錆び付いた 心の垢を 落とすには

   自分で決めた 修行あるのみ

 

 閉じ込めた 心の曇り 拭い去り

   過去に別れを 静かに告げて

 

 人の心を「器」や「流れ」にたとえるなら,日々の生活や出来事の中においては,心の垢や曇りが出来ていることがあり,それを雑念・執念・怨念・はからいの心に例えてみれば,

 

 雑念とは,本来集中すべきことから心を逸らす小さな波。

 

 執念とは,必要以上に固執し心を縛ってしまう力。

 

 怨念とは,過去の出来事にとらわれ恨みとして残るもの。

 

 はからいの心とは,計算や打算にとらわれ本心を曇らせるもの。

 

 のようであり,これらは必ずしも「悪」や「無駄」ではなく,人間らしい感情の一部であるところ,放っておけば心を曇らせてしまい,清らかな流れを濁してしまうことがあるようです。

 

 禅や修験の世界では,心の垢や曇りを「雑草」「雲」「塵」などに例えることがあり,それを無理に取り去るのではなく,気づき,手放し,また澄ませることを,説いているので,

 

 これに習うならば,日々の暮らしの中においては,その心の働きに気づき,静かに向き合いながら,澄ませていくことが,大切であると思われるのです。

 

 積もる塵 払ひし後に 鮮やかな

   もとの姿に 澄む心あり

 

 追記

 思い付いたままに,書き並べたのですが,心の垢や曇りを取り除くには,家の中の埃を掃除することで,心もスッキリすることもあり,最近では,小まめに室内の清掃を行っているのです。