捨てきれぬ この雑念を 払えども

   無心になれぬ 我を見つめる

 

 「心の中に湧き上がる雑念と,それを払いたいという願い」そして「それでもなお無心になれない自分への内省」を,一首にしてみたのですが,

 

 煩悩や執着というものは,「消そう・消そう」と強く意識すればするほど,かえって心に深く刻まれてしまうことがあり,「考えまい」とするほどに,その考えが頭に浮かびやすくなるのではなかろうかと思われるのです。

 

 仏教では,煩悩を「断つ」よりも,「観る」ことが大切だと説かれることが多いようで,

 

 それが起きていることを否定せず,

 

 ただ静かに気づき,

 

 とらわれずに通り過ぎさせる。

 

 まるで雲が空を流れるように,あるがままに観ていくことで,煩悩の力が次第に弱まっていくと,されているらしく,

 

 煩悩を「観る」(自己の心の動きを,静かに見守ること)ことが,結果的に煩悩を超える智慧に至る道のようであり,「断つ」のではなく,「煩悩とともに歩み,煩悩を透かして真理を見る」という姿勢が大切にされているようなのです。

 

 そんなことで,雑念を必死に振り払おうとせず,「いま自分はこれに執着しているな」「煩悩が湧いているな」と,少し離れたところから見つめてみると,結果的に心が静かになってゆくと思われたのです。