戦争の 大義名分 虚しけれ

  共に歩めば 光満ちたり

 

 青き空 子らの笑顔を 護るため

   争うことより 和を結ぶべし

 

 2023年10月7日にハマスがイスラエル南部を奇襲したことで始まった,イスラエル対ハマスの戦争については,テレビで等で現状が映し出され,

 

 ガザ地区では筆舌に尽くしがたい惨状であり,一日でも早く,この戦争が終結して欲しいと,誰でもが願っておるところ,

 

 ハマスがイスラエルを攻撃したとの大義名分はあるのでしょうが,今となっては何とかならないものかと,一農夫なりに考えていたのでした。

 

 さて,歴史を振り返れば,戦争は「大義名分」を掲げて行われてきたようであり,たとえば「国を守る」「平和のため」「解放のため」といった旗印の下に戦ってきたところ,

 

 その「大義」は,権力者や国家の側が,自らの行動を正当化するための理屈であり,実際には人々の命を奪い,生活を破壊するものであったと思えるのです。

 

 また倫理的・人道的な視点から見ても,戦争は常に「人間の命を奪う行為」であり,そこに本当の意味での「正義」や「大義名分」があるのかどうかは,極めて疑わしく,

 

 国際法や平和思想の観点でも,戦争は違法とされており,イスラエルの「自衛」と拡大解釈しての戦争は,到底認められる行為ではないのでしょう。

 

 人生は 一度きりぞと 生き抜かん

   花咲く未来を 子らに託して