塵払う ほうきの音に 誘われて

   清めし庭に 心澄みけれ

 

 秋の収穫(稲刈り)を終え,何となくホットしているのですが,気が付けば,仕事は田畑だけでなく,家の中にも残されており,本日においては,自宅倉庫内の片付けを行っていました。

 

 縁台の上や,トップカーの荷台に置いていた,段ボール箱や雨カッパとか,孫が使っていた簡易プールなどを整理整頓すべく,自分が気に入った箇所へ置いて,気持ちもスッキリしたのでした。

 

 本日においては,掃除・片付けの途中で,何となく閃いた一首になったのですが,

 

 仏教や神道の修行では,掃除は単なる雑事ではなく「行(ぎょう)」とされており,たとえば曹洞宗の道元禅師は,食事の用意や掃除など,日常の営みそのものが修行であり,そこに心を尽くすことが悟りへの道だと説いております。

 

 確かに掃除をすると,目に見える埃や汚れを払うと同時に,心の曇りも拭い去るように感じられ,雑念を忘れ,ひとつの動作に集中する「無心」の境地に近づき,

 

 その空間が整うことで,祝詞や般若心経を唱える時に得られる「心の澄みきり」に通じる感覚が訪れるものと思われたのです。