拘らず 何があっても 動じずに
今を生きるや こころ正しく
曇りのち晴れの一日でした。
午前中は,年金を引き出して,家や土地の固定資産税を払ったり,ついでに食料品を購入し,
午後からは,畑にて大根・チンゲン菜の茎が伸びて花を咲かせていたので,手で引き抜く作業を行っていました。
4月2日に発症した,良性発作性頭位めまい症は,少しずつ回復し,10日を過ぎた頃から,日常生活に支障がないまで回復したので,
リハビリを兼ねて,軽い作業を行いながら,日々を過ごしているのです。
しかしながら,今回の良性発作性頭位めまい症については,今までに体験したことのない症状だったので,
お恥ずかしいのですが,念のために脳外科でCT検査を受けたところ異状なく,
眼科も受診したものの,右目に軽い白内障があるが,普通に生活して下さいと指導を受けたのでした。
本日の一首については,拘るとか執着について,時々に考えることがあり,閃いたままを詠んでみたのですが,以前にも似たような短歌を残していたので,以下へ転記してみたいと思います。
これも拘りなのかと思いつつも,「拘」で検索して,探し出したのです。
拘ると 副産物が 生じけれ
執着を捨て 淡々と生き
気になれど サラリと流し 拘らず
執着すると 自分に返り
拘らず 手の位置変えて さり気なく
執着を捨て こころ穏か
何事も 穏やかに聞いて 拘らず
家の中では それが大切
拘れば 拘るほどに 手直しが
丁度良いのは 使い慣れてか
さて,研究や創作,職人の仕事など,結果に対する質」や「完成度」を高める上では,こだわることが重要であるところ,
人が生きてゆく上での拘りは,自分の軸を持つうえで大切であるものの,それに縛られすぎないようにすることが,人生を豊かにする秘訣であると思われるのです。
さてさて「こだわりのある優しさ」はとても魅力的であり,「こだわりのない寛容さ」は,大事な徳なのでしょう。