手を洗い 両手を見れば 元の手に
   心も同じか 洗いは一度

 本日も1日が無事に終了した。
 午前中は,畑に溜まった水を排出すべく,水が溜まった箇所の土を,取り除いておりました。
 午後からは,自宅倉庫内で,道具の整理整頓を行い,この際に,プラグレンチを新たに3個も探し出せ,合計6個となり,草刈り機用の19も発見し,何やら安心したところでもあるのです。
 ところで,整理整頓を終え,裏庭の洗い場で,手を洗ったのですが,洗剤の付いた手指を洗い流し,何となく両手を見たところ,油ぎった手は普段の手に戻っており,これ以上に洗う必要はなく,心も同じではなかろうかとの,気持ちが生じたのです。
 また,心を浄化する際には,納得のゆくまで(安心するまで),あらゆる方法をもって,己を磨こうとする時もあるが,磨きすぎる必要はなく,生活の一部に心を磨く時間を取り入れて,人生をエンジョイしたいものであると感じ入り,本日の一首になりました。
 余談になりますが,日本刀でも,研き過ぎると,鍛錬の痕が現れるかも知れず,
 心を磨くにしても,凡人ならば必要以上の苦行は必要なく,日々の生活に感謝し,その時その1日を,あるがままに過ごすことが,大切であると思われたのです。