人を憎まず 悪口言わず
懐かしき 過去の思い出 振り返り
笑みを浮べて 気持ちは緩み
今から19年前に書いた短編小説が,パソコンの片隅に残っており,その中に「今更ではあるが,自身の生活信条として,どんな時にも腹を立てず・人を憎まず・人の悪口を言わないことを念頭に生活してきた」と書いており,これを引用して今回の二首としてみました。
この短編小説(そよ風のように)の最終章は,以下のとおりです。
季節はめぐりて
千穂と直が久し振りに旅行に出かけたのは、暦の上では立春をとっくに過ぎていたが、寒さの緩む気配がしない、昭和53年2月下旬でした。
北九州を車でドライブし、太宰府天満宮や長崎の観光をしながら、互いの気持ちを包み隠さず話せる時間が持てたのであるが、千穂は直との仲を友達関係としてしか考えておらず、直にすれば何とか持ちこたえた恋に陰りを感じていたのです。
千穂と直の恋にも、破局が訪れようとしていたのである。
1年2ヵ月ではあったが、東京で実質2ヵ月付き合い、後の1年間は遠距離恋愛になった二人が選んだ結論は、結婚は考えず友達として付き合ってゆく事になったのです。
千穂にすれば両親に結婚を反対された時から直とは友達関係と割り切っていたが、直は千穂の気持ちを付き合い始めた頃のような新鮮なものに何とか取り戻せないだろうかと気長く待っていたのであるが、時は既に遅かったようである。
そして千穂と友達関係でいようと約束しておきながら、結婚をあきらめきれなかった直が今で言うストーカーほどではないが、手紙を出したり電話をする毎に千穂の気持ちは冷めてゆき、やがて友達関係でさえ解消され別れの時が訪れたのです。
男と女が決別した後には、女の方がその気持ちをはっきりさせて過去の事はきれいさっぱり忘れようとするが、それに比べて男は未練がましく相手をあきらめきれない事があるらしい。
直にしても、しばらくは千穂を、あきらめきれなかったようである。
スナックのママとの会話から、つたない文章を綴ってしまったが、このような形で当時を回想し、あるいは現在の直自身の生活全般に照らし合わせてみると、考え方や行動にほとんど変わりのない部分もあり、今更ながら己が成長していないと感じて止まない直ではあるが、何時までもそんな余韻に浸ってばかりでもいられなかった。
人は過去に戻ったり、未来の世界へ入り込むことは不可能である。
だからこそ現在を懸命に生きてゆかねばならない。
直は幼き頃から多感な少年であり、子供ながらに人が生きてゆく事について何かにつけ考える機会に遭遇していた。それは家庭が貧乏であり両親が子供達に対して節約した生活を余儀なくさせていた事にも原因があるようだが、当時の世間は直の家庭だけでなく皆同様の生活をしていたのは事実であろう。
しかし直にすれば、自分くらい質素倹約に努めた者はないだろうと自負している一面もあり、例えば入浴に際してなら五右衛門風呂に入る手順を子供ながらに考えて火と湯水を無駄にしない入浴方法を心得たり、欲しい物があってもほとんど我慢するとか、食事に関しても母親の作ったメニューには一切文句を言わない等子供なりに徹底した生活をしていたのです。
この幼き頃の体験を実生活に生かせれば心は豊かになり、今のやや緩みかかった日常生活から脱出できるかも知れないと考えれば、まず酒を止めるか量を減らす事から始め、職場や地域社会における人間関係についても、全体の中の一人であることを再認識することで、少しずつではあるが我が人生を謳歌したいと念じている直でもありました。
人生には自己に与えられた課題があり、その時期に成し遂げねばならぬ宿命のような何かを背負って生きているのかも知れない。
直にすれば職場における業績の向上とか、子供の父親としての役割を充分に果たせられているのかと問われたなら、まだまだ中途半端な状態であるが故に、今一度原点に立ち返り、学校を卒業し社会人になった頃のような熱血漢にあふれていた自分自身を懐かしく思うと同時に、現在の生活に当時のような無心で行動力のあふれていたものを、この機会に再度取り入れようと決意していたのです。
今年も初夏の季節が訪れていた。
野山を歩けば新緑が心に優しく写り、海岸へ行けば磯の香りが漂い、自然界でも新しい生命が活動している様子が感じられる。
直にとって遠距離恋愛をしていた一年間は何であったのだろう。
また寿退社して顔を合わせる事もなくなった千春や、スナック木綿のママ裕子にしても、結局は直からすれば遠い存在の人でしかなかった。
しかし直にとって一番気にかけていた千春がめでたくゴールインした事はせめてもの幸いであった。
そして直自身にしても、心の中では新たな人生をスタートさせようとしていた。
初夏の朝はなんと爽やかなんだろう。
何処からともなく聞こえてくる小鳥のさえずりと、心地よいそよ風を全身に感じながら、千春も通っていた通勤路を朝日で作られた自分の影と一緒に歩いていた。
古き良き 人生の日々 過ぎ去りて
巡る季節に 今年も春が