念ずれば やがて花咲く 時もある
願いを込めて 時を過ごすや
一週間くらい前のことになるのですが,庭の雑草を,草刈り機にて刈り取っていた際に,誤って,石仏の額の辺りに,深さ1.5cm×長さ7cmの傷を付けてしまい,
この傷を直すべく,時々ではあるのですが,顔を砥石で修復しております。
この石は,自然石そのままの状態であり,角度を変えて見たら,仏様に似ていたので,庭の屋敷神様を祀っている隣に鎮座するよう,5年くらい前に置いていたのですが,
安置する前の石像
刈取りの刃が当たるとは思わず,作業を進めたのが失敗で,結局は余分な時間を過ごすことに,なってしまったのです。
しかしながら,これも何かの縁と考えれば,あと少し,元の状態に戻したいと考えながら,作業を続けておるところでもあります。
この石仏のお顔は,はっきりしてはないのですが,見た人が,その人なりに感じ取れるくらいな顔でしたので,作業に当たっては,傷を除き,砥石で中心から円を描くように,復元しているのです。
ところで,本日の一首は,下記のとおり,以前に投稿していた一筆を思い出しての短歌であります。
さて,午前中に裏庭を掃除していると,橙(だいだい)の木にもクモの巣が作られていたので,取り除いてやったが,この橙の枝分かれした箇所は,今から50年くらい前に折れて,そのままで年月を過ごしていたところ,10年くらい前に折れた周辺の一箇所から,新芽が出たので大切に育てているのです。
この新芽の出現については,20年前の頃から,折れた周囲から芽が出んやろかと念じていたところ,一時期に忘れておりましたが,そこから新芽が出たときには驚いたものでした。
橙から芽が出たときに感じたことは,何事も念じることは大切であるが,純粋に念じ続けることは困難であり,念じ過ぎると成就せぬこともあるので,神仏との距離を置きながら念ずるように心がければ,実を結ぶこともあると実感しておりました。
こんな一節が,残されていました。