新聞は お悔み欄を 見るだけと
   人に豪語も 情報通かな

 曇り後,小雨がパラついていた,一日でした。

 午前中は,雨が降らないことを願い,午前9時頃から,草刈り機にて,果樹園の除草を始めたのですが,

 午前10時を過ぎた頃から,小雨となり,

 30分も過ぎれば,終わると思いつつ,

 小雨に濡れながら,作業を進め,

 10時40分頃に,何とか,刈り終えることが出来ました。

 新聞は,お悔み欄を,見るだけとは,大袈裟な表現になったのですが,

 先日のこと,知人と話していたら,どこそこの誰々が亡くなったとの話になり,

 小生は,新聞を購読してないので,知らなかったと話したら,

 知人から,新聞は取りよるけんど,お悔み欄と,広告を見るくらいじゃげ,との一言があり,素直に本日の一首にしてみました。

 実際には,知人は情報通のようであり,我が居住地域のことについては,小生( 町内会の小組合長・神社の宮委員 )よりも知っており,

 老人の集まりに出掛けたり,ディサービスへ行き,世間話をすることで,情報収集しているのかなと,思ったのです。