小石にも 経を写した 遠き日を
   思い出しては ただ懐かしむ

 先日のこと,妹と電話で話していたら,兄ちゃんは,自慢ばかりするねえと,言われてしまったのですが,
 自慢話と言っても,他愛のないことであり,息子の嫁が可愛らしいと言ったのが,気に入らなかったのか,
 妹にすれば,我が家の嫁こそ,自分から見ても,ハットするくらいに綺麗なんよと話していたが,
 それなら,売り言葉に買い言葉であるものの,互いに自慢したがるDNAを持っているのだろうと納得しておりました。

 そんな訳ではないのですが,本日においては,気持ちをリセットすべく,以前に残した,般若心経の写真を確認し,当時のことを懐かしむと同時に,ブログへも投稿したことがあり,以下の一文を読み直したりしておりました。

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 前置きはさておき,今日は石などに写経した後に神棚の中へ保管してある般若心経を久しぶりに明るいところへ出し,写経した当時のことを思い出しておりました。

 この写経は,昭和63年の秋に始めたのですが,何かを祈願する時に写経をしていたところ,3年くらい続けていたものの仕事が忙しくなり,写経の筆を休めたままになっているのです。

 写経を行っていた頃には,米粒にでも写経できると聞き,小生においては小石の表裏へメガネ(凸レンズ)を掛けずに写経し,木剣の鍔(自作)・木の節・笛・普通大の石への写経も行なっておりました。

 思い起こせば,あの頃は困った時の神頼みのごとく,居住地域の神社仏閣を訪れたり,写経にて心を洗い,前向きに生きてゆこうと努力していたのは確かであります。

 それが宗旨でも替えたように写経などから遠ざかってしまったのですが,神仏は常に小生の心の中で生きており,毎朝には神社仏閣で頂いたお札を祀っている神前に向かい般若心経・大祓詞を唱え,昨年の8月末に母が亡くなってからは,その後に仏壇へ行き勤めをする毎日を送っているのです。

 さて,こんな信仰で良いのかと思いながら日々を過ごしておるのてすが,神仏の御加護は本人の清らかな気持ちがあればこその恩恵であると考えており,今後も心を正しく保ちつつ,同じことの繰り返しにはなるが,誰ぞに神仏との向き合い方について教えてもらうまでは,今のまま続けてゆきたいと思っているところでもあるのです。