がふらふらしていては駄目なのです。