大聖人様が始めて南無妙法蓮華経を唱えたのは鎌倉時代,当時は念仏が主流でした

ですが大地震や疫病など道に人が倒れてる悲惨な状況であり,幸せになるための宗教なのになぜ悲惨な現証なのか

それは法華経を皆が忘れたからであると,南無妙法蓮華経をすすめたのです

 
ではどの宗派は良くてどこは駄目なのか,の線引きが難しくはあるのですが,南無妙法蓮華経をやっていれば問題はない,ということです
念仏は地獄に堕ちる真言は国を亡ぼすといい実際に歴史上そうなっています、宗教には正邪があります 

法華経をやれば善神が味方してくれます

(竜の口法難で大聖人様は法華経の行者である為奇跡が起こり命を守られています,この時天照大神や八幡大菩薩を叱っているのです)

 

御書に「信心強盛にしてただ余念なく南無妙法蓮華経と唱え奉れば,凡身即仏身なり」

「深く信心をおこして日夜朝暮に又おこたらず磨くべし。 何様にしてか磨くべき,ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを,これをみがくとは云うなり」

 

念仏は地獄へ堕ちるといいます

こんな話があります
浄土真宗の善導は物狂いにでもなったのであろうか、住んでいる寺の前の柳の木に登って自ら首をくくって身を投げ死んでしまった。邪法の祟りはあと戻りできず冥罰がここに現れた。最後臨終の言葉に「この身は厭うべきである、諸苦に責められて暫くも休む暇がない」と。そして、住んでいる寺の前の柳の木に登り、西に向かい願っていうには「仏の威神をもって我を受け取り、観音・勢至菩薩は来って我を扶(たす)けたまえ」と唱え終わって青柳の上から身を投げて自ら命を絶った
三月十七日、首をくくって飛んだところが、くくった縄が切れたのであろうか、柳の枝が折れたものか、大旱魃の堅い土の上に落ちて腰骨を打ち折って、二十四日に至るまで七日七夜の間、悶絶してはい回り、わめき叫んで死んでしまった。