湧き水や 地下水系の 恵みかな
いつの時代も 枯れる事なし
全国各地では,水不足であると,テレビで報じているが,
東温市から,松山市の市坪辺りにかけての,重信川の周辺は,地下水が豊富であり,
その地域に居住する人々は,重信川地下水系と呼び,
重信川に,水が少なくとも( 川幅300mに対し,普段は,3から5メートルの幅には,水が流れている )地下には水脈があり,
その水が,泉や井戸から湧き出ているのです。
稲作の季節になると,上流から水が流れてこない時には,各地域に掘った,泉や深井戸から,大型ポンプで水を汲み上げて,川に流し,
その水を,水田に引いて,稲を育てており,名水で育てた米は,美味しくもあるのです。
湧き水の件では,以前にも詠んだ事があり,以下へ,再投稿してみたい。
湧き水や 今も変わらぬ 杖の淵
両手を清め 大師を偲び
四国八十八ヶ所 第48番札所 西林寺の奥の院である杖の淵の由来は,
弘法大師が,高井の里へ立ち寄った際に,一軒の家で,水を飲ませて欲しいと頼んだところ,
干ばつで差し出す水が無く,応対したお婆さんが,暫く待って下さいと告げて,重信川( 徒歩で片道10分くらい )まで水を汲みに行き,その水を家に持ち帰り,弘法大師に飲んでもらったら,
遠くまで水を汲みに行ってくれた礼にと,弘法大師が,ここを掘ってみなさいやと,西林寺の近くの地面に杖を突き当てたので,村人が掘り起こしてみると,清水が湧き出たとの,伝説がある泉です。
これは,地元に言い伝えられる説話であり,
インターネットなどでは,名水百選に選ばれた「杖の淵」について,
弘法大師が,この地を通りかかった際に,住民が干ばつに苦しんでおり,これを見た弘法大師が,地面に杖を突き立てたところ,清水が湧き出たと書かれています。
何れにしても,弘法大師が,久谷「 衛門三郎『四国霊場にまつわる伝説上の人物』の里 」の地から松山平野へと足を進め,
重信川を渡った際に,
この河川は,石と砂に覆われており,
地下には,水脈があることを察知し,
高井の地で,干ばつに苦しんでいる人々を見て,
井戸( 泉 )を掘るよう,勧めたのではなかろうかと,想像していたのです。